43話 乗り越えるべき壁

「はぁ……」


 アクアマリン・プリンセスの屋外浴場で、アメリアはため息をつきながら外を眺めていた。


 自衛隊は高い能力を持つ実力組織でありながら、国民を守ることだけを考えて行動しているという。矢沢は復讐を考えていたアメリアを叱り、諭してきた。


 とはいえ、怒りが簡単に収まるわけもなかった。

 権力者の横暴、そして戦争と暴力のむなしさ。アメリアにとっては、どちらも許しがたいことだったのだ。


 だが、矢沢はそれを許さない。彼は「人の笑顔を守るため」に戦うと言っていた。


「わからない……なんで、復讐しちゃいけないの? 私だって、お父さんもお母さんも奪われて、生活をめちゃくちゃにされて、とっても悔しかったのに……」


 あの時のことを考えると、とめどなく涙が溢れてくる。


 裕福な家に生まれて、それまでは何不自由なく生活を送っていた。両親を奪われてからは、その生活は完全に崩壊してしまった。

 母の言う通り遠くに隠れて、やがてオルエ村に辿り着いた。そこで魔法の才能を認めてもらえたのはよかったものの、待っていたのは守護者にされて戦いを強制され、他方ではよそ者として後ろ指をさされる日々。


 もう限界に近かった。自分だけの癒しの場所であるリットナー川の上流を見つけて、ヤドリネズミのまーくんと仲良くなっただけでは、両親と居場所を奪われた怒りの炎が弱まることはなかった。


 そこに、矢沢たち自衛隊員と、護衛艦【あおば】が現れたのだ。

 彼らは卓越した人を殺す技術を持っている。所持する兵器も魔法防壁を一切無効化するどころか、とんでもなく強大な能力を備えている。そんな彼らに期待をしない方がおかしかった。


 その期待は、矢沢の説教という形で否定されたのだ。


 海は静かにさざ波を立て、アクアマリン・プリンセスの巨大な船体に寄せてくる。アメリアの心中など全く知らないかのように。


「あっ、アメリアやん!」


 そこに、突如として背後から声がした。


「ふぇ!? あ、セリナちゃんに……スガノさん!?」


 いきなりのことで驚いたアメリアだったが、すぐに振り返って声の主を確認した。

 学校指定の水着姿の瀬里奈と、船で借りたらしい水着を着た菅野船務長だった。


「あ、アメリアちゃ……っ!」


 瀬里奈は何も言わなかったが、菅野はアメリアの姿を見るなり目を逸らした。

 アクアマリン・プリンセスの屋外浴場は水着着用の義務があるが、アメリアは素っ裸のまま湯に浸かっていたからだった。水面で像が歪んでいるとはいえ、大事なところはしっかり見えてしまっている。


「きゃ……!」


 アメリアもそれに気づくなり小さく悲鳴を上げるが、何とか恥ずかしさで暴れようとしたのを堪える。以前のように火球を投げつけてしまうわけにはいかない、という欠片ほどの理性は保たれた。


「えっと、アメリアちゃん、ここは水着を着ないといけなくて……」

「そそっ、そうだったんですね、あははははー……」


 何とも気まずい空気が2人の間を流れていた。

 だが、瀬里奈は違ったようだ。


「ほんまウブやなぁ。どうせ混浴なんやから、気ぃ遣わんでもええやんか」

「そりゃ、キミみたいな色気の欠片もないマセた小学生相手には欲情しないけどね」

「どういう意味やそれ!?」


 バスタブから目を逸らしながらも、瀬里奈に冗談を言う菅野。彼はこういう時でもシャレを欠かさないらしい。


「あはは……えっと、それで、ここって混浴だったんですか……?」

「せやで。中の大浴場は分かれてるけど、ここは混浴やねん」

「う……それじゃ、しょうがない、ですね……」


 恥ずかしがりながらも、ルールなら仕方ないと考え直し深呼吸する。ルールなら仕方ない。


「いや、しょうがなくないからね。水着着用がルールなんだからね」

「そ、そうでした……」


 そういえば最初に瀬里奈が言っていた通り、水着を着用しなければならないルールもあるらしい。もう混乱していて何がどうすればいいのか頭では判断がつきづらかった。


 とにかく、水着を取りに戻らなければ。アメリアは浴槽から上がり、いそいそとその場を立ち去ろうとする。


 だが、瀬里奈の手がアメリアの腕をがっしりと掴んだ。


「せ、セリナちゃん、離してください!」

「ええやんええやん! 見られて減るもんやないねんから」

「減りはしないけど僕が罪を着せられる可能性があるんだけどそれは……」


 菅野のツッコミはどこかキレがない。瀬里奈は慌てる2人のことを見て楽しんでいるようだった。


            *     *     *


 結局、アメリアは水着を取りに行くこともなく、目を合わせない菅野と面白がっている瀬里奈と共に入浴を続行していた。


「それにしても、セリナちゃんがここまでメチャクチャな子だとは知りませんでした」


 アメリアは皮肉を込めて瀬里奈に言う。


「別におもろいからええやんか。ほらほら、菅野の兄ちゃんも脚モジモジさせよって、どないしたん?」

「女の子には言っても理解できないことだよ。キミも男のアレを付けてみるかい?」

「カンニンやで。絶対パンツん中気持ち悪いわ」


 いつの間にか菅野がネタにされ、それを種に両方が笑っている。

 何となく、このコンビは気が合うのかもしれない。アメリアは何となく物悲しい気分になった。


 誰ともうまく馴染めず、能力だけを買われて置いてもらっているだけ。同じ力を持っていて、コミュニケーション能力も高い人がいれば、そちらを選ばれるのだろう。

 村でもそうだった。この気持ちもアメリアの不満を助長させる一因になっていた。


「どないしたん?」


 アメリアの暗い表情に気づいてか、瀬里奈が顔を覗き込んでくる。アメリアは無意識に顔を逸らした。


「えっと、私、今病気だから……」

「大丈夫やで。うちらはワクチン打たせてもらったし。それより、顔暗いで?」


 瀬里奈はそんなアメリアに構わず、体を摺り寄せてくる。

 そこに、菅野が核心を突く一言をアメリアに言う。


「艦長から聞いたよ。アセシオンとアモイに復讐がしたいんだって。それで怒られたことで悩んでるんだろう?」

「なんで、それを……」

「僕たちは、なるべく多くの情報を共有するように指示されている。秘密だと注釈をつけない限り、ある程度のことは共有される。特にキミのことは艦内でも関心が高いからね」

「そ、そうですか……」


 アメリアは脚を抱え、先ほど矢沢とした話を思い返した。


 決して忘れられない負の記憶と、矢沢が示した教え。

 どうすればいいのか、彼女はわからなくなっていた。


 そんなアメリアに、瀬里奈は張り切って言う。


「復讐とか、そんなんアカンに決まってるやん! ヒーローはみんなのために戦うんやで!」

「ひーろー……?」

「せや! プリキュアも守りたいもんのために戦うねん! うちもそうなりたいんや!」

「ぷり……えっ?」

「瀬里奈ちゃん、プリキュアって言われてもアメリアちゃんにはわからないよ」

「あはは、せやな。とにかく大事なもんのために戦うんがヒーローや! うちはそう思うで」


 にひひ、と瀬里奈は歯を見せて大きく笑った。

 強大な異世界の軍人である壮年の男性、そして戦うことなど知らない幼い少女。全く違う存在なのに、揃って同じ答えを出してくる。


 一体どういう教育を施されれば、そんな価値観に至るのだろう?


 アメリアの中で、1つの疑問が鎌首をもたげていた。


「あっ、せや!」


 考え込むアメリアに、瀬里奈が体を寄せてくる。上目遣いでアメリアの顔を覗き込んだ。


「アメリア、うちにも魔法っての教えてな! そしたらきっと、プリキュアになれると思うねん!」

「えっと、確かに魔法は子供の方がずっと身に付きやすいですけど……」

「ほな決定やな! よっしゃ、頑張るで!」


 困惑するアメリアをよそに、瀬里奈は空に向けて拳を振り上げていた。

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