38話 神の囁き

「それじゃ、さようなら」

「あんた、絶対覚えておきなさいよ! 殺してやる!」


 ハイノール島で奴隷商人に連れられていったショートボブの女性──確かスルガ・キョウコと名乗っていた──は、ライザの服に唾を吐きかけ、終わることのない呪詛の言葉をずっと流し続けていた。


 今となっては特段珍しいことでもない。40年前、先代の皇帝が即位した時からアセシオンは次々に戦争を起こし、奴隷貿易を拡大した。占領した国や襲った船で得た人間を売って資源を収奪し、それを金に換えて自国では取れないものを遠方の国から輸入する。そのようなスタイルが確立して、人々の格差はどんどん拡大していった。


 もちろん階級制度は以前にもあったものの、ここまで上と下に分かれていたわけじゃない。貧しい方向に転んだ者はとことん転げ落ち、上は下から収奪して富を蓄積する。そうなったことで国は『二極化』した。


 提督がやった巨大船襲撃も、その一環に過ぎない。近衛騎士団の海軍部門はジョージ・ザップランドの私兵集団に成り下がり、金目の船を襲いまくり、金のためならエルフとでも商売をする危険な存在と化した。

 あの女性、スルガ・キョウコや他の外国人も不幸な被害者だ。


「とはいえ、これも運命か」


 奴隷たちの列を見送ったライザは乗ってきた船へ戻り、普段通り葉巻に火をつけた。

 ほんのり甘い香りが混ざる紫煙をふっと吐き出しながら、出港準備を整える男たちの背中を眺める。

 この腐った組織の働きアリたちに同情を示しつつも、他方では彼らと早く別れたくて仕方がない。早く1週間経ってくれないものか。


  *


 程なくして、船の出港準備が整った。

 船員たちが魔力を左舷に放出して、船を岸から離していく。十分に船が離れたところで、魔力の補助を受けながら帆を張り、風を受けて外洋に向かった。

 陸地で起こっていることなど全く意に介さない波のさざめき。ライザは止まることのない波の音を聞きながら葉巻の味を楽しんでいる。


 出航した頃には太陽が真上に昇っており、海上はまだ冷たい春の風が吹いている。

 出航時に火をつけた葉巻も吸い終えてしまったので、吸い殻を海に放り投げて余韻に浸る。本来ならば個室で吸うべきだろうが、そのような部屋は船に用意されていないので外で吸うしかない。


 ため息をつきながら無心で海を眺めていると、頭の中から聞き慣れた男の声が聞こえてくる。ライザの上司、ヴァン・ヤニングス騎士団長だ。


『ライザ、聞こえますか』

「もちろん」


 その必要はないものの、ライザはあえて声に出して返事をする。葉巻の余韻を台無しにされたことで少しばかり怒りが芽生えたからだ。

 それを聞くなり、声の主はライザの気など露知らず、話を続けた。


『今頃ラフィーネに戻っていると思いましたが、今はどちらへ?』

「ハイノール島の西方です。提督がとんでもない獲物を見つけたので、拿捕して乗員を根こそぎ売り払っていたのです」

『全く、あの男は……』


 声の主はわざとらしく声のトーンを下げながら文句を言う。それはこちらのセリフだ、と実際に付き合わされたライザは思ったが、それは相手に伝えないようにしておく。


「いずれにしろ、あと1ヶ月も経てばラフィーネには戻れるでしょう。馬は用意しているのでしょう?」

『いえ、ラフィーネには戻らなくて結構です』

「戻らない? なぜ?」

『近頃、南部を中心に謎の飛行物体を見た、という証言が相次いでいます。それを撃墜した者もいるようで、調査をしてもらいたい』

「はぁ……」


 ライザは断りたかったが、自身の恩人であり上司でもある彼に逆らうこともしたくない。渋々とはいえ、結局は受けざるを得なかった。


『飛行物体はどうやら生物ではないようです。撃墜した残骸は、この世界には存在しない物質が使われている、という所見も出ているようで。複数の種類があるらしく、その出どころや正体を調査してもらうことになります』

「わかりました。報酬は幾ら頂けますか」

『30デリット出しましょう。そのうち6デリットは手前からです』

「ありがとうございます。それだけで1年は食い繋げそうです」


 ライザはお世辞ではあるものの簡潔にお礼を言う。

 1デリット金貨は都市部の商人など中流階級における3ヶ月分の食費に相当する。都市部から離れた小さな農村などに行けば1年分は堅い。30デリットあれば高級な葉巻を十分に蓄えながらいい暮らしができるだろう。


 ライザにとっては多すぎる金額ではあるが。


『無理に自立せずとも、食事くらいは援助しますよ』

「いえ、その報酬だけで十分です。それでは」

『頼みましたよ』


 その一言を最後に、彼の声は途絶えた。


 フランドル騎士団のフロランス・フリードランドと同じく、神の力を授かりし騎士。フリードランドが癒しの力ならば、彼が持つ力は『意思伝達』、つまり遠くにいる人間と話をするもの。千キロ以上離れた場所からでも声が届く辺り、まさに神の御業として言い表しようがない。

 その『神の力』の根源がどのようなものかはわからないが、それでも彼がアセシオンでも最強クラスの騎士であることに変わりはない。


 改めて考えてみると面倒な男に拾われたものだ。ライザはどこまでも続く水平線を眺めながらぼんやりと考えていた。

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