56話 優しき商人

「いやはや、お待たせして申し訳ない」


 屋敷の入り口付近に用意されたサロンに現れたのは、50代ほどの初老男性だった。やや小太りな体型で、清潔な白いシャツとサスペンダーで吊った長ズボンとラフな格好をしている。

 見た目で言えば、都市部でパン屋をやっていそうな恰幅のいい男性。髭も剃っており不潔という印象はなく、きちんと身なりを整えていて、なおかつ笑顔で好意的に迎えてくれたことから、波照間はよい印象を持った。


 波照間たちは彼が現れると、席を立って軽く一礼する。


「お話は伺っています。あなたが鉱石商人のルートヴィヒ・シュルツ氏とお見受けします」

「シュルツで構いません。それより、アメリアの紹介と聞いたのですが、それは本当で?」

「本当です。その様子からすると、何年も連絡を取っていなかったのでは?」

「ええ、最後に会ったのは7年前ですからな」


 恰幅のいい男性、もといシュルツはあくまで笑みを崩さないで話すも、苦笑い気味でどこか悲しげな目を湛えていた。


「アメリアは私の友人だったレセルド・フォレスタルの娘で、7年前に拘束命令が出てから行方がわからなくなっておりました。彼女はどこに?」

「今は我々の船で保護しています。今は病に臥せていますが、治療可能な病気ですし、軽症ですので命に別状はありません」

「そうか……どれだけ大変な目に遭っていたかは容易に想像がつく。私がふがいないばかりに……おっと、つい愚痴を漏らしてしまいましたな。申し訳ありません」


 シュルツは後頭部に手をやりながら軽く頭を下げた。外面がいいのは商人だからだろうか。

 彼が話し上手だというのは、少し言葉を交わしただけでもわかる。それに加えて、場の流れを重視して言葉を選んでいることも。


 波照間が知りたいのは、彼が信用に足るかどうかだ。アメリアはシュルツが父の友人だということを事前に教えてくれていたが、どこまで信用できるかはハッキリとした答えを持たなかった。


 ならば、こちらで流れを作るしかない。


「それより、私たちの素性をお聞きにならないのですね」

「ははは、アメリアのことが気がかりで、つい。ですが、おおよその見当はつきます。軍人ですが、アセシオンやアルトリンデでも、アモイの者でもありませんな。私が知らない国の人間でしょう。いずれにしろ、アメリアを助けてくれた方々が悪い人なはずがありません」

「悪い人かどうかはともかく、軍人というのは概ね当たりです。今回はハイノール島で扱われている物資の調査をしに来たついでに、海図等も仕入れたいと思っていまして」

「海図ですか。高い買い物になるかもしれませんな」


 シュルツの反応を見て、波照間は肩を竦めた。見れば、佐藤や濱本もやっぱりか、と言いたげにため息をついている。


 海図の種類や精度は千差万別だ。この世界の広い海の海図を全て集めるとなれば、あおばを売るような金額になってもおかしくはない。

 もちろん、オルエ村やフランドル騎士団を通じて入手した、簡単に手に入るレベルの海図もあるだろうが、シュルツが言っているのは軍事用に使われる海図だろう。


 地図帳やグーグルアースで海底の地形図が普通に閲覧できる地球においても、極めて正確な海図は軍事機密として扱われる。関東大震災の際にアメリカがどさくさに紛れて行った東京湾の測量や、中国が勝手に行っている沖ノ鳥島近辺や尖閣諸島などの測量は、軍事目的に利用する海図作成のためになされていると言っていい。特に現代において大陸棚の測量は潜水艦の隠れ場所を洗い出すためにも重要な資料となる。


 この世界は、地球で言えば大航海時代に当たる文明レベルにある。既に海図は軍事的な意味を持ちつつあるに違いない。シュルツが含みのある言い方をしたのも、おそらくは闇市場に手を出すのではないか、と彼が踏んでいる可能性もある。


 とはいえ、ここで安易に突っ込むのはよろしくない。波照間は笑顔を崩さず言う。


「そこまで高い海図はいらないんです。ですが、喫水が深い船なので、島嶼部などはなるべく正確な地図を持っておきたいな、とは……」

「喫水が深いと。具体的には?」

「8メートル以上あります」

「かなりの大型船ですな。それこそアセシオンのファルザーやゴスペルに匹敵するレベルとお見受けします。となれば、海図もそれ相応のお値段となりますな」

「あはは、そうよね……」


 もちろん船の種類で喫水も大きく変わるため一概には言えないが、8メートルもの喫水を持つ船ともなれば大型船であることは確かだということ。喫水が深くなれば航行できる場所も限られてくるので、所持する海図も正確なものが求められる。


「わかりました。お値段については後で見てみることにします。それと、市場調査へのご協力のことですが……」

「ええ、協力いたしましょう。できれば、アメリアとも面会がしたい」

「もちろんです」


 波照間が言い切ると、シュルツは手ぬぐいで額の汗を拭った。肥満体型らしく汗かきらしい。


 最後に会ったアメリアが当時幼かったこともあり、彼に関する情報は少ない。この会談で得られたのは、彼が人間関係を大事にする性格であることだろう。このことは、あおば側にとっても大いにプラス方向へ働く。


 波照間は胸をなでおろしつつ、提供されたロイヤルミルクティーを飲み干した。

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