71話 スパイと今後の話
「なるほど、彼女ですか」
機関長の長嶺が『スパイ』の隠し撮り写真を見ながら、仏頂面を崩さずに言う。
現在は士官室で幹部会議が行われており、そこにはロッタやフロランスの他、そして異例のことながら療養中のアメリアが参加していた。
今回の議題は、今後の活動とスパイへの対処だ。まず手始めに、そのスパイへの対策について話し合われている。
「彼女は先の海戦でアクアマリン・プリンセスに乗り込んできたんじゃないかしら。それ以前は見かけなかったもの」
「ということは、自力で乗り込んだのか?」
「ありえない話ではないぞ。奴らはツルツルの壁をロープ無しで登る」
驚愕する矢沢に対し、ロッタは冷静に突っ込みを入れる。壁を登るにはクラックと呼ばれる壁の裂け目や岩肌の出っ張りなどを必要とするが、それが一切ない建物の外壁を登れるというのだ。
「なんじゃそりゃ、スパイダーマンじゃねえか!」
「それじゃ、手から蜘蛛の糸を出せたりできるんですかぁ?」
さすがに人間離れしているからか、鈴音が間抜けな声を上げる。佳代子も興味津々だ。
「これもまた魔法の応用だ。我には真似できないが」
「ロッタちゃんはいいのよ。だって強いんだから」
「だから、人前で頭を撫でるなと言っているだろう……」
子供扱いやあだ名呼びで暴れるロッタだが、フロランスの前では大人しくなる。会議には似つかわしくない光景だと思いつつも、矢沢は話を先に進める。
「このスパイの処遇だが、このまま泳がせておこうと思っている。どのように島との連絡を行ったのかが不明だが、存在さえわかっていれば対処は楽だ。今後は警戒監視を続けた上で、コンタクトを取ってアセシオンとのパイプに使う」
「おかしな話だ。芸を仕込んでない犬に芸事なんてできるわけありませんぜ」
「わざわざ芸を仕込む必要はない。餌を与える前に鈴を鳴らすだけでいい」
武本は矢沢の考えに疑問を呈したが、すぐさま反論する。
「鈴ですかい?」
「防諜を徹底的に行いつつ、こちらに有利な情報を流してもらう。そのためには、相手の通信手段を何としても調べる必要がある」
「それについては我々もわからない」
通信方法に関してはフランドル騎士団も同じ悩みを抱えているのか、ロッタが渋い顔をする。
「今までは各所に脚が速い馬や連絡員を置いているのだと思っていたが、今回のことでよくわかった。お前たちの展開速度は我々を遥かに凌ぐほど速いが、奴らの情報伝達がそれ以上の速さだというのは今までわからなかったからな」
「もしかしたら、未知の魔法を開発したのかもしれないし、あなたたちと同じように電波か何かで通信する技術があるのかもね」
フロランスは笑みを浮かべたまま淡々と持論を述べるが、菅野は逆に嬉しそうな表情をする。
「それならいいんですけどね。ELINTやESMで探知できるし、暗号化もされてないならハズかしい話も筒抜けですよ」
「その点については調査を行うとして、このスパイの運営をフロランスくんに任せたい。詳細は追って説明しよう」
「ふふ、わかったわ」
フロランスのよいところは、この堅苦しい会議の場に華を添えてくれるところだった。彼女が微笑むだけで、士官室の雰囲気がほんの少し軽くなる。
「では、この話は終わりだ。次は今後の活動について話そう」
矢沢は事前に用意した書類を各員に配り、内容を端折って説明していく。
「この女スパイの調査と並行して、政府への浸透作戦を行いたい。第1段階は基礎調査部隊を派遣して首都の状況を調査、第2段階は協力者の獲得を行い、第3段階で協力者の手で我々へのプラスイメージを浸透させ、第4段階で直接交渉に乗り出す」
「その協力者が例のスパイと?」
「いや、あのスパイとは別に政府要人をこちらの工作員に仕立てておく必要がある」
「慎重を期す必要がありそうですね。一歩間違えたら立場が危うくなります」
大松は腕を組みながら深く考え込む。スパイの運営は敵方に利用されるリスクも負うことになるからだ。
矢沢は配布された資料をめくりながら、その『獲得すべきスパイ』についての説明に入る。
「この作戦においては、政府要人をこちらのエージェントにすることが最重要課題になる。できるならば皇帝をエージェントに仕立ててもいい。政府への交渉窓口を設けることができれば、邦人帰還のための突破口が開ける」
「皇帝を、スパイにするんですか……!?」
それまで黙ってアセシオンの言葉に翻訳された資料に目を落としていたアメリアだったが、矢沢の方に身を乗り出した。
「どうした、落ち着いてくれ」
「どうしたって、あの暴君を味方に引き入れるんですか!? おかしいですよ、ヤザワさんたちの仲間も殺されてるのに……」
「直接手を下した者は大宮たちが片付けた。命令した者の存在は不明だが、少なくとも皇帝ではない。それに、皇帝は国家そのものではない。確かに彼を篭絡すれば交渉は大いに進むだろうが、敵は完全に消え去るわけではない」
「だからって、そんな……!」
「落ち着け。前も言った通り、復讐は何の利益も生まないどころか、報復の連鎖を生んで無制限に周りの人間を傷つける。君をここに呼んだのは、瀬里奈に警告を与えて釘を刺すよう伝えるためだ。その君が暴走してはならない」
「瀬里奈ちゃんが……?」
アメリアは何が何だかわからないと言いたげに、目をぐるぐると回していた。アメリアにとって瀬里奈に魔法を教えるのは単なるコミュニケーションの一部でしかないのだろうが、矢沢から見れば、正義感が強い瀬里奈自身の命を危険にさらしかねない行為でしかないのだ。
ここで道を間違えてはいけない。アメリアも、瀬里奈も。
矢沢はその気持ちをもって、アメリアに向き直って肩に手を置いた。
「大人になれ、アメリア。学ぶという行為は、人生を豊かにするための準備だ。決して誰かを悪の道へ誘い込んだり、闇へ落とすような行為に使ってはいけない」
「……っ」
アメリアは何も言わず、自分の体を抱いてそっぽを向くばかりだった。
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