番外編 イージス護衛艦あおば・その4

「ここを訪ねるのは少し気が引けたが……いや、ここも極めて大事な場所だろう」


 私は瀬里奈とアメリアを伴いながら、医務室に繋がる扉のノブに手をかけた。


「ぎゃあああああああぁああぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁあああぁぁ!!」

「うわっ!?」

「な、何やねん!?」


 すると、中から金切り声にも似た絶叫が放たれたのだ。心臓が止まるほど驚き、しばらく頭の中が空っぽになってしまう。


「大丈夫ですか!?」


 アメリアはすぐさま扉を開けると、中に押し入って光の剣を召喚、腰を落として構えを取った。

 瀬里奈と私も急いで突入し、中の状況を確かめる。


「おや、艦長! お疲れ様です!」

「ん……?」


 中は特に荒れている様子もなく、ただ丸椅子が倒れているだけだった。

 医務室に来た私たちを出迎えたのは、医官の村沢桃枝1等海尉だった。身長150㎝と艦内で最も背が低い女性乗組員で、釣り目ではあるものの顔立ちが童顔であるため、隊内では活発な学生のような印象を持たれている。

 本来ならば医官は護衛艦に乗ることなど珍しいことだが、今回はジブチ派遣や演習参加を目的として2名の医官と4名の准看護師資格を持つ海曹が乗艦している。村沢はその医官の1人だ。


「村沢くん、さっきの声は何だ?」

「ああ、あれですね」


 村沢は頬を人差し指を掻きながら、呆れたように寝台を指す。

 奥には医療用ベッドが2台並んでおり、その間には赤い頭がちらりと見えていた。どこからどう見てもアリサの頭だ。

 何かと思えば、まるで地震に揺られる家具のようにガタガタと震えている。


「アリサ、何があった?」

「ううう……」


 アリサは頭を抱えながら震えるばかりで、こちらの存在にすら気づいていないようだった。捕まった時にはプライドを失うまいと私を睨みつけていたことが嘘のように弱々しく、まるで天敵に襲われた小動物のような状態だ。


「何があったんでしょう?」


 アメリアは光の剣を霧散させて警戒を解いた。心配そうに困り顔をする辺り、本当に優しいんだなとしみじみ思った。

 一方で瀬里奈はアリサの背中を指でつついている。あれは完全に遊んでいるな。


「村沢くん、説明を頼む」

「はい。検疫のため採血を行うところでしたが、注射しようとしたところ、奇声を上げてベッドの間に隠れてしまいました」

「ふむ……」


 この世界に注射器があるとも思えない。一体なぜあれほど怯えているのだろうか。

「あっはははは! なんや、注射が怖いんか? まだまだ子供やな」


 瀬里奈は村沢の話を聞くなり、大爆笑しながらアリサの背中を何度も叩いていた。プレートメイルの音が空しく医務室に響く。


「えっと、注射……ですか」


 アメリアも血の気が引いていた。確かに彼女もあおばへ乗艦した際に検疫を受けており、採血も同時にされていたはずだ。


「そう。この世界にはどんな病原体がいるかわからないから、私たちは大忙し。医務室は艦を守る最後の砦なのよ! アメリアちゃん、小腸にサナダムシもどきをぎっしり詰め込むだけならともかく、子宮で謎の花とかネズミっぽい生き物を育てたり、肺の中にゴキブリを匿ったりされると困るから、そういうのは来る前に捨ててきなさいよね! 未知の生物はお断りよ。それと、血液検査で血中にキノコが育ってるのも見つけたわよ」

「え、えーっと……」


 アメリアは顔を赤らめつつ、指を回しながら目を逸らした。何をどうすれば体内にそれほどまでの生物を飼うことができるのやら。

 だが、これはアメリアが暮らすオルエ村は衛生環境が悪いということでもある上、我々が警戒すべき病原体や寄生生物も多いということの証左でもある。


 人の往来は病気を運ぶものと有史以前から決まっている。特に戦争は最たるもので、ペロポネソス戦争でのアテネのようにペストで文明が消えた例や、第一次世界大戦におけるスペイン風邪のように全世界に広がった例もある。


 最近では新型インフルエンザや新型コロナなど全世界に広がる例も珍しくなくなっている。船のような閉鎖環境であれば、アメリアが持っていた謎の血中キノコでさえ簡単にエピデミックを引き起こす可能性さえある。


 あおばの医務室が担う役割は極めて大きい。通常は海曹1人である衛生員を増やしておいて助かった。


「では、忙しいようなので失礼しよう。瀬里奈、アメリア、行こう」

「は、はい……」

「ほーい」


 瀬里奈はともかく、アメリアは萎れてしまっていた。腹の中が鉢植状態だとバラされてしまったのだ、恥ずかしくないわけがないか。


  *


 最後の区画は、あおばの近接防御を担うファランクスCIWSと12.7mm遠隔操作機銃が搭載されている格納庫上部へ移動する。

 海風が甲板を撫で、潮の香りを運んでくる。ここからは整備中のSH-60Kを一望でき、その向こう側にはどこまでも続くとさえ思える大海原が広がっていた。


「次は何なん? 何かあるん?」


 瀬里奈は面白くなさそうに私の方へ振り返る。面白いものならば周りに幾つもあるというのに。

 私は瀬里奈の横に配置された白い円筒状の物体を指差した。


「では、まずはこれだ。高性能20㎜機関砲、通称CIWS。あおばを攻撃する対艦ミサイルを迎撃する最後の砦であり、1秒間に100発もの機銃弾を発射できる」

「1秒間に、100発もですか……!? まさに鉄の暴風です」

「そうだ。おまけに、1発の威力は私たちが使う89式小銃より遥かに大きい」


 アメリアの表情が青ざめていく。私たちが使っていた89式小銃は秒間10発程度だと教えていたので、それより威力の高い機銃弾を10倍の速さで発射するとなれば想像もできないだろう。


「ふーん……」


 だが、瀬里奈は思いのほか不満そうな顔をしている。


「どうしたんだ?」

「なんかな、こういう形のキャラを映画で見た気がするねん」

「私が思い当たるだけでも複数あるな」


 ファランクスの射撃指揮レーダーを収めた白い円筒形のレドームは各国海軍でネタにされている。スターウォーズのR2-D2はもはや有名で、日本でもアメリカに倣ったのかミニオンに例えられ、挙句の果てには銀魂のエリザベスに見立てられるなど、そのいじられぶりは群を抜いている。


「えっと、私はマオレンの戦神像に似ているなって思いました」

「ふむ……?」


 アメリアにも何か心当たりがあるらしく、1人でクスクス笑っている。

 その『マオレンの戦神像』とやらが何かはわからないが、奇抜な外観をしているに違いない。


「それと、同じ機銃ではあるのだが、これも見てほしい」


 私は瀬里奈とアメリアを呼び、少し艦首寄りに配置された設備を指差す。

 瀬里奈の背丈より少し高い程度の塔状構造物で、上にはカメラや機銃を取り付けるマウントが配置されている。


「これは何やの?」

「12.7mm機銃だ。あの20㎜機関砲より小型で、こちらは主に海賊船を攻撃するために配置されている。さすがにドラゴンには効果がなかったが」

「ほな、これがあったらサウザンドサニー号も壊せるん?」

「あれには勝てる気がしない」


 瀬里奈が口にしたのは、どこからどう考えても某ワンピースの2代目海賊船だろう。むしろあれは乗組員の方が強力すぎて太刀打ちできないのだが。さすが音楽隊でテーマ曲を流される自衛隊公認海賊だ。


「でも、その……機関銃? みたいなのは配置されていないですね」

「そうだな。今は整備のため取り外されている。元々艦艇用に作られてはいないからな」


 この遠隔操作機銃は陸軍で用いられる重機関銃を装備する形となっている。外に置きっぱなしにすれば、すぐに錆びてしまうのだ。


「金属ですから、海風に当てると塩害がひどいですよね」

「よく知っているな。船には興味があるのか?」

「いえ、父が商人をしていたんです。その関係で船にはよく乗っていました。木造帆船ですけど、やはり金属部品は欠かせなくて」


 アメリアは海原を眺めながら呟くように言う。彼女にとっての大切な思い出、なのだろうか。


「いずれにせよ、整備は大変だ」

「ですね」


 ふふふ、とアメリアは朗らかに笑う。ここ最近でも特にいい笑顔だ。


 彼女のような子供が、こうやって普通に笑っていられるような世界。それを維持するために我々は存在する。

 この艦の全てがそのためにある。武器を使って戦わずとも、アメリアをこうやって笑顔にすることができた。それだけでも案内を行った甲斐があったというものだ。


「おっちゃん、アメリア姉ちゃんに気でもあるん?」

「瀬里奈、大人をからかうのはやめなさい」


 せっかくいいことを考えていたというのに、瀬里奈が茶々を入れたせいで台無しだ。私はただ2人の退屈を紛らわせてあげたかっただけなのだが。


「え、えっと、私はもう少し、年下の男性の方が……」


 アメリアは目を逸らしてそっけないように言うが、頬が赤くなっている。そうやって期待させるような態度をするのはいいが、私にしてみれば反応に困る。


「さすがに息子より年下の子と付き合うのは、私も勘弁したいところだ」

「え、おっちゃんって子供おるん!?」

「ああ、晴斗という名でね、もう23歳になる。今は沖縄の米軍施設で教師になるべく勉強中らしい」

「そうやったんや……」


 瀬里奈は意外そうに言うが、アメリアは一転して困った様子だ。


「ヤザワさん、もしかして既婚者だったんですか!?」

「既婚者……だった、というべきだな。妻は14年前に他界している」

「そ、その……すみません、嫌なことを聞いてしまって」

「いいんだ。それより、晴斗に会うためにも早く帰らねばならない。そのためにも、偵察作戦は成功させねばな。アメリア、先に士官室で待っていてくれ」

「あ、はい!」


 このまま辛気臭い話をしていてもしょうがない。私は努めて普段通りを意識し、この場を後にする。

 すると、瀬里奈が制服の裾を引っ張ってくる。


「おっちゃん、もう少しでええから、一緒にいてくれへん?」

「構わないが、時間になったら部屋に戻ってほしい」

「それでええよ。どうせ暇やし」


 瀬里奈は何だかんだ言っても、まだ小学生の子供でしかない。

 このまま一緒にいるのもいいか、と考えつつ、アイスクリームの自販機に向かった。

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