番外編 ライザの休日・その2
ライザはまたもや困り果てていた。
鏡の前に座ったところまでは良かったが、どうすればいいのかわからない。なぜ鏡が置いてあるかさえよくわかっていないのだ。
仕方なく、隣に座るアリサに耳打ちする。
「ここは体を洗う場所だと言っていたけど、具体的にはどうするんだい?」
「この蛇口をひねればお湯が出るのよ。熱いから調節してね」
「はぁ……」
アリサが見せたお手本通りに、鏡の下に配置された蛇口をひねる。すると、熱すぎずちょうどいい温度の湯がこんこんと流れ出してきた。
「すごい……」
似たような装置なら魔法で再現可能だが、全く魔力の気配なしにこんな離れ業を成し遂げられるとは驚きだ。
タオルを湯に浸し、石鹸とシャンプーで体を念入りに洗っていく。水浴びや蒸し風呂は苦手だが、体を清潔にするのは気持ちがいいものだ。
一通り洗い終えると、フロランスが頃合いを見て話しかけてくる。
「それじゃ、あっちに行きましょ」
「ええっと……」
洗顔を終えたつやつや肌のフロランスがライザの腕を引っ張る。さすがに肌を触れ合わせるのは慣れておらず戸惑ったが、彼女はそんなことなど全く気にも留めていない。
改めて見ると、子供のままの部分もしっかり残っている少女なのだとライザは感じていた。それとも、風呂で全裸になっているせいで心もむき出しになるのだろうか。
一度かけ湯をして、それから湯船に足を入れた。やや熱めの湯で足が引っ込んだが、ゆっくりと入り直して体を慣れさせる。
「いい気持ちよね。こうやって誰かとお風呂に入るのって」
「そうですね」
思ってもみないことだが、とりあえず返事だけはしておく。ライザは1人が好きなのだ。
フロランスは湯船の縁に背中を預けつつ、巨大な窓からどこまでも続く海原を眺めていた。先ほどと変わらない微笑を浮かべたままで、心の内を覗くことはできない。
「少し聞いてもよろしいでしょうか」
「何かしら?」
「あなた方は騎士団として戦っていると聞きます。あなたが戦う理由とは何ですか?」
「戦う理由? そうねぇ……」
フロランスは顎に人差し指を当て、やや空を仰ぎ見るようなポーズを取った。
彼らが国を取り戻すために戦う反政府組織であることは承知している。だが、それでも個人的に聞いておきたい事柄ではあった。
内戦は結果的に国力を低下させるばかりか、国を取り戻しても戦いで兵士は疲弊しているはず。元の国に戻ることはない。そんな国を同胞の命を賭してまで取り戻すことに何の価値があるのか。ライザにはそれがわからなかった。
少し考えたフロランスは、おもむろに口を開いた。
「これ以上、悲しむ人たちを増やしたくないから、かしら」
「悲しむ人を? どういうことですか」
フロランスの答えに、ますますライザは混乱する。彼女らがやっていることは、それこそ人々を悲しませるだけの行為だというのに。
「昔からアセシオンは拡大政策を続けて、周りの国がどんどん吸収されて奴隷にされているわ。そうやって売られていく人たちの顔を見ていると、とてもやりきれない気分になるの。これからどうなっちゃうんだろう、っていう悲しい目。もう、あんなのは見たくない……」
「……そうですか」
ここまで終始超然とした態度を取っていたフロランスが、体を抱えて震えていた。
彼女の過去にどんなトラウマがあるのかはわからない。豹変とも言えるほど態度を急変させるような出来事があったことは確かだろう。
「だから、わたしは戦う。ロッタちゃんや他の騎士の人たちだって、国や家族、故郷を背負って戦ってるの」
「どこかで聞いたことがあるような話です」
「あなたの世界にも、そういう人たちはいるの?」
フロランスは疑うような目つきで顔を覗き込んでくる。この場合、彼女が言うあなたの世界とは、この船がやって来た世界なのだろう。
とはいえ、そこがどんな場所なのかはわからない。ライザは誤魔化すことに終始することにした。
「世界が変わろうと、誰かを守るために戦うという考えは世界共通なのでしょう」
「そういう見方もあるのね」
フロランスは笑顔を取り戻し、ライザの頬をつついていた。
「やめてください」
「あなた、意外と面白いのね」
「どういう意味ですか」
「いえ、なんでもないわ」
ライザがフロランスの手を払いのけるが、彼女はやはり笑みを浮かべているだけだった。
それからは、体を念入りに洗っていたらしいアリサも含めて風呂を楽しんでいた。フロランスだけは途中で上がり、それから数分後にアリサとライザも続いた。
結局、望んでいた情報はほとんど手に入れられなかったが、フロランスの心の一部は垣間見ることができた。
他人の苦しみを自分のことのように感じる、共感性が高い少女。それがフロランスなのかもしれない。
ライザは火照った顔を手で仰ぐ一方で、フロランスの怯えた表情をふと思い出していた。
* * *
フロランスはアクアマリン・プリンセスの自室に戻り、今日の日記を書き連ねていた。
この船での生活はだいぶ慣れている。それ故に、今回の出来事は少しばかり新鮮味があったと言える。
「未知のスパイ、アセシオンの手先……どういう経路で乗り込んできたかはわかったけど、ジエイタイの人たちは気づかなかったのかしら?」
誰も聞いていないことをいいことに、無遠慮に愚痴をぶちまけた。それでも気が収まらないことは確かだが。
いずれにせよ、このことは早く自衛隊の代表者である矢沢に連絡しなければならない。
だが、そこで1つ大きな問題が立ちはだかっていた。
「スパイのことを伝えたいのは山々だけど、どうやって連絡しようかしら……」
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