86話 長い旅路
「では、後を頼む」
「はいっ! 艦の指揮を頂きました!」
矢沢が艦を離れることになるので、今後のあおばとアクアマリン・プリンセスの指揮は佳代子に一任されることになった。
もちろん不安がないわけではない。組織の長として、未熟な部下に指揮を委ねるのは不安が付きまとう。
だが、副長には多くの仲間が付いている。全ての乗組員を信じて、彼らに後を託すのだ。
隣であおばの艦橋を見上げているフロランスやロッタも同じ心境だろう。
「では、行こう」
「ふふ、わかったわ」
「言われずともわかっている」
矢沢が声をかけると、フロランスはにこやかに、ロッタは口を尖らせて応える。
アリサと運転手の3曹が待つ高機動車に乗り、幹線道路を目指して森の中を進んでいく。
無論ながら、支援もなしに敵の本丸へ乗り込むことはあり得ない。フランドル騎士団の協力を得てSH-60Kの給油拠点を首都までの各所に配置し、万が一の場合に備えて波照間率いる立検隊を首都へ送り込む態勢を整えている。立検隊はあおばやアクアマリン・プリンセスの船内、陸上で訓練を受けている。
達成すべきは、アメリアと瀬里奈の救出。そして、アセシオン国内にいる邦人の解放。そのための準備は一切怠ってはいない。
* * *
国内でのキャラバン移動のために整備された道を通っても、首都へは10日以上かかった。
度重なる魔物の妨害に加え、夜間は危険なため行動を停止する必要があり、それに加えて道は整備されているとはいえ、石なども多い未舗装の道路なので速度は出せない。
これを理由に、SH-60Kでの支援体制を確立するための時間稼ぎとした。アメリアと瀬里奈のことも心配ではあったが、人質としている以上は手を出されないと読んでのことだった。
旅路のほとんどは車内で寝て過ごすか、野宿の際にトレーニングを行うことに費やした。フロランスの魔法で使用した弾も戻ることから、アリサの目を盗んで射撃訓練もこなした。
アメリアと瀬里奈は、今も辛い目に遭っている。早く解放してやりたい。その気持ちだけは変わることがなかった。
そして10日後、矢沢らを乗せた高機動車は首都機能を有する城塞都市であるラフィーネの正面城門前へと辿り着いた。
サンドベージュのレンガを組み上げた15m前後の城壁が横方向へ延々と連なっており、道路と交差する地点には関所が設けられている。
「ここが首都か……」
「そう、帝都ラフィーネよ。ここ600年はどこの国の侵略も受けてないわ」
運転手である砲雷科の愛崎三曹が呟くと、アリサがご丁寧にも補足説明を入れてくれる。
「近いうちに火の海にする場所だ」
「あらあら、好戦的な女の子は嫌われちゃうわよ? 今日は下見だけにしましょうね」
「まだ嫁に行く予定はない」
一方で、ロッタとフロランスは物騒なのか女の子らしいのかよくわからない会話を繰り広げている。
とはいえ、変に身構えたり圧倒されるようなことがないだけマシだろう。慣れないことへの耐性は軍隊において必須のスキルだ。
我々の前後を挟んでいた幌馬車の運転手や乗員たちもそうだったが、高機動車をその目で見た関所の兵士は目を丸くしていた。
アリサが木製の手形を兵士に見せるとすぐに通行許可が下りたが、やはり人々の目は高機動車に釘付けになっていた。
街中はややピンクがかったレンガを主体に使った中世風の建物が多く、その階層も3階程度のものが多い。
街の北側に見えている城はドイツ風の白い塔状構造物が集まったもので、内側の城壁はあるものの、軍事拠点の機能より見栄えを重要視されている。街の入口からそこまでのメインストリートで繋がっているようだ。人通りは多く、どこぞの歩行者天国を思わせる規模だ。通行人のほとんどは高機動車に目を奪われていたが。
「艦長、さすがにこっちを見てくる輩が多くないですか? 気になって運転に集中できないんですけど……」
「何なら運転は替わってもいい」
「いえ、恐縮です」
さすがに集まってくる視線には耐えられないのか、愛崎はバックミラー越しに不満を訴えてくる。交代を提案したら断られたが。
「こんな奇妙な物体が変な音を立てて走ってたら、そりゃみんなこっちを見るでしょうね」
「魔法で動く車はないのか? 君たちは魔法で帆船を加速させると言っていたが」
「船と比べちゃダメよ。船はあくまで加速させるだけだもの。あんたたちみたいに精緻なものを作る技術はないし」
アリサは遠い目をどこかに向けながら言う。何だかんだ言って、アクアマリン・プリンセスでの生活が懐かしいのだろうか。
しばらく人々の目線を釘付けにしながら、高機動車は城まで移動していく。
状況は最悪に近いが、交渉のテーブルは用意された。自衛官という身分には不相応な舞台だが、組織の長としてこれ以上に相応しい席はない。
本当の戦いは、あの城の中で始まるのだ。
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