192話 私信

「ダメだ、まだ意識が戻らない」

「続けろ。今は仮死状態にあるだけだ、鍼の抗毒薬が効けば後の薬も効いてくる」


 佐藤は焦りを隠そうと声を低くして言うが、ロッタは動揺することもなく冷静にフロランスの様子を見守っている。


 フロランスの死亡時刻を確認されてから5分、まだ彼女の意識は戻っていない。自然抗体と抗毒薬を投与してもなお心臓は止まったままだ。


「本当に効果があるのかい? アメリアちゃんの抗体だって移植して、そっちが用意した抗毒薬まで打ったのに」

「奴の毒は、耐性のない者が摂取すると一時的な仮死状態を引き起こす。ダリアの魔法医療師は毒が分解されるのが遅いからじゃないかと推測していたようだ。処置をしていればじきに息を吹き返す」


 佐藤やアメリアの心配をよそに、ロッタはひたすら待ち続けた。大事な人が目の前で死にかけているというのに、一切の心の乱れも見せることはなかった。


 なぜそこまで信じられるのか。アメリアには全くわからなかった。つい口をついて出てしまう。


「ロッタちゃんは、なんでそんなに冷静なんですか? フロランスちゃんは死にかけてるんですよ!?」

「死ぬときは死ぬ。人の一生などそういうものだ。しかしだ、こいつの死に場所はここじゃない」

「ですから、なんでそんなに──」

「我が許さんからだ。こいつに死なれては困る」


 アメリアは怒りとも悲しみともつかない高い声を上げるが、ロッタはそんな彼女にピシャリと言い放った。


 結局、ロッタに根拠など何もない。抗毒薬を常備しているということは似たような事例に何度も遭遇しているということなのだろうが、ロッタにはそれ以上の何かがある。


 だが、アメリアにはそれがわからない。死なれては困るという自分本位な理由だけで、フロランスは復活すると思えるものなのか?

 佐藤は複雑な表情を浮かべるアメリアに微笑みかけると、諭すように声をかける。


「ロッタちゃんはフロランスちゃんのことを信じているんだよ。それも、どこまでも深くね。そういう関係になれる人がいるって、とても幸せなことだよ」

「信じる……」


 アメリアはごくりとつばを飲み込んだ。


 何者にも断ち切れないような強い信頼。それでロッタとフロランスは繋がっていて、それがロッタの絶対とも言える自信に繋がっているのだろうか。


 アメリアはそこで銀、もといまーくんのことを思い出していたが、すぐにそうではないとかぶりを振った。

 まーくんが自らの意思を表明できるようになったのはつい先日のこと。まだお互いに深く信頼できるような関係というわけではない。


 そういう関係になれる人がいる。アメリアは、急にロッタのことが羨ましくなっていた。彼女に話しかけることも躊躇われる。

 そこで、アメリアは佐藤に言葉を返すことにした。


「じゃあ、サトウさんにはいるんですか? そこまで信頼できる人って」

「僕、かぁ……そうだね、強いて言えば日本に残してきた妻子、かな。それと、プリキュアのキュアマーメイドだね」

「ぷり……?」


 アメリアは佐藤の返答に困惑せざるを得なかった。最後のは瀬里奈が好きだという架空のキャラクターではないのか。

 だが、佐藤はケラケラと笑う。


「冗談っていうわけじゃないよ。妻と娘には絶対に生きて会うし、今度やるっていう映画でもその子が出るから、それを見るまでは死んでも死ねないよ」

「それも信頼から来る自信……ですか?」

「寄り添えるものがあれば、人はどこまでも強くなれる。僕はそう思うけどね。医療の現場だって、そうやって気力で生き残った例はいくらでもあるからね」


 佐藤は笑みを浮かべるが、決して馬鹿にしているわけではない。そう自信を持って言えるものが、佐藤にも確かに存在しているのだ。


「そうですか……やっぱり、そっちの人は何か変です」


 佐藤の笑顔につられ、アメリアも破顔してしまう。こんな状況だというのに、自然と心の靄が晴れていく気がした。

 その雰囲気が効いたのかは不明だが、フロランスの口から低い唸りが発せられた。彼女自身が自発呼吸しようとしている合図だ。


「「フロランスちゃん!」」


 佐藤とアメリアは同時に叫び、佐藤は次の薬を用意、アメリアはフロランスの顔を覗き込む。


「よかった、フロランスちゃん生きてます……っ!」

「次はその覚醒剤だ。炙って煙にして吸わせろ」

「覚醒剤……こんな世界に、そんなのが存在するのかい」


 佐藤は思わず息を呑んだ。

 ロッタの言葉は正確に翻訳されている。彼女の言葉と翻訳を信じるのであれば、世界でも禁止されている国が多い、あの薬に違いないからだ。地球での歴史は100年程度と浅いが、こちらの世界は近世レベルの時代でありながら既に存在している。


「でも、いいのかい?」

「やれ。ヘビ毒で意識を失った奴には、これと強心剤を使う必要がある」


 ロッタは有無を言わさず使用を促す。これが治療だと言うのなら、彼は従うしかない。


「わかった。準備をしよう」


 佐藤はロッタから受け取った小さな金属製のカップを受け取ると、粉を入れて火にかける。吸い込まないように注意しつつ、チューブを繋いでフロランスの鼻に近づけた。

 うまく行けば、フロランスは助かる。その望みだけを信じて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る