135話 社会復帰に向けて

「では、答えを聞こうか」

「……わかった」


 薄暗い居房の中、矢沢を前にしたシュルツは重々しく呟いた。

 シュルツは社会復帰に向け、最初の対面から2週間の間に4度のカウンセリングを受けてきた。3回目までは反省している様子があまり見られなかったが、4回目で何故か意見を大きく変えている。


 奇しくも、それはあおばが攻撃を受けた3日後のことだった。たまたま現場を目撃していたらしい2等海士によると、カウンセリングの前日にアメリアとシュルツが男性用の兵員室ですれ違っていたらしい。その際に言葉を交わすことはなかったものの、アメリアの様子が変だったとも伝えられた。


 十中八九、その時に心境が変わったのだろう。

 矢沢が注目すべきは、4度目のカウンセリングを経て、シュルツの思考がいかに変化したか、ということだ。


 シュルツはほんの少し押し黙った後、やや小さめの声で語り始める。


「トイレ掃除を繰り返しながら、ずっとレセルドや事業のことを考えていた。あいつと未知の土地へ赴くことは楽しかったし、商機を見つけては貪欲にそこへ食い込んでいった。レセルドが市場や流通ルートの開拓、私が既存市場とのパイプ構築や消費者への売り込みを担当して、私とあいつの仕事は大きくなっていった。中でも世界で需要が大きかったのは、人間が放出する魔力に耐性のある鉱石や金属の採掘や開発だった。タングステンの鉱山開発もそうだが、レセルドが開発したアルミとスカンジウムの合金、アメリア銀の武器は高級品として取引されている」


 シュルツは遠い昔のことを懐かしんでいるのか、目の前に座る矢沢を見つめながらも、どこか遠いところを見るような目をしていた。


「だが、それもあいつがアモイに捕まったことで終わりを告げた。新規市場の開拓ができなくなったからだ。それに拍車をかけるように、タングステンの生産地であるアルトリンデでは政変が起こり、おまけに地方都市ではバベルの宝珠と呼ばれる謎の宝石が絡む内戦が各所で起こったせいで、レイリ・ミッドウェイが介入する事態にまで発展した。その混乱のせいで運営難になる鉱山が相次ぎ、産出される灰重石の生産量や質も落ちて、やがて灰重石の生産地がアモイに移った。貴重なタングステンを使いまわすリサイクル業者まで現れたことで私が介入する余地はもはやなく、奴隷の扱いに舵を切るしかなかった」

「それが奴隷貿易を始めたきっかけと?」


 同情を誘うような身の上話をされても、矢沢はそれを突っぱねる必要があった。どう足搔こうと、罪は消えるわけではないのだから。


「その通りだ。奴隷は世界各地で取引される上に需要も高く、きちんと根回しをしていれば新規参入者であっても有力貴族が補助金付きで雇ってくれる。ベルリオーズ伯は奴隷貿易を始める前から何度か取引をした仲でね、快く雇ってくれた。彼は少女が好みでね、付き合いで行く風俗店もそういう系統が多かった。私が少女を好むようになったのもアメリアのことはあったが、一番の理由は彼の行きつけにいた娘に惚れたからだ。彼女は退店してしまったので、奴隷の少女を買っては抱いていた。あの娘の肌の温もりが今なお忘れられない」

「そういうことか。君が奴隷制に賛同していたのも、その少女を抱くためだったと?」

「それもあるし、美術品の維持にも金が必要だったのもある」


 シュルツは一息つくと、再び黙り込んでしまう。


 アメリアは言っていた。シュルツは今の恵まれた地位から転落してしまう恐怖と、そこから抜け出せるという誘惑に負け、今の堕落した存在になったのだと。


 人間にとって、新しいものは強い誘惑となる。新しいおもちゃ、新しいスイーツ、新しいテーマパーク、新しいコスメ、新しい車、新しい思想、新しい快楽──

 知らなかったことを知る快感に加え、それ自体を楽しいと感じる心。新しいものとは人を強く惹きつけるのだ。


 おもちゃや車であれば問題はないが、それが政治思想や宗教、違法行為になれば話は別だ。他のそれよりも強く人を誘惑する。

 オウム真理教のようなカルト宗教や共産主義は国民全体に大きなダメージを与える概念である一方、少女への性強要は弱者をピンポイントでターゲットにしている。違法薬物は誰にも迷惑をかけていないとする主張はあるが、その売り上げは犯罪組織の資金源となり、社会や国民にダメージを与える。

 いずれも誰かの権利を侵害する行為であることに変わりはない。


 シュルツは結局のところ『人間として弱い者』なのだ。社会的弱者ではなく、自己満足に走り他人に被害を与える、人間として弱い者。むしろ社会では一般的な、多数派とも言える存在だが、彼のように不特定多数に被害を与えてしまっては裁く他なくなる。


 それに加え、アセシオンでは行き過ぎた小児性愛であっても相手が奴隷なら適法であるようで、輪をかけてタチが悪い。罪の意識を感じる以前に、国が罪ではないと宣言しているのだから。


「では、結論を聞こう。奴隷や少女への性強要に対して、自分ではどう考えている?」

「……アメリアは私を見ると、避けるように逃げていった。目を閉じて、私を強引に視界から消していた。屋敷で攻撃された時も、あの子は私を嫌悪していた。小さい頃は私に付きっ切りで、あんなに笑顔を見せてくれたのに」


 シュルツの声が悲痛なものに変わった。矢沢から目を離し、俯いてしまう。


「最初はあの子がガラッと変わってしまったのだと思っていた。しかし、そうではなかったんだ。変わったのは私だ。レセルドと共に海を渡っていた頃の私と、アメリアに愛想をつかされた今の私は全く違う。アメリアと同じように、少女たちも私に嫌悪感を抱いていたのだと思うと、急に自分が嫌いになってくる。何がいけなかったのか……」

「全て独善的に動いた君の責任だ。悔い改めるチャンスは2度もあった。それを棒に振り、私に強硬措置を取らせた。叩いて直るだけ動物と同レベルではある」


 矢沢は容赦なく続ける。ここで妥協してしまえば、彼に間違ったメッセージを送ることになってしまう。


「そうだな……少女たちには悪いことをした。今さら償えるものではないが……」

「それでも償いは必要だ。しかるべき時に、君はフランドル騎士団に引き渡される。あまり長期の抑留にはならないはずだ。その後の身の振り方を十分に考えるといい」


 シュルツは顔を伏せたまま返答する。彼の言葉が本心から来るものであれば、ベルリオーズ伯に引き渡す準備はほとんどできたことになる。

 だが、重要なのはこれからだ。どれだけ前準備を徹底しようとも、彼が社会復員後に同じことを繰り返すのであれば全く意味がない。


 彼が女性からことごとく見放された今、矢沢はせめて自分だけは失望させないようにと祈るしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る