42話 守るための存在

 結局、オルエ村との協議は決裂。あおばは村を去ることになってしまった。

 村人たちに結核ワクチンであるBCGを投与しようとしたが、これも村長が一方的に拒否。矢沢ら自衛隊員がオルエ村との接触を持つ術は無くなった。


 重要拠点を失ったということは、今後は陸での活動を大きく制限されるということに他ならない。船や乗員には、彼らが落ち着ける陸地がどうしても必要なのだ。

 その主な原因を招いたのは矢沢らだが、同時にアメリアもあの村との関係を絶っている。艦長としては村のことが大事だが、矢沢個人としてはアメリアの選択がどういうことなのか知りたかった。


 彼女は聡明で物静かながら、村を守る強力な戦士でもあった。そして、彼女なりの守護者に対する思いがあったこともわかっている。

 あの村が嫌いだという理由だけではない。もっと根源的な何かがある。矢沢はそう考えていた。


 そこで、矢沢はアメリアをあおばの飛行甲板に呼び寄せた。

 炎のように真っ赤な夕焼けがあおばの船体を照らし、その影が背後のアクアマリン・プリンセスに映っている。その反対側、夕陽を眺めるようにアメリアは手すりに寄りかかっていた。


「待たせたかね」

「いえ、今来たところです」


 まるでデートの待ち合わせのようだな、と矢沢は心の中で苦笑交じりに思ったが、今回は彼女と世間話をするために呼びつけたのではない。


「そうか。体調の方は?」

「今のところ大丈夫です。咳も軽いですし、だるさもありません。他の隊員さんにも、わくちん? というのを使うので、少しだけなら話していいと言われました」

「それならよかった」


 症状が重くなっていないようで、矢沢はそっと胸をなでおろした。


「実は、私も結核にかかったことがある。10年前に息子から貰ってきてね、その時は入院するほどにもなった。その時より君の症状は軽い、心配しなくてもいい」

「はい。しっかり治さないと、今後のためにもなりませんし」


 アメリアは年相応の少女らしい屈託のない笑みを見せる。

 だが、矢沢が望んでいるのは、その今後についての答えだった。前置きはこのくらいで切り上げ、本題に移ることにした。


「今後、というのは?」

「えっと、今後は今後ですけど……」

「そうではない。村を抜けて、その後はどうするかだ」

「あはは……やっぱり、そこは聞かれちゃいますよね」


 アメリアの笑みがぎこちないそれに変わり、目も泳いだ。

 だが、それもほんの少しのことで、アメリアは覚悟を決めたような、本気の目を矢沢に向けた。


「私は、あなたたちについて行こうと思っています。私も目的がありますから」

「目的?」

「そうです。それは……いえ、ちょっと昔話でもしましょう」


 アメリアは一息つくと、再び沈みゆく夕陽を眺めた。

 まるで、遠い日の記憶を太陽の中に見るように。


「村でも言いましたけど、私は国でも有数の大商人だったレセルド・フォレスタルの娘として、海辺の商業都市アルグスタで暮らしていました。ですが、7年前に海を越えた向こうにあるエルフの国アモイとアセシオンで、大きな戦争があったんです」

「7年前? 私は3年前と聞いていたが……」

「アセシオンとアモイの戦争は何度も起きています。講和と開戦を繰り返し、もう何度戦争があったかもわかりません」


 アメリアは頭を抱えながらも、話を続けた。


「戦争の理由は、主に互いの商船への攻撃や領土での略奪です。主に海を旅していた商人の父は、その7年前にアモイの私掠船に襲われ、消息を絶ちました。今では死んでいるのか、奴隷にされているのか、もうわかりません」

「行方不明か……辛いな」

「ええ、生きてるかどうかもわからないなんて……」


 悔しさや悲しみ、そしてやりきれない無力感が、手すりを握るアメリアの手に込められていた。突然始まった戦争で家族を失った悲しみは、察するにはあまりある。


「でも、それで終わりではありませんでした。ある日、皇帝が私の家に近衛軍を派遣して、財産を接収しようとしたんです。彼らによると、父は裏切り者で、アモイに逃げたのだと……」

「ふむ、おかしな話だ。証拠があったのか?」

「証拠? いえ、とんでもないです。皇帝は一定の権力や富を持つ者が死亡または行方不明になったりすると、いわれのない文句をつけて財産を奪おうとするんです。そして、そのお金や土地を有力貴族に渡したり自身の蓄えとすることで、広大な土地や軍事力を持つ有力貴族の信頼を得てきました。上は全てグルです。ユーディスで情報を提供してくれたサンティ男爵は、第1夫人と第3夫人をアモイに拉致されて、それが理由で財産を没収されました。元から弱小貴族だったので、容赦もなく……」


 アメリアの目からとめどなく涙が溢れてくる。


「もちろん母は抵抗しました。でも、それは皇帝への反逆を意味します。母は処刑され、私は奴刑にされました。私は母が逃がしてくれたので無事でしたが、母は……」

「もういい。君の身の上はわかった、これ以上辛いことを思い出すことはない」


 声を押し殺してなくアメリアを、矢沢はそっと抱き寄せた。自分にできるのは、この程度だけだからと思って。

 だが、アメリアは声をからしながらも続ける。


「目的はただ1つ、皇帝を討って仇を取り、アモイを倒すことです……!」

「倒す……?」


 その言葉を聞くと、矢沢はアメリアから手を離した。アメリアの目が不思議そうに矢沢を見つめていた。


「君の目的が復讐ならば、私は協力を拒む」

「え……?」


 矢沢は諭すように言うが、目は厳しくアメリアを捉える。


「我々は国民を守る自衛隊だ。過去にどんなことがあろうと、誰かに復讐を考える者をこの艦に置いておくわけにはいかない」

「……っ」


 アメリアは目を見開くと、口をきゅっと結んだ。


「我々がアセシオンで行っていることは、確かに主権侵害ではある。だが、それは日本人や外国人を含む『邦人』を助け出すために行っていることだ。自衛官の服務規程に違反する行為ではあるが、これは国民を守る自衛隊として、できうる限りの行為だ」

「じゃあ、私はどうすれば……?」


 怯えるような目を矢沢に向けながら、アメリアは呟くように言う。

 目の前の少女は助けを求めている。彼女は呪縛に囚われているのだ。人間関係と命を取り巻く、呪われた因果という名の呪縛に。


 矢沢は一息つき、アメリアの頭を撫でた。


「誰かの笑顔を守ること、それが軍隊のあるべき姿だと思っている。君も同じように、誰かの笑顔を守ることをすればいい」

「笑顔を、守る……」


 アメリアは食べ物を口の中で転がすように、その言葉を反芻した。

 どのような考えがアメリアの脳裏に浮かんでいるかは定かではないが、少なくとも表情は柔らかくなった。


 矢沢はただ黙ってその場を立ち去った。

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