70話 遅れた連絡
アクアマリン・プリンセスに限らず、現代の大型客船にはテンダーボートと呼ばれる多目的ボートが多数搭載されている。
これは寄港地でのレジャーや陸地との連絡、それに加えて救命ボートとしても利用される小型船であり、現在は専ら停泊中のあおばとアクアマリン・プリンセスの移動に用いられている。アクアマリン・プリンセスにはヘリポートがないせいで、ヘリによる連絡ができないからだ。
なので、原則的に航海中は2隻の間を行き来できないという弱点も抱えている。魔法のアシストにより大ジャンプを行えるアメリアは除くが。
矢沢はあおばに一時収容していた民間人やシュルツをアクアマリン・プリンセスに移動させる作業を終え、テンダーボートであおばに戻ろうとしていた時だった。
プリンセスの乗組員がボートに乗り込む矢沢に短く敬礼をすると、ボートを降ろす作業を進める。
「ありがとう。いつもご苦労」
「いえ。それでは」
所属は違うとはいえ、船乗りであることに違いはない。矢沢は乗組員にお辞儀をすると、ボートの操縦席に移動する。
エンジンをアイドリング状態にする作業を進める中、窓の外で何かが動いているのが見えた。何かと思いプリンセスのプロムナードデッキを注視すると、フロランスが慌ててテンダーボートに駆け込んできたのだ。
「フロランスか。何の用だ?」
「はぁ、はぁ……やっと会えたわ」
彼女にしては珍しく、肩で息をしていた。かなり急いでいた様子だったが、それほどまでに重要なことなのだろうか。
フロランスは矢沢の隣に腰かけると、彼の顔を覗き込んだ。
「船内でスパイが活動をしているって聞いたかしら?」
「ああ、聞いている。もしや、情報を掴んだのか?」
「正確には、前から掴んでいたって言った方がいいかもしれないわ」
「前からだと……?」
フロランスの突飛な発言に、矢沢は渋い顔をする。どういうことかと問い詰めたかったが、その高ぶる気持ちを抑えてフロランスの話を聞くことにする。
「そう。何日か前に海戦があったわよね? その時にアセシオンのスパイがプリンセスに紛れ込んだの」
「海戦……あの時か」
数日前、あおばの前に現れた規格外の巨大艦隊の生き残り。その生存者がいつの間にかアクアマリン・プリンセスに乗り込んでいたのだ。
そうとわかれば、スパイを洗い出し、部隊を正常化させるのは簡単だ。
だが、そうはしない。矢沢には計画があった。
「それで、監視は?」
「わたしの側近がやってるわ。逐一行動は報告させてるから、あなたにも共有したいのだけれど」
「それは後でいい。それと、なぜ早く報告をしなかった?」
矢沢にとっては、このことが一番気がかりだった。
上陸前に報告されていれば、もしかしたら死者は出なかったかもしれない。その悔しさが胸にこみ上げてくる。
フロランスもさすがに責任を感じているのか、いつもの柔和な笑みは姿を消していた。
「報告の手段がなかったから。ロッタちゃんは戦闘技能こそ高いけど、魔力波を探知するのは苦手なの。それに、安易に魔力波を発射してしまえばスパイに気づかれる恐れもあったから」
「そういう考え方もあるか。それならば、我々の通信機器を使えばよかっただろう。プリンセスのブリッジや通信室で我々と通信が可能だ」
「あら、そうだったの? 知らなかったわ」
フロランスは再びニコニコと笑顔を浮かべながら言う。矢沢が思うほどに責任は感じていないようだ。
というよりも、本人にとってはうっかりミスの範疇なのだろう。知らなければ彼女の責任ですらない。
むしろ、連絡手段を確立していなかった矢沢ら自衛隊側のミスと言っていい。
「そうか、わかった。今後は君たちとの連携を更に密接なものにしていかねばな」
自衛隊にとっても、この世界での行動は暗中模索、手探りでの行動に他ならない。反省すべき点は多くある。
いずれにせよ、今後の方針はほとんど決まったようなものだ。起こってしまったことはしょうがないし、この失敗を次に役立てればいい。死んだ者の命は取り返せないが、彼らの犠牲を無駄にするようなことをすれば、彼らの存在を更に貶めるものになってしまう。
テンダーボートが海面に降ろされ、エンジンの唸り声と共に静かな波間を走る。今後の戦いを既に見据えた男を乗せて。
* * *
「それで、どうするのですか?」
「今後の予定については未定です。ライザの追加報告がほしいところですね」
「わかりました。彼らの組織構造と技術を調べてみたいので、あと2週間はここに滞在します」
「軍隊ならば組織構造は似たものになるはず。まずは技術を洗ってください」
「では、それで。また今度、ヤニングス」
「ええ」
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