44話 灰色の海賊船

 周辺地域の偵察や測量データの取得が済んだあおばとアクアマリン・プリンセスは、オルエ村の沖合を離れてハイノール島へ向かっていた。


 ハイノール島はアセシオン帝国本土から東にあるヤックスリー諸島最大の島であり、世界でも有数の交易中継地となっている。


 主に立ち寄るのはアセシオンとその同盟国であるアルトリンデ王国の船舶で、稀にアモイ王国の貿易船も入港する。もちろんアモイの船舶はアセシオンとの貿易を行うために来ているので、立ち寄るアセシオン海軍の艦艇や私掠船はこれを攻撃しないことになっている。


 アルトリンデは奴隷否定国家であり、貿易品は主に穀物などの食料品と鉄鉱石やタングステンなどの鉱石類に分けられる。


 だが、アモイ王国との貿易品はほぼ全てが奴隷となっている。しかもアセシオン側は公式にはアモイと国交を持たず、この貿易活動も国家が関与しない闇取引となっている。


 ハイノール島へ移動する目的は、もちろん島の偵察活動にある。邦人が移送されて1ヶ月が経っているものの、まだ残っている者がいるかもしれないという希望を頼りに。


 海は凪いでおり、天候は快晴。あおばとアクアマリン・プリンセスは東に向けて快調に航行していた。


「現在、針路は089を維持。位置情報が確かなら、あと2日で到達できますぜ」

「よろしい。対水上警戒は常に厳とせよ」

「了解」


 艦橋の艦長席に座る矢沢は、隣に立つ鈴音から報告を受け取りながら海原を眺めていた。


 これまで何度かあおばの位置を移動させてはいたものの、いずれも陸地からそう離れない距離での航行に限定されていた。この世界に来てから外海を航行したのは事実上初めてと言える。


 この世界の地図はかなり正確で、あおばに装備された位置情報の計測器類で十分な航海を行える。


 とはいえ、未知の海を航行する恐怖がないわけでもない。イージス艦は強力な戦闘艦ではあるものの、戦闘力を除けばただの船舶でしかないからだ。


 心なしか、艦橋に詰める航海科の隊員たちの表情も硬い。


 再び海に目を向けようとした時、双眼鏡を覗いていた見張り員の1人が声を上げた。


「水平線上に所属不明の船舶を複数発見。こちらと相対する形ですが、やや北寄りに進んでいます」

「了解。避けた方がよさそうだな。航海長、南へ針路を取れ」

「アイサー。方位180へ」

「針路180、ようそろー!」


 鈴音が受け取った命令を、舵輪を握る航海士が復唱しつつ舵を南へ取った。ここであおばの姿をさらすのはまずいと判断したためだ。


 相手が武装組織なら言わずもがな、民間船であったとしても危険だ。こちらの常識が全く通用しない故、仮装巡洋艦のような覆面軍艦かつ、搭乗員が強力なパターンも考えられた。


 だが、謎の船を見ていた見張りの航海士が続けて報告を入れる。


「所属不明船、こちらに合わせて船首を向けています。接近する意図は明白かと」

「やはりか……」


 矢沢は思わず頭を抱えた。こちらへ接近してくるということは、何らかの危害を加える意図があるということに他ならない。


 ならば、選択すべき手は1つしかない。矢沢はCICに連絡を入れる。


「総員、戦闘配置。水上戦闘用意」

『了解。総員戦闘配置。水上戦闘用意。これは演習ではない。繰り返す、総員戦闘配置。水上戦闘用意』


 徳山の全艦放送と共に戦闘配置を報せる鐘の音が鳴り響き、艦内に緊張が走る。矢沢は艦橋を離れてCICへ移動する。

 敵が何であれ、今のあおばは守るべき船が後方にいる。何としてでも食い止めなければ。


            *     *     *


「提督、以前捕獲した超大型船が接近中!」

「なんと、あれを動かせる者がいるのか?」


 水平線まで見通せる千里眼の能力を持つ見張り員が、マスト頂上の見張り台から甲板に向けて叫んだ。ザップランド提督はそれを聞くなり、はるか遠くの水平線にポツリと見える小さな影を捉えた。


「むむ……? 何だあれは、もう1隻いるぞ」


 千里眼は使えずとも、海で鍛えられた視力は伊達ではない。小さな影の前を進む、更に小型のシルエットだけは視認できた。


 それを聞いたライザは、マストの見張り員に質問をする。


「見張り員、今すぐ超大型船とは別の影の特徴を教えてくれませんか?」

「はっ。中央部には船体に比してやや小ぶりなマストが見えますが、帆はついていません。超大型船とは全くシルエットが違い、船体が灰色で塗装されています。窓らしきものは前方の構造物のみ、全体的に超大型船より構造物の高さが抑えられています」

「形態が全く違う?」


 ライザは見張り員の報告に対し、ある答えを導いていた。


 例の超大型船は人っ子1人いない無人状態、なおかつ座礁していた。それが問題なく動いているとなると、修理され、なおかつ動けるよう人員を集めたと見ていい。


 そうなると、彼らには仲間がいて、奴隷たちの一部も奪還されたと見ていい。そして、その「仲間」こそが灰色の船に違いない。


 明らかに旅客目的だった超大型船とは違い、灰色の船は窓がなく、そして高さも低い。灰色に塗装されているのも低視認性を狙っているに違いない。船の形態や超大型船の状況、そして推察される背景から、灰色の船は戦闘艦の可能性が高い。


 そうなると、超大型船のように無抵抗なわけがない。ライザは提督に近づき、意見具申を行う。


「提督、敵は戦闘艦の可能性が高いです。ここは状況を注視すべきです」

「大きいとはいえ、敵はたった2隻。それも奥の超大型船は戦えないとわかっているのだから、実質1隻と考えていい。たった1隻しかいない海賊風情に負けはせん」


 ライザの提言にも関わらず、提督は不敵に笑いながら言い放つのみで、全くもって聞く耳を持たない。


 そこに、追加の報告が提督の耳に入る。


「所属不明船、南へ針路を取って逃げていきます!」

「追撃せい! 絶好のカモだ!」


 敵が逃げていくと知った提督は嬉々として叫んだ。


 だが、これでさえ戦略的撤退である可能性がある。


 あのような巨大船舶の建造技術は、この世界には存在しない。どのような脅威が待ち受けているかにも関わらず、この艦隊は戦いを挑もうとしている。


「はぁ、巻き込まれるのは勘弁だよ」


 ライザは半ば諦めて呟いた。これ以上は説得しても無駄だろう。


 近衛騎士団の海軍部は未知の敵と戦いを始めようとしている。以前は楽に襲撃できたが、今回はどう転ぶかわからない。


 ライザは息を呑み、接近しつつある水平線のシルエットを眺めていた。

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