37話 暴力と無力

「わかったから、殺さないでくれ……」

「では、私たちに付き合ってもらおう。あなたの名前は?」

「ハバリオス・ジェールだ」

「では、バリーと呼ぼうか。さっき言っていた家族は、この街に住んでいるのかね?」

「あ、ああ。それがどうした?」

「3人に会いたい。彼女らを路頭に迷わせたくないなら、案内してほしい」


 顎髭の男、もといバリーは唾を呑み込みながらも、ゆっくりと頷いた。

 アメリアは複雑な表情を浮かべていたが、矢沢はよくやったとウインクを送った。


            *     *     *


「あなた、おかえりなさ──!」


 バリーの妻は、ナイフを喉元に突きつけられたまま家に入ってきた夫の姿を見て、手に持っていたティーカップを上等な木製のテーブルに落とした。


「あなた、どうしたのよ! 後ろの2人は……」

「商売をしていたら、いきなり襲われたんだ」

「人身売買をしているんだ、いずれこうなることはわかっていただろうに」


 バリーは必死に訴えかけるが、矢沢は冷徹に一蹴した。情けはかけないぞ、と遠まわしに言ったつもりだったが、バリーの妻は矢沢とアメリアを睨みつける。


「うちの人に何をする気?」

「あなたと子供たちは人質になる。そして、バリーにはひと仕事してもらう」

「ひと仕事……?」


 矢沢の話を聞き、バリーは首を傾げる。


「そうだ。このアセシオン全域に、奴隷商人が次々に家族ごと惨殺される事件が相次いでいて、それを行っているのは、新たな奴隷市場の構築を画策するジョン・サリヴァンという貴族らしい、という噂だ」


 矢沢はこの噂を流させることで、国内を混乱させることを画策していた。


 ジョン・サリヴァン伯爵はロッタら騎士団が最も憎んでいる相手で、旧ダリア王国領の全域を統治しているアセシオンの大貴族だ。そして、皇帝からの信頼も篤いという情報もある。

 それを聞いて、バリーは血相を変えた。


「お前、フランドル騎士団の者か! それをして何になる?」

「残念ながら、私はフランドル騎士団とは関係ない。あなたが先ほど手に入れた『奴隷』たちの仲間だ。アセシオンが仲間たちを捕まえたので、全員返してもらう。その気になれば首都も破壊できるが、我々は流血を望んでいない」

「奴隷たちの仲間? まさか、船でやって来たっていう……」


 バリーは合点がいったのか、再び震え声に変わる。


「その通りだ。その船は異世界から来た。私も異世界人だ。我々の世界は人道を何より重んじると同時に、人の尊厳を踏みにじる奴隷制を、強く激しくどこまでも憎んでいる。バリーの家族は人質となるが、今より贅沢な暮らしをさせられる。その代わり、あなたが我々を裏切れば家族はまともな死に方ができなくなるし、あなたも地の果てまで追跡される」

「……わかった。だから、家族を巻き込むのはやめてくれ」

「私もこんなことはしたくないが、あなた方が野蛮だからしょうがない。それに、これは万が一の際にサリヴァンからあなた方を保護する意図もある。アメリア、子供たちを探してくれ」

「は、はい」


 アメリアはどもり気味に言うと、家の奥へと進んでいく。すぐにバリーの娘らしき2人の少女が連れて来られた。矢沢は何も知らないであろう子供たちにナイフを見られないよう、バリーに突きつける位置を首から背中に変えた。


 心なしか、アメリアも元気がない。その理由も矢沢はしっかりわかっているつもりでいた。

 彼女をこんなことにまで巻き込み、傷つけてしまっている。どれだけ謝罪しようと許されることではないのだ。


 一様に重い空気に気圧されている大人たちとは違い、2人の子供たちは何が起こっているかわからず首をひねるだけだった。


            *     *     *


 6人のブローカーたちは全員捕縛され、邦人たちは人身売買の脅威から逃れた。矢沢が自衛隊だと彼らに話すと、邦人たちから一斉に大きな歓声が巻き起こったのだ。


 一方で、そのうちの1人であるバリーも協力者にできたことで、国内の奴隷市場の不安定化も期待でき、ダリア領における奴隷市場の元締めであるサリヴァンの国内における立場も低下するだろう。

 例えサリヴァンが違うと言い張り、近衛騎士団が彼の調査を行ったとしても。情報の確認手段が乏しいこの世界では、噂さえ広まってしまえば誰が発信源かわからなくなる。


 6人のブローカーたちは粗末な木箱に押し込まれて荷車に積み込み、バリーの家族は邦人の中に混じって街の外へ連れ出されることになった。

 荷車にはケガ人や老人が優先的に乗せられ、郊外の物資集積所まで送り届けられた。後はフロランスが乗るヘリで食料を輸送しつつ、帰りがけに邦人を連れて行くことで全員をアクアマリン・プリンセスに送り届けることができた。


 だが、その道中で矢沢は衝撃的な話を聞くことになったのだ。


「自衛隊さん、ちょっといいですか」


 話しかけてきたのは、暗い顔をした40代くらいの男性だった。矢沢は彼へ向き直ると、笑顔を作って返事をする。


「ええ、何ですかな」

「実は、お願いがあるんです」


 中年男性は矢沢に近づき、目に涙を溜めて訴えかける。


「ここに来る途中、母がケガをして歩けなくなったんです。急な山道を登ってきたもので、体力も限界でした。そうしたら、兵士が『立てないなら死ね』と言って、母を……殺したんです」

「な……」


 矢沢は思わず顔をしかめた。

 彼の言葉が正しいなら、邦人で初めての死者となる。それどころか、アセシオン帝国による殺人だ。


「わかりました。ご遺体はどこへ?」

「山に放置されました。それを回収したいんです。せめて、骨だけでも持って帰らないと……」

「お辛かったでしょう。後で詳しい場所を聞きますので、車の前で待機を」

「ええ……」


 男性はそれだけ言うと、再び邦人の一団へ混ざっていく。

 40代の男性の母、ということから、おそらく高齢だったと思われる。それで体力も限界、かつ歩けないとなれば、もう奴隷として使い物にならなくなったと判断されたのか。

 いずれにしろ、許されざる行為だ。このようなことが二度と起こらないよう、邦人たちを一刻も早く取り戻さなければ。


 矢沢は自身の無力さを感じていた。なるべく助けようと努力しても、死者は発生するし、関係のない人間も巻き込んでしまう。

 自衛隊員という国民を守る立場であろうと、ただの力なき人間でしかない。そう思うようになっていた。

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