32話 海原の奴隷船

 太陽が茜色の海に沈む光景を見ながら、ライザ・ソコロヴァは甲板の縁に寄りかかって葉巻を嗜んでいた。


 ライザが乗る魔動船や帆船の艦隊は北東に向かって進んでおり、1週間もあれば奴隷貿易の中心地であるハイノール島に到着するだろう。そうなれば、沿岸で偶然『拾った』大量の商品を売り捌ける。

 この艦隊に収容できたのは、およそ2000人前後といったところだ。その他は一部の兵士を降ろし、陸路でユーディスやグリアカルドへ送致している。


 ほぼ全員が上等な服を身に着け、そして皇城を凌ぐほど巨大で豪華絢爛ごうかけんらんな船に乗っていた。そして、抵抗は一切してこなかった。彼らはどこからやって来たのだろうか?

 そんな疑問が湧いてきたが、今はそんなことなどどうでもいい。捕まえろ、と言ったのは、この艦隊の司令官なのだから。


「にしても、冷えてきたな……」


 ウェーブがかったロングヘアで首元は隠れているとはいえ、それでも夕暮れ時の風は冷たいものだ。レゼルファルカの革を使った黒いラップコートの襟を立て、なるべく風が首筋に当たらないようにする。


「ライザ君、こんなところにいないで部屋へ戻ったらどうかね」


 背後から嫌な声をかけられる。ライザはこの粘っこくまとわりつくような野太い声が嫌いだった。

 とはいえ、相手は先任の提督。返事をしないわけにはいかない。笑顔は作らずとも、真摯に対応するしかない。


「もう少し気分を変えてからにします。唯一の楽しみですので」

「そうか」


 ライザの背後から近づいてくるのは、白いカイゼル髭を蓄えた巨漢だった。シルクらしき白いロングコートをまとい、左胸には皇帝から賜った金の勲章をジャラジャラとくっつけている。

 ジョージ・ザップランド海軍提督。何より名誉と女を好む男。ライザが一番嫌いな人種だった。


「それにしても、今日は一段と夕焼けが綺麗だ。どうだ、俺と一緒に酒でも」

「申し訳ありませんが、酒類は苦手です。酔うより先に吐いてしまいますので。あなたの外套に僕の吐しゃ物をぶちまけてしまっては取り返しがつかないことになります」

「相変わらず、君の冗談は面白くないな」


 ジョージは憎らしそうに言うと、早々に甲板から立ち去っていった。

 相手方はどうせ『ヤニングス子飼いの密偵風情が』とでも思っているのだろうが、ライザにとってはどうでもよかった。


 エルフとの戦争で家族と恋人を失い、流浪の身になっていたところを助けてもらったのが、近衛騎士団陸軍部門の団長であるヴァン・ヤニングスだ。彼の権力は中央集権化しつつあるアセシオンでも強くなりつつあり、旧来の貴族からは漏れなく疎まれている。提督もそのうちの1人だ。


 ヤニングスがどう思われようが自由だが、それが自分にまで降りかかってくるのは御免だとライザは常々思っている。もはや生きている意味もない身ではあるものの、関係のないことに巻き込まれて被害を受けることだけは怒りを覚えるのだ。


「はぁ……」


 ライザは葉巻の吸い殻を海に投げ捨てると、『商品』が詰め込まれた下層の倉庫へ移動する。あまり掃除が好きではない水兵のせいで薄汚れた部屋は、座礁していたあの船とは全く趣が異なる。あの船が王宮ならば、この倉庫は家畜小屋だろう。


「さて……どうしたものか」


 先ほどまで騒がしかった倉庫は、何故か静かになっていた。中の様子はわからないが、全員寝てしまったのだろうか。

 鍵を開けて扉を開けるなり、中から『商品たち』が殺到してくる。ライザは慌てることなく魔法陣を展開し、扉に押し付けて完全に塞いだ。


「ああっ、もう! 何なのよこれ!」

「残念だったね」


 防御魔法陣越しに文句を垂れる女性を嘲笑した。向こう側では先頭に立っていたショートボブの若い女性がしきりに壁を蹴りつけている。


「ここに来たのは他でもない、君たちがどこから来たか、それが聞きたかったんだ」

「こんな扱いをするような奴に、誰が言うのよ!」

「そうだそうだ! 早く出せ!」

「早く船に帰して! 息子に会わせてよ!」


 ライザが冷たく言うと、中に詰め込まれた『商品たち』の不満が爆発した。先ほどまで静謐を保っていた倉庫は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。


「残念ながら、君たちは帝国法を犯したことで奴刑になる。その前に色々と喋ってもらいたいんだけどね」

「何よ、裁判さえないわけ!? それに帝国法だかエースコックだか知らないけど、そんなの全く知らないわよ!」

「すまないけど、僕もよく知らないし、提督にとっては法律も裁判もどうでもいいんだよ。ただ、君たちを奴隷として売り払ってお金儲けができれば、それでいいみたいだから。恨むなら、あの腐敗軍人を恨んでくれよ」

「この……ふざけるな!」


 ショートボブの女がひと際強く防御魔法陣を蹴りつけた。こんな攻撃で破れるようなものではないが、さすがに魔力の消費が大きい。


「わかったよ、今日は退散する」


 ライザはそれだけ言うと、ドアを閉じて施錠した。中では大勢の人間が発する呪詛の言葉が乱舞していたが、彼女にとっては遥かにどうでもいいことだった。

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