137話 綱渡りのギャンブル

 サリヴァンから陛下亡命の話を聞かされたその日、ヤニングスとベルリオーズはいつもの料理屋『サルバシオン』の個室で夕食を摂っていた。

 フランドル騎士団の妨害だけでなく、灰色の船による物資攻撃の影響で値段がつり上がったステーキ肉を、ベルリオーズは丁寧に小さく切り分けていた。


「全く、食事にも金がかかるようになって経済は鈍化している。このままでは奴隷の市場価格も混乱するだろうな」

「パラメトル集積地の事件をどこかの業者が聞きつけて、それが噂になっているからです。あちこちの輸送や食料品のギルドが優秀な傭兵を雇おうと躍起になっています。それをいいことに、フランドル騎士団の連中もそこに食い込んで被害を広げているとか。これではいつか国が潰れてしまいます」

「信じられるか? 他国や魔物が関係していないのにこれだ。これが続けば、一体どうなるんだ」


 2人の間には絶望にも似た空気が流れていた。魔物の発生は局地的なもので影響は少なく、エルフを始めとした他国との戦争も侯爵や辺境伯の領主軍が対抗する。そこに近衛騎士団が加勢するのが普通だが、今回は近衛騎士団のダメージが大きく、周辺の領主軍をも引っ張り出してしまったせいで戦争が国家レベルに膨れ上がってしまっている。それも、反乱軍と1隻の船が相手で。

 強大で異質な存在は人々の恐怖を呼び起こす。灰色の船の情報が巷に流れ始めた今、彼らを警戒するギルドも少なくない。


「そんな中で陛下を亡命させるなど、できるわけがない」

「たとえ一時亡命であっても、陛下がこの状況で国外逃亡するとなれば、ますます民衆の不安が増し、貴族たちの支配力も弱まるのは目に見えています。情報は隠しきれません」

「では、やることは決まっているな」

「ええ」


 ベルリオーズとヤニングスは互いに頷き合う。


「亡命阻止、ですね」

「そうだ。彼らの主張は講和で一貫している。ここで陛下を暗殺すれば、確かに国家レベルでは混乱が起こり作戦行動力は低下するが、それは同時に対等な話し合いが困難になることも意味する。敵国に武力侵攻して降伏を促すならそれでもいいが、対話を望む彼らは絶対に取らない手段だろう」

「何を言って……まさか、彼らに情報を流すと?」


 ヤニングスは信じられなさそうに目を見開くが、ベルリオーズは至極真面目に返答する。


「その通りだ。もちろん、完全に信用できるわけがない。君には満を持して彼らの迎撃を担ってほしい」

「あくまでジエイタイの介入という事実だけを使って亡命を阻止すると、そういうことですね」

「物分かりがよくて助かる。彼らには意図的に護衛戦力を少なめに伝えておく。君もいないと伝える。予備も含めて5倍の戦力を整えた上で、彼らを追い返すか殲滅するんだ」

「確かに、そうすれば陛下を帝都のシェルターに避難させて、守りも固めやすくなります。彼らには少し別のルートを教えて、罠に遭遇する確率を下げておきましょう」


 この計画を、ヤニングスはある種の賭けだと感じていた。

 彼らの姿勢を見るに、むやみに皇帝を殺害するようなことはできないだろう。例の飛翔する槍は飛んでこないはずだ。


 それに加えて、ジンであるウィンジャーも戦闘に加わらない公算が高い。前回の海戦でも彼が戦闘に加わった様子はなかった上、仮に彼らが意に反して陛下の暗殺を企てるならば、むしろ離反する可能性さえある。リアことエリアガルド・ウィンジャーという男はそういう人物だ。

 それに、彼らジエイタイにはヤニングスを倒せる者がいない。例え彼らが例の魔法を使わない武器を用いようとも、情報で敵を欺く以上はこちらが有利だ。


 だが、本来ならば極秘裏にて行う作戦。意図的に陛下を危険な目に遭わせるということだ。失敗して陛下が命を落とすこともあり得る上、助かったとしても情報が流したとバレてしまえば、確実に自分たちの首が飛ぶ。


 とはいえ、それでもやらねばならない。皇帝はアセシオンで一番力がある者。その彼が逃げたとなれば、この国は足元がお留守になる。政情不安が経済を鈍らせ、これを好機と見た者たちがフランドル騎士団へ合流し、最悪の場合は他の貴族や近衛騎士団員も皇帝の権威を疑うことにもなりかねない。


「阻止しましょう。必ず」

「もちろんだ。私は彼らと交渉に向かう。君はライザを派遣してくれ、彼らへのお目付け役がほしい」

「承知しました。こちらもできる限り精鋭部隊を選定します。絶対に陛下を守り抜きましょう」


 ヤニングスとベルリオーズは同時に頷き、互いの決意を目で悟る。

 後がないのではない。ここが流れを変える時だ。2人は何も言わなかったが、考えていることは全く同じだ。


  *


「おっと、面白い話を聞いちゃったかなっと」


 隣の個室とこちらを隔てる壁に耳を当てていた波照間は、ヤニングスとベルリオーズの話を聞いてニヤリと悪役のように不気味な笑みを浮かべた。


 大規模な戦闘で敗北した国家は、必ず何らかの大きな変化を迫られるものだ。ミッドウェー海戦で敗北した日本軍が中型空母と駆逐艦の大増産に走り、カンナエの戦いで敗北したローマが搦め手を使いハンニバルとの決戦を避けるよう舵を切ったように。


 これも戦略レベルにおけるOODAループの一環だ。ベイナ沖海戦での防衛成功という『行動』の後に当たる、彼らのリアクションを探る『観察』段階。特に優秀な軍師とされるヤニングスと、あおばの交渉相手であるベルリオーズを尾行した甲斐は十分にあったと言える。


 それに加え、やはり皇帝が国の『重心』であることもわかった。皇帝を抑えれば、この戦争は終止符を打てる。奴隷化された邦人の帰還と、ダリアの解放は為されるのだ。


「あら、何か面白いことでもありまして?」


 波照間の前に座るフランドル騎士団の上級魔法使いの少女は、口に手を当てて微笑んでいた。隣に敵の重要人物がいるにも関わらずおっとりしている様子に波照間は呆れていたが、これもある意味状況に流されない強さなのかと考え直しつつ、豊かな金髪の先をいじる彼女に向き直る。


「そ。だいぶ面白いこと。やることは済んだし、さっさと食べて戻りましょ」


 波照間は既に冷めてしまった燻製肉を急いで口に押し込むと、少女を連れてすぐさま店を出ていった。

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