128話 神ではない者たち
『では、お願いします』
「……了解」
上空2000mのやや強い風を受けながら、アリサは頷いた。
今はアセシオン北部を治めるローカー候の領主軍グリフォン隊に混じって行動している。眼下にかかる薄雲を飛び越えながら、これから起こることについて思考を巡らせていた。
真っ先に脳裏に浮かんだのは、以前、ハイノール島の沖合で、灰色の船ことアオバが煙を噴き出しながら飛翔する槍でグリフォン隊を殲滅せしめたこと。あの光景が瞼から離れないのだ。
あの船がどれほどの戦闘力を持っているかはわからないが、少なくとも40騎以上のグリフォンを空から叩き落とすことはできる。
どれほどの対処能力があるのかは不明だが、無制限に撃てるわけではないはず。だからこそザップランドは飽和攻撃という形を取り、アセシオン全土から戦えるグリフォン隊をかき集めたのだ。
それに加え、ベイナで補給を済ませた近衛軍艦隊がハイノール島の近辺に移動している他、領主軍艦隊も港から次々に出撃、もしくは沖合で待機しているはずだった。これも全て、アオバをこの世から消し去るためだ。
損害は覚悟の上。皇帝はそう考えている。ジンを敵に回してまでアオバを消し去りたいのは、ジンに対しても優位に立ちたい、もしくは負けて処刑されたくないという本能に近い欲望からだろう。
「……ふふ、バカみたいよね」
アリサは自嘲気味に独り言をつぶやいた。
領主軍は奴隷の使役で得た多額の資金で運営されている。農業全般や鉱業、サービス業と、奴隷はこの国になくてはならない産業になっており、それが強大な軍事力を持つアセシオンを形成しているのだ。
ただ、アオバの出現はアセシオンに大きな一石を投じた。今回の事件は彼らの客船がアセシオンの領域に踏み込んだことが原因とはいえ、それは航行不能だったが故の事故に過ぎない。それをザップランドが拿捕し、乗客たちを奴隷にした。それにアオバは怒り狂ったことで、この戦争は始まった。
そして、その責任は自分にもある。階級が上とはいえ、ザップランドは上司ではなかった。アセシオンの脅威だからと積極的にあの船を拿捕し、調査を行っていたのはアリサも同じだからだ。
「おい、オレがあれを沈めたら昇格できると思うか?」
「昇格? そんなので収まるか、金の銅像が建つぜ」
傍で鶴翼陣を形成する攻撃隊の男たちは密集して呑気に冗談を言い合っているが、その軽口もいつまで続くかわからない。
アリサは知っている。あの船の強さは尋常ではない。これだけの大群で挑んだところで、果たして勝てるかどうか。
「なあ、近衛の姉ちゃんよ、しっかりオレたちの活躍を記録してくれよな!」
「ええ、我々の出世はあなたにかかっていますからね。戦果確認はよろしくお願いします」
「全くもう、みんな気が早すぎ! それをトラのタヌキとカワイさんって言うんだよ」
「捕らぬ狸の皮算用だ」
軽口を言っていた男たちを隊長騎である黒髪の女騎士が笑いながら諫めたが、彼女もまた副隊長のハンサムな白髪男に間違いを訂正されていた。
隊長はアリサと同年代か少し下程度、アメリアとも気が合いそうな年頃で、少女のような可愛らしい顔立ちをしている。編隊長の印である黄色いマントと、私物らしい黒いスカートがファンシーな雰囲気を醸し出していた。
彼女だけではない。この編隊を構成する者たちは誰一人として勝つことを疑ってはいなかった。
「……そうね、わかってるわ」
どうせ言ったって無駄だ。情報は彼女らにも伝わっているはずだが、全く恐れてなどいない。アリサは諦めて生返事を返すしかなかった。
ヤニングスの指示通りならば、もうすぐ敵が見えてくるはずだった。あの船が見えた時が、この編隊の最期だ。
「でも、みんなの言ってることもわかるよ。だって──っ!?」
編隊長が無駄話をしていた時だった。編隊の進行方向から何かが飛んでくるのが見えたのだ。
アリサには見覚えがあった。それは、以前見せつけられた、煙の矢。
「うそ、よけ──」
編隊長が手綱を引き、回避行動を取った時にはもう遅かった。それも進路を変えて編隊長の鼻先で爆発し、黒い雲が周囲を覆った。
「うぐああああっ!?」
「うっ……なんだ、これは……」
爆発に巻き込まれた後続の編隊が崩れていく。それもそのはず、隊長騎を始め、編隊を構成していた数名がどこかに消えていたからだった。
「隊長、隊長はどこだ!?」
「……こ、ここです」
運よく回避できたらしい副隊長の白髪男と彼のグリフォンが全身血まみれの状態で黒い雲から出てきて、片方しか残っていない腕に持っているものを編隊員たちに見せた。
人の下腹部だった。
内臓や骨盤が露出してモニョモニョの肉塊になったそれには、編隊長が履いていた黒いスカートの一部がまとわりついていた。
「うっ……!」
編隊員の何名かは、反射的にそれから目を逸らした。
副隊長も無事ではない。右腕が根元から無くなっており、流れ出る赤黒い鮮血が編隊長のそれと混じりあっている。
「また来るぞ、散れ!」
茫然自失の状態だった副隊長に代わり、銅像が建つと言っていた男が絶叫にも似た声を張り上げた。
だが、遅かった。彼が言い終えた直後に、副隊長へ煙の矢が命中。耳が潰れんばかりの爆発音と共に黒煙が巻き起こり、何かがアリサの横を擦過した。
もはや副隊長の姿すらなかった。編隊は散り散りになり、アリサも巻き添えを食らわないよう退避するのが精一杯だった。
グリフォンたちはよくやっている。あれだけの爆発を受けても怯まず、まだ立ち向かう意思をその鋭い目に宿していた。
「まだいける?」
「グゥエアアアアアァァァ!」
アリサのグリフォンがいななくと、降下しながら速度を上げていく。
ここからアオバは見えていなかった。それなのに、彼らはどうやって正確に攻撃してきたのか。グリフォンから船を見下ろすのは容易だが、船からグリフォンを捉えるのは難しい。大きさが全く違うからだ。
目視範囲外からの長距離攻撃。明らかに常識を超えている。
戦いは始まってしまった。我々が認知できない場所から。
あれだけの力を持っているのに、敵はジンや神のような超越者ではない。その事実が、アリサの心を強く蝕んでいた。
これが神や自然の力ならば、まだ諦めもついた。それは抗いようのないものだからだ。
だが、敵はただの人間、それも魔法も満足に使えない者たち。それが、人知を超えた魔法の力でここまでのし上がってきたアセシオンの軍を手玉に取っている。
アリサは腹部にミサイルの破片を受けて流血していたが、空に次々咲き乱れる灰色の花を眺めるのに夢中になっていて、痛みにさえ気づいていなかった。
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