40話 盲点
「艦長、緊急です! 今すぐこれをご覧になってください!」
矢沢ら幹部が士官室で会議をしていたところ、衛生科の佐藤が大慌てで駆け込んできたのだ。それも、医療用のマスクをつけている。
「今は会議中なんだから、ノックくらいしたら?」
直接の上司である大松は佐藤に厳しい目を向けるが、矢沢は手で制した。
「構わない。それより、何かあったのか?」
「ええ、アメリアさんの診療記録です。直ちに対策が必要です」
矢沢がアメリアのカルテを手に取り、その横で大松も確認する。
そこには、所見として『結核の初期症状と疑われる』と書かれてあった。
「結核? この世界にも存在するのか」
「マジかよ……」
矢沢に加え、鈴音も腕を組みながら目を机に向けた。
「結核菌の数値が基準値を超えています。アメリアさん本人に加えて、接触していないスタッフに村長や他の村人にも聞き取り調査を行わせましたが、誰も知らないと話しています」
「知らない? 同じ病気があるのだとすれば翻訳されるはずだ」
「ですがね、結核っていう病気のことを知らないのであれば翻訳はできないでしょう」
横から口を出した先任伍長の武本の指摘で、矢沢は顔をしかめた。この世界に関しては未だにわからないことが多すぎる。オルエ村の人々が単に知らないだけだったとすれば、それは仕方のないことだ。
だが、結核及び結核菌そのものが存在しないのであれば、話は全く別次元だ。
佐藤は冷や汗をかきながらも、続けてカルテの説明を行う。
「なお、喀痰での排菌は陰性、隔離の必要はありません。ですが、もう1つ報告しておくべきことがあります」
「何だね?」
「アメリアさんが感染しているのは、イソニアジドとリファンピシンに耐性がある薬剤耐性菌です。どちらもこの世界にあるはずがないので、日本から持ち込まれたことは明白かと。潜伏期間をほとんど経ていないのが気になりますが、要注意です」
「な……!」
まさに、その場の空気が凍り付いた、としか言いようのない静寂が士官室に広がる。
あおばでは外部からの帰還者や部外者だけでなく、装備品や物資などにも検疫を実施している。古来から人の往来は病気を運ぶもの、あおばやアクアマリン・プリンセスに病気を持ち込まないための措置は徹底されていた。
だが、逆は全くと言っていいほど無警戒だった。
自衛艦の乗組員服務規程にも艦内の衛生維持に努める旨の記載はもちろん、疫病が蔓延する地域での活動での規定もあるが、艦から病原体を持ち出してしまう危険性に対しては全く書かれていないのだ。
艦内をどれだけ清潔にしていたとはいえ、人間の体内や体外には病原体がつくもの。それに加え、艦内にいるネズミやノミなど媒介生物は完全に取り除けない。
外部との接触がほぼ皆無なオルエ村だけならともかく、アメリアはフランドル騎士団の構成員とも何度も接触している。フランドル騎士団に感染者が出れば、それこそ爆発的なアウトブレイクがアセシオン全域で発生することになる。それは奴隷貿易を通じて全世界に広がり、パンデミックを引き起こすことにもなりかねない。
いや、もはや打つ手がない状態にある。皇帝軍が邦人を連れ去った段階で、彼らが持つ病原体はどれもアセシオン人にパンデミックを引き起こす要因となりうる。
新型コロナやインフルエンザならばともかく、万が一ペストなどが流行ってしまえばとんでもないことになる。取り戻せていない邦人に限れば、この世界固有の病気にかかる可能性すらあるのだ。
政治的な要因に加え、感染症にまで普段以上に気を配らなければならない。この世界はあまりに辛すぎる。
「わかった、アメリアには治療を行ってもらう。村からは私が説明しよう」
「それなら、わたしだって行きますっ!」
矢沢が佐藤に話したところ、佳代子が机を叩きながら立ち上がる。
「副長には艦にいてもらわなければ困る」
「いえ、艦内の公衆衛生維持は副長の役目です! ヘンな菌を持ち出したなんて、あおばの恥以外の何物でもないじゃないですか!」
「それは……そうだが」
佳代子の言うことにも一理あるが、本当は外に出たいだけなのを矢沢は見透かしていた。艦の恥という割に目が輝いているのがその証拠だ。
とはいえ、彼女はこの世界に来て以来、ほとんど外に出たことがない。
傍から見ればいつもふざけているようにしか見えないが、ずっと艦内で業務を行い、どの隊員よりも艦の保全に努めている。未だに艦内で暴動のような事態に発展しておらず、隊内の結束を維持できているのも、ソーティ、もとい出撃回数が大幅に増えているヘリや無人機を常に運用できているのも、佳代子が裏で動いてくれているからに他ならない。
ご褒美がてら、外に連れ出すのも悪くはないだろう。
「わかった。副長もついてくるといい。ただし、説明は私が行う。君には調整役を担ってもらう」
「はいっ!」
佳代子は心の底からの笑顔を見せながら頷いた。
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