39話 小さな咳の1つで
次の奴隷市場候補だったフィレスは空振りに終わった。邦人輸送を終えた波照間たちが街を調査したが、邦人の姿は影も形もなく、スキャンイーグルで周囲をしらみ潰しに探しても集団は発見できなかった。
その後も1週間かけて都市の捜索を行ったが、救出できた邦人は100名にも満たなかった。全て奴隷にされたとすると、アセシオン国内に流れ込んだ約1500名のうち、優に1200名が奴隷にされた計算になる。
「やはり、望みは政府との直接交渉か……」
矢沢は頭を抱えつつも、その結論を出さざるを得なかった。法律で決まっているとアセシオンの騎士たちが言っていた通りなら、交渉の余地はほとんどなさそうだが。
それでも、やる他あるまい。日本に戻れる目途が全く立たない中、彼らの命を保証できるのは、自衛隊員である護衛艦あおばの乗組員だけだからだ。
「やるしかないな」
矢沢は自室に用意された席を離れると、艦橋へと向かった。これから士官室に人を集めなければならない。
* * *
「やあああああああああっ!」
アメリアの両手に握られた光の剣がゴブリンたちを薙ぎ払い、オルエ村の正面入口を血しぶきで染め上げた。
「我2時方向に敵兵多数、まっすぐ突っ込んでくる!」
波照間はアメリアを巻き込まないよう声を出しながら、20式小銃の引き金を引き絞る。連続した発砲音が響くと、先頭とは分かれて行動していた別動隊の2体があっけなく倒されていった。
合計10体のゴブリンたちが一瞬にして殲滅され、村の防衛に成功した。
それでも、アメリアは浮かない顔をしている。
「アメリアちゃん?」
波照間が話しかけても反応しない。肩を叩いて、ようやく体をビクッと反応させた。
「は、はいっ!?」
「どうしちゃったの? さっきからぼーっとして」
「えっと、いえ、別になんと……ケホッ、ケホッ」
アメリアは何でもないように作り笑いをして言うが、言い切る前に乾いた咳をした。波照間は神妙な面持ちをしながらも、アメリアの額に手を当ててみる。
「ちょっと熱い……まさか、熱があるの?」
「いえ、ちょっとそんなわけでは……」
「ちゃんと言って。もし感染症だったら、村やあおばに迷惑をかけるわ」
「はい……1週間以上前から食欲がなくて、ちょっと熱っぽかったんです。咳もそれほどじゃなかったんです。放っておけば治るかなと思っていても治らなくて、今日は咳がひどくなって……」
アメリアは作り笑いをやめ、目を伏せて言う。
「うーん、あたしじゃ診断できないし、村に常駐してる佐藤くんに聞いてみましょう」
「はい、そうします……」
アメリアは申し訳なさそうに頷き、波照間の後ろを歩いていく。
波照間は未知の病原体を警戒していた。あおばとの接触が多く、なおかつアクアマリン・プリンセスの乗客とも接触があった。
もしかすると、アセシオンとの戦いどころではないのではないか。1歩1歩村の診療所へ近づく度、その不安は募っていった。
*
「なるほど、食欲不振に倦怠感、それと収まらない咳、ですか……」
佐藤は先ほどまでプレイしていたゲーム機をモバイルバッテリーに接続すると、手帳にメモを取っていく。それを終えると、額にかざすタイプの検温器と聴診器を取り出した。さほど緊急性を感じられない手際のよさだ。
「それで、息苦しさはありますか?」
「寝ている時に息苦しさで目が覚めてしまうこともあります」
「そうですか。症状の期間から考えて慢性疲労でしょうが、念のために詳しい検査が必要でしょう。検体を採取しますので、後ほど手順を伝えます」
「はい、ありがとうございます」
佐藤の答えに対し、ペコリとお辞儀をするアメリア。社交辞令はしっかりこなすものの、それでも不穏な表情は隠しきれていない。
傍で聞いていた波照間も、アメリアが普通の風邪ではないと聞いて余計に不安を覚えていた。どうか大ごとになりませんように、と祈るばかり。
そこに、佐藤が優しく語りかけてくる。
「あおばは中東への派遣に備えて、医療設備を普段より多く搭載していますし、衛生科員も4名に増えています。心配することはないですよ。あおばの検疫もしっかり行っています」
「そう……よね」
「任せてください。我々はプロです」
「わかった、信頼するわ」
波照間は佐藤に微笑みかけると、席を立った。
起こってしまったことはしょうがない。邦人たちのこともそうだ。どうせ向き合わねばならないなら、それに向けてどれだけ準備を整え、覚悟を決めるか。それしかないのだから。
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