193話 語るに値しないこと

 フロランスに覚醒剤と強心剤を投与することには成功したが、彼女の意識が戻ることはなかった。

 佐藤はメモ用紙に所見を書き込むと、ペンと共に背嚢へ放り込んでため息をついた。


「今のところ、フロランスちゃんの容態は安定しているけど、全く意識が戻らない。つまり、昏睡状態にある」

「昏睡……具体的にどういう状態なんですか?」


 アメリアは恐る恐るといった感じで、声を控えめに質問する。


「そうだね、とりあえず脊髄反射はあっても、それ以外の刺激には無反応なら昏睡状態と捉えていい。人工呼吸器はつけてないし、まだ治る可能性はあるよ」

「よかった、そうなんですね……」


 アメリアは胸を撫でおろしたが、ロッタはそうではないようだ。腕を組みながらフロランスの顔を覗き込むと、頬を何度か軽く叩いた。


「この状態になった者は何度も目にしてきた。しかし、目が覚めた者は未だ見たことがない。本当に治るのか?」

「僕たちの世界だと、27年もの間昏睡状態だった人が目を覚ました例もあるんだ。だから一概に可能性がないとは言えないね」

「27年だと? ううむ……」


 話を聞いたロッタは目を見開いて佐藤を見るが、すぐに俯いて唸り始める。27年といえばロッタの人生の2倍近い長さだ。そんな例など遭遇どころか聞き及んだことさえないに違いない。


「諦めちゃダメだよ。目を覚ますのはいつかわからないだけで、もしかすると1時間後にでも目覚めるかもしれない。希望は捨てちゃダメだ」

「ああ、わかっている。しかし、本当に目覚めるのだとしても、27年だと……こいつは45歳だ」

「うん。まさに人生で一番楽しい時間を無駄にするだろうね。けど、こればかりはどうしようもないよ。残念だけど、運と本人次第だ」


 ロッタと佐藤の言葉は悲痛なもので、その場に重い空気が流れているような気分を3人に与えてしまっていた。


 結局、フロランスを完全な形で救うことはできなかった。そのことが3人の負担となっているのだ。

 すると、複数の足音が馬車の外から響いてくる。神経質になっていたアメリアは敵襲かと身構えたが、ただ歩いているだけの足音だとわかり緊張を解いた。


 姿を見せたのは矢沢や波照間らだった。外での問題は解決したのか、武器の類は全てしまわれている。


「ロッタ、ここにいたのか。心配し──」


 矢沢の話は途中で中断させられた。ロッタの股間蹴りがクリティカルに決まり、河原に倒れ悶絶している。


「我をロッタと呼ぶなと、何度言えばわかるのだ」

「あはは……本物で間違いなさそうね」


 波照間は呆れつつも、愛崎と共に矢沢を助け起こした。彼はまだ痛みに悶えていたが、すぐに持ち直しロッタへ目を移した。


「いつつ……とにかく無事でよかった」

「いや、我も敵の攻撃を受けてな、フロランスと同じ毒を受けた」

「それで回復できたのか?」

「抗毒薬を持っていたのでな、全身に回る前に何とか解毒には成功した。フロランスにも同じ薬を使っているが、少し遅かったようだ」


 ロッタは向かい側の座席に座り込むと、フロランスの手をそっと握った。優しく手を包み込む様は、アメリアにもロッタが1人の少女であることを改めて感じさせる。


「やっぱり仲がいいんですね、ロッタちゃんとフロランスちゃん」

「こいつは物心ついた時からの腐れ縁でな。よく庭や近くの野山を駆け回ったものだ。さすがにアルルの大森林に踏み込んだ時には大目玉を食らったが」


 ふふ、とロッタは口元に笑みを浮かべ、馬車の天井を見上げた。その先に過去の情景が浮かんでいるかのように。


 アメリアには大好きな国を失うことの意味が理解できなかったが、そのせいで生活が一変することはどういうことか、それはよくわかる。とても惨めな経験をしたことは間違いない。

 そこに、銀が顔を覗かせて口を挟んだ。


「そういえば、アンタの身の上を聞いてなかったわね。ダリアの出身だってのはわかるけど、そんな歳でレジスタンスの頭領なんて普通じゃないわ。貴族の娘か何か?」

「くだらん昔話だ。語るにも値しない」


 ロッタは吐き捨てるように言うと、そのまま黙り込んでしまう。


 アメリアだけではなく、矢沢らにとってもロッタの出自は謎だった。フロランスから話を聞くこともできず、話はここで中断してしまった。


 それから暫くは夜が明けるまで河原に留まり、フロランスの意識が回復するのを待った。それでも無駄だったために、矢沢らは首都へと引き返すことになった。

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