番外編 記憶の底から・油と嘘の涙 その2
「武力を使わないんですか?」
「他国を攻撃するための武力は持たない。あくまで自分を守る盾。だから『自衛隊』だ」
「ナガミネちゃんの言ってたことはそれだったのね」
フロランスは直近の幹部会議での長嶺の態度を思い出していた。あれは自衛隊の、ひいては日本の姿勢を強調したものだったのだ。
「私の家は貧乏だった。だから在学中も給料が出る防衛大に行って、金を稼ぎながら大学を出ると共に少しでも給料のいい民間企業へ就職することを希望していた。その目論見が潰えたのは、雪城との喧嘩やバブル崩壊の影響もあったのかもしれない」
「ばぶる……?」
当然ながら知らないアメリアは首を傾げる。矢沢もそれは承知で、なるべく丁寧にかいつまんで説明した。
「当時の日本は好景気に湧いていた。仕事をすればするだけ裕福になれ、贅沢な暮らしができる。女は家事をする傍らで高級ショッピングや茶会を、男は仕事を終えれば酒やキャバクラで女の子と遊んだ。防大時代の私はそういうのには無縁だったが、辛い大学生活を終えれば夢の社会人生活が待っている。そう思っていたのだが、好景気が一転して不景気になったことで、その社会は終わりを告げた。給料が低く社会の底辺だった公務員、つまり役人が人気の職業へと変わったんだ。自衛隊は外国軍とは違って、公務員でも民間人から給料泥棒だの戦争屋だなどと言われ、やぶ蚊のごとく嫌われる最底辺の存在だったが、私は自衛隊へ進まざるを得なかった」
*
「おい、任官拒否するだと!?」
あれから3年後、卒業を間近に控えた矢沢と雪城は、防衛大の敷地にある学生食堂の前で喧嘩を始めていた。
雪城は矢沢が任官拒否すると聞き、怒りで顔を真っ赤にしている。一方の矢沢は神妙な面持ちで雪城をじっと見つめる。
「そうだ。俺は自衛隊には入らない。あのナイラ証言はアメリカとクウェートのエゴが生んだものだった。自衛隊はそれに巻き込まれかけたんだ。俺は政治屋のエゴで人を殺すようなことはしたくない。自衛隊は人の命を奪わない、戦争もしない、死者も出さない。それをよしとしてきた。それが部隊派遣に舵を切ったんだ。掃海だけじゃない、次は本格的に戦争をするかもしれないんだ。日本を余計に危険な目に遭わせることはしたくない」
「お前はイラクを見なかったのか? ありゃどう見ても追い詰められた戦前日本と瓜二つじゃねえか! 世界は平和になんかなってねえ、これからもっとヤバい時代が来る。中東とアメリカの戦争だ。あの辺りはイスラエルだっている、アメリカがこれ以上介入しないわけがねえ。その時日本はどうなる? 石油を止められたら大変なことになる。日本がまた窮地に立たされないようにするには、どうしても外に軍事力を向けないといけねえんだよ!」
「世界情勢と俺の考えは違う! 俺は人殺しなんてしたくない!」
「自衛隊は人殺しだっていうのかよ!」
遂に雪城は激高し、矢沢の顔面に右ストレートを叩き込んだ。まばらにいた学生たちが雪城と矢沢へ興味の目を向けている。
「く……やったな、この!」
矢沢は不意を衝かれた形となったが、すんでのところで耐えて反撃に出る。雪城の胸倉を掴んで手前へ引き寄せると、その力を跳ね返すように鼻っ柱へパンチをねじ込んだ。
「ぐああっ!」
「お前はいつもそうだ、物事を短絡的に考える! 窮地に陥ったら戦争をすればいいだと? それこそ戦前の日本と同じ思考回路だろう!」
「戦争に誘導されたんだよあれは! そもそもな、アメリカに防衛を頼り切りなのが悪いんだ! 日本も軍隊を持つべきなんだ! オレはそこに協力する!」
「お前が何をしようと勝手だが、俺は人殺しなんかしない!」
それからは何名かの学生が乱入して矢沢と雪城を取り押さえるまで殴り合いが続いた。もちろん、後で教員から呼び出しが来たのは言うまでもない。
*
「私はかつて米国に占領されていた沖縄県の出身だったこともあって、当時は米国への反発心が強かった。今も沖縄に駐留する米軍は早く出ていってほしい。いても得をするのは基地の土地利権を持っている者だけだと、心の隅で思っていたのかもしれない。そこに自衛隊の不戦と戦死者ゼロという実績という理由付けと派兵への抗議の意も込めて、私は任官拒否を選んだ」
矢沢はため息をつきながら、1つ1つ思い出して言葉を紡いだ。
アメリアやフロランスは聞き入っていたが、瀬里奈は既に興味を失ったのか爪を噛んでいた。さすがに小学生には話が難し過ぎたか。
「それでも、ジエイタイには入ったんですよね?」
「そうだ。特に顔を見知っていた教員にみっちり叱られてね、そこで言われたんだ。『自衛隊員は誰も人を殺したがってはいない。人々を守るのが仕事だ。それでも引き金を引かなければいけない時が来るとすれば、それは大切な誰かがお前の後ろにいる時だ』と」
「大切な誰かが……私の後ろにいる時……」
アメリアは思いつめた様子で俯き、自分に言い聞かせるように矢沢の言葉を反芻した。
ロッタの前には取り戻したいものがある。フロランスの後ろには守りたいものがある。自衛隊は前にも後ろにも守るべきものがある。
ならば、アメリアはどうなのか?
「私の、前と後ろ……」
村を守っていた時とは違い、今のアメリアに守るものはない。彼女が戦う理由は前でも後ろでもなく、もう二度と戻らない過ぎ去った時間のためだ。
フランドル騎士団と自衛隊は前に進んでいる。前にあるものを取り戻すべく、後ろにあるものを守るべく。
だが、アメリアはそうではない。過ぎ去ったものへ届かない腕を伸ばしているだけではないのか?
そんな疑念が心の内から湧きあがってくる。
「結局、私は任官拒否せずに自衛隊の道へと進んだ。就職氷河期と言われる就職困難な状況に入ったこともあって、就職は難しいと半ば諦めたからだ。それに、その教員からの言葉も耳に残っていたのかもしれない」
「ふふ、正義感に駆られてとか、そういう理由じゃないのね」
「私は正義のヒーローを名乗るには相応しくない」
フロランスが笑うと、つられて矢沢まで破顔してしまう。
「それじゃ、うちが正義のヒロインになったるわ!」
「瀬里奈はダメだ。10年早い」
さっきまで手遊びしていたはずの瀬里奈がすかさず口を挟んでくるが、矢沢はピシャリと止める。このままでは本当に正義の味方を名乗ってアセシオンに突撃しかねない。
話は終わったが、アメリアの心中にはどこかわだかまりのようなものが残っていた。
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