60話 奴の名は
「ヘイヨー! 一杯お魚ありますぜな!」
「……レイリ・ミッドウェイが作ったとされる、不思議の指輪。1個2300デリット」
「でんでんでん、デンゴフルーツ! 1個、23チェリス!」
夕暮れ時だというのに、リーノの街はまだ活気に溢れていた。
白い漆喰の壁や西側に広がる海面が陽光を照り返し、街を茜色に染め上げている。その中を指に小さな明かりを灯した通行人たちが行き交う。
太陽の反対側にある藍色の空には、青く大きな月と黄色く小さな月が浮かび、夜の訪れが近いことを告げていた。
地球とはかなり似ていて、けれども、どこか違う世界。
幻想的で、そして日常的な光景が矢沢らの眼前に広がっていた。
「やはり、
「はい。やはり地面の上が一番です」
矢沢の独り言に近い一言に、波照間が頷く。
世界の在りようは違っても、そこに生きる人々は変わりない。そのことを彼らは教えてくれる。
「この一ヶ月の間、全く陸に上がっていない隊員たちも多い。休息は多めに取らせているものの、いつ爆発するかわかったものじゃない。本来なら、どこかの街に上陸させたいのだが……」
「今は緊急時だ。気持ちはわかるが、あの巨大船の施設で我慢してもらう他ない」
「それはあまりに酷な話だ。特に今はな」
ロッタは厳しく言い切るが、矢沢はロッタほど冷淡に割り切れない。今はその必要があるからこそ上陸を我慢して邦人の救出に赴いているだけだが、本当ならば今すぐにでも横須賀に帰港し、全てを日本政府に委ねたいと思っている。
矢沢らあおばの乗組員がしていることは、本来ならテロリストと何ら変わりのない行動でしかない。そんな行為を、有無を言わさず隊員たちにやらせているのだから。
「皆さん、そろそろ奴隷市場です。覚悟はよろしいですね?」
「……」
そこに、シュルツが神妙な面持ちで話しかけてくる。矢沢らは彼の目を見たまま無言を貫いた。
「わかりました。それでは行きましょう」
主に庶民向けの物品売り場を抜け、港から離れて森の方へ行ったところに奴隷市場があるのだという。そこでは様々な種族や性別、年齢の奴隷が売り買いされている。
だが、そこへ行こうとする彼らを、途中で邪魔する者たちがいた。
「そこ、止まれ。この先へ進むならチェックをさせてもらう」
「ちぇ、またかよ」
前方を見ると、革や粗末な金属でできた防具と質素な剣を持った兵士が通行人を引き留め、ボディチェックと荷物確認を行っていた。
「面倒だな、検問か」
「この辺りは海賊や敵国スパイの出入りも多いので、よく検問を行っているんですよ。フランドル騎士団との取引も楽ではありません」
「我らは迷惑している。検問が増えたせいで人や物資の損害も増えているのだからな」
シュルツとロッタは立場こそ違えど、彼らに対しては同じ感想を抱いているようだ。
「しかし、変ですね。確かに検問はよくあることですが、闇市である奴隷市場で行うことは普通ありません」
「それって、何かヤバいかもしれないってことですか?」
「その通りです」
大宮が恐る恐る聞くと、シュルツは大きく頷いた。
もしかすると、例の海戦の結果が何らかの形で伝わってしまったのかもしれない。矢沢の脳裏に嫌な予感が渦巻いていた。
シュルツは検問を行っている兵士に近づき、話を振った。
「少しよろしいですかな」
「シュルツさんですか。一体何事で?」
「それを私も聞きたいと思っていました。なぜこんなところで検問を?」
「上からの命令です。フランドル騎士団の幹部がこの街にいる、との情報をどこかで掴んだようでして」
「フランドル騎士団の幹部、ですか……」
シュルツは兵士にばれないよう、ほんのわずかな間だけロッタに目をやる。顔を隠していない自衛隊員とは違い、ロッタだけはある程度顔が割れてしまっているので、フードを深々と被っているのだ。もちろん偵察任務なので非武装であり、いざとなれば得意の剣技は使えない。
「心配ない。いざとなれば私の孫の振りをすればいい」
「それはそれで癪に障る」
子供扱いが嫌いなロッタにとって子供の振りをするのは苦痛でしかないだろうが、それでも乗り越えてもらわなければ困る。
ここで正体を悟られれば、残っているかもしれない邦人の救出ができなくなってしまうのだから。
シュルツは兵士に視線を戻すと、努めて平静に何事もなかったかのように話を続ける。
「では、その幹部の名前もわかっているのですか?」
「ええ、フロランス・フリードランドにロッタ・ノルマンディーと」
「え……?」
その名を聞いた途端、佐藤が冷や汗を流した。波照間もどこか表情が硬い。直接聞いていたシュルツは顔色一つ変えなかったが。
「そうですか。お勤めご苦労さ──」
「何度も言わせるな! 我をロッタと、呼ぶなああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
矢沢が気づいた時には、ロッタは既に彼らの下を離れていた。
「なんだおま!」
「このクソ共が!!」
ロッタは人混みをかき分けて兵士に近づくと、あらん限りの力で金的蹴りをお見舞いする。金属部品で覆われていない兵士の股間に、魔力が乗った強烈な蹴りを防御する能力はほとんどなかった。
「だあ゛あ゛あ゛お゛お゛おぉぉぉ!!」
街中に轟く絶叫。一方で自衛隊員たちの血の気は引いていた。
「ありえん……」
兵士が集まり始めて騒々しくなっていく中、矢沢は頭を抱えていた。
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