136話 サリヴァンの提案
「はぁ……」
アセシオンのグリフォンがほとんど消し去られたベイナ沖海戦から1週間後。急遽帝都へ呼び出されたベルリオーズ伯は、子飼いのグリフォンを帝城の下男に預けた足で大広間へと向かっていた。
皇帝からの召喚命令であれば、通常ならば玉座の間か応接間に通される。それが大広間での呼び出しとなれば、まず皇帝からの呼び出しではない。そして、大広間を指定するなど、相当の実力者であることも意味する。
ベルリオーズ宛の封書には送り主の名がなく、代わりに有力貴族や皇帝だけが使える特別な封蝋が施されていた。そうなるとローカー候やドルニータ候、もしくはサリヴァン伯に限られる。ベルリオーズ伯は力や信頼を落としているとはいえ辺境伯、アポートルであろうと不遜な手紙をよこせる者の数は限られる。
そのうちの誰が自分を帝城へと呼び寄せたのか。あまりに不自然なことを怪訝に思いながらも、大広間の戸を開け放った。
「来たか」
大広間の向こうに座る男は、やや苛立った様子でベルリオーズへ冷たい視線を投げかけていた。
「まさか、あなたが手紙の送り主で……?」
その男の顔を見るなり、ベルリオーズは息を呑んだ。
皇帝専用の椅子で待っていたのは、その皇帝本人だったからだ。
「手紙? ああ、サリヴァンが書いたものだろうな。朕も奴に呼び出された」
「陛下もそうでしたか。用件はご存じで?」
「知らん。元々食えない男だ、何を言い出しても不思議ではない」
皇帝は目を閉じ、ふっと息をつく。
あの海戦の後で狂気に陥っているのかと思えば、意外と冷静さを保っていることにベルリオーズは驚いていた。
アセシオンの制空権は奪われ、艦隊の一部も失った。それに加え、ヤニングスどころかザップランド提督でさえ灰色の船との講和を望むようになったというのに。
それから程なくして、ベルリオーズが入ってきた西側ドアが再び開けられた。
「陛下、お待たせしました」
「全員そろっているようですな」
やって来たのは、ヤニングスとサリヴァン伯だった。ヤニングスはベルリオーズと共に並び立ち、サリヴァンは皇帝のすぐ近くへと歩み寄る。
ヤニングスとサリヴァンはあまり馬が合わないと聞き及んでいる。それが同時に入室するなど、ほとんどありえないようなものだ。ベルリオーズは何かの話をしていたのだと踏んで、ヤニングスへ耳打ちする。
「おい、サリヴァン伯と何の話をしてたんだ?」
「これから説明します」
ヤニングスは静かに言う。よく見れば、具合が悪いのか青ざめた顔をしている。
彼らの小声など意に介さず、サリヴァン伯は全員に聞こえるよう大きな声で話をし始める。
「陛下、この度の戦闘ではグリフォンの半数以上を失い、海軍艦艇も数隻が破壊されました。今では近衛騎士団に留まらず、この大損害に焦った貴族たちからも講和論者が出ております。その流れはもはや止められないでしょうな。このワタクシめもそう思っております。しかし、彼らと交渉を行えば、陛下の身柄を要求してくることも考えられます。そこで、陛下には一時的に亡命という形で国外に避難することを提案いたします」
「一時亡命……!?」
ベルリオーズはサリヴァンの口から出た言葉に当惑していた。
この重要局面で亡命? むしろ今から正念場ではないのか。
もちろん、驚いているのはベルリオーズだけではない。皇帝もまた開いた口がふさがらなかった。
「貴様、何を考えている!? 国を離れるなど、負けを認めるようなものだ!」
「このまま進めば敗北です。それを避けるための交渉であり、最悪の事態を防ぐための亡命策です。あなたがいなければ国は始まりません。ですので、一時亡命なさるしかないのです」
「く……!」
皇帝はただ歯を食いしばり、サリヴァンに何も意見を言えずに拳をテーブルに叩きつけた。
「もちろん、亡命先は友好国のアルトリンデです。確かに混乱している時期ではありますが、もうすぐ脱するでしょう。陛下の命はお守りせねば」
「……わかった。それで行く。交渉はローカー候が行うのであろう?」
「既に話は通してありますが、彼は戦力の立て直しのために断りました。ワタクシが行います」
「そうか」
皇帝はただ頷くだけだった。もはや何を言おうともサリヴァンに説き伏せられてしまうと悟ったからか。
皇帝はサリヴァンを右腕として扱っているが、実際は食えない男だと断言している。今回も何かの策略だろうとは思っているのだろうが、それをどうにかする手段は思い浮かばないようだ。
ただ、なぜベルリオーズはサリヴァンが自分を呼び出したのか未だにわからなかった。思い切ってサリヴァンに質問をする。
「伯爵殿、ではなぜ私を召還されたので?」
「簡単なことだ。陛下の座乗船をベイナから出航させたい。別の港に艦隊を配置し、注意を引けば安全に脱出できる。戦力の手配を君に任せたいのだよ」
「……承知しました」
この状況で悠々と喋るサリヴァンに反対するのは愚策だ。ここは従うしかない。ベルリオーズは深々と頭を垂れた。
「そして、団長殿には港まで陛下の直接護衛を頼みたい。できるかな?」
「謹んでお受けいたします」
ヤニングスも何も言うことなく、上級騎士らしく完璧で歪みのない教科書通りの一礼をこなした。
遂にサリヴァンもおかしくなったか。ベルリオーズは話を続けるサリヴァンを見つめながら時間が過ぎるのを待った。
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