5話 闇への航路

 通信を途絶した海域に停船してから1時間、通信は一向に回復しなかった。

 これを受けて、護衛艦【あおば】幹部士官の一部が士官室に集合、今後の方針を策定することになった。

 司令部から指令を受け取れず、戻ることもできないとなれば、自力で生存の道を切り開くしかない。


 集合したのは、艦長である矢沢や副長の佳代子をはじめ、各部署の長、そして先任伍長を加えた8人。基本的には、この8人が艦の運営の中心となっていく。

 部屋の中央に長テーブルを配置し、それを取り囲むように両サイドへ4人、矢沢が上座につく形だ。

 用意された冷たい緑茶を一口啜り、矢沢が最初に口を開く。


「では、私から始めよう。現状があまり芳しくないことは諸君も承知の上だと思う。そこで、今後どう動くかをこの場で決めたいと考えている」

「それについて、わたくしから提案が」


 手を挙げたのは、女性機関長の長嶺だ。

 自衛隊で2番目の女性機関長である長嶺京子3等海佐。長を務めるにはまだ若い35歳という年齢だが、実力は折り紙付き。アップヘアーにまとめた髪が特徴的で、釣り目から覗くギラギラと輝く瞳、そして厳しい態度のせいで他の乗員からは恐れられている。


「燃料はさして余裕がありません。艦を海辺のどこかに隠し、ヘリで横須賀の状況を確認するべきかと」

「ダメですよダメ! ロクマルは航続距離ギリギリだし、GPSも地形情報もないし、何なら星も天測図とはまるっきり違うから天測もできないし、こんな何もわからない場所で長距離飛行なんてできるわけないじゃないですか! TACANだって、そんなに離れたら電波が届きませんよう!」

「そうですか……失礼しました」


 ヘリや無人機を管轄する部署、飛行科も兼任する佳代子に危険を指摘され、大人しく引き下がる長嶺。顔つきは怖いが、引き際はいいので安心できる。


 続いて、先任伍長の武本が重々しく手を挙げ、野太い声を発する。

 先任伍長は二百名以上もの曹士をまとめ上げる、艦でも極めて重要な役職だ。伍長とは言うが、実際の階級は下士官で最高の海曹長となっている。幹部ではないが、艦長など幹部たちにも意見を言える特殊な立場にある。

 務めるのは武本明人。中肉中背、メガネ着用と目立つ特徴があまり無い男性だが、親譲りらしい真っ青な瞳が唯一その存在感を放っている。歳も41歳と佳代子と同年代だ。


「あたしからの提案ですがね、隊員を派遣して人が住んでる場所を探しましょうや。情報さえ手に入れば、かなり動きやすくできるはずです」

「いや、隊員を送るのは危険すぎる。ここは補給物資のスキャンイーグルを使うべきかと」


 武本の案に乗っかるように、船務長の菅野が口を開く。

 船務科は主にレーダーや通信を司る部署と言っていい。その長を務める菅野俊樹3等海佐は164㎝と小柄だが、42歳という年齢の割に若々しい肌を持つ、女性が多いあおば艦内ではファンも多い美形の男性だ。佳代子より年齢は上だが、入隊が遅かったせいで佳代子の方が先任であり、階級は3佐に留まっている。


「スキャンイーグルはちょちょいのちょいで組み立てられます! いいですよかんちょー!」


 佳代子のお墨付きも得た。偵察行動の初動はもう決まったも同然か。

 スキャンイーグルは米軍や陸自が使う無人偵察機で、人が持ち運べるほどに小型なものだ。組み立て式カタパルトで射出し、回収はフックで行うことから、甲板が狭い駆逐艦や客船でも運用できる。今回の基地への補給品として複数が搭載されているので、すぐに使えるだろう。


「わかった。菅野くんの言う通り、スキャンイーグルを周辺へ派遣して偵察を行おう。しかし、人が住む領域を発見したとして、彼らに接触すべきかどうか聞きたい」


 偵察機の派遣は誰も異を唱えないことから決定だろうが、その後の対応についても考慮する必要がある。

 これに関しては、矢沢が言い終えてからすぐに衛生科兼補給科の大松から意見が出た。

 補給科と衛生科の長は同じく女性である大松六実3佐、さっぱりとした短髪と縁なし眼鏡が爽やかで、かつ知的な印象を与える、艦内でも屈指の常識人だ。顔立ちも目が大きく、額が広いものの素朴で悪くない。

 艦の物資を司る補給、そして医療を司る衛生科を担当するに足る、実直な人物でもある。


「何が何でも接触すべきです。食堂で現在のメニューを提供し続ければ1ヶ月と持ちません。その辺での採取だけではメニューのバリエーションも維持できず、隊員の士気低下は避けられないかと」

「いえ、未知の集落だった場合は別の場所も探しながら非接触の偵察を続けるべきです。隊員を危険には晒せません」


 大松の意見を遮ったのは、砲雷科の徳山だ。彼は慎重な性格、というか少し神経質なところがある。


「何を言ってる、接触すべきだ! 徳山、お前は腹が減る恐怖ってのを知らないからそう言えるんだろ!」

「補給長として言わせてもらいますけど、航海長の言う通りです。水やキノコを主食にはできないんですよ!」

「お腹空くの、やだなぁ……」


 徳山が出してきた消極案に猛烈な反対をする鈴音と大松、そして小さく呟く佳代子。声には出さないが、武本も徳山を睨みながら眉をひそめており、不満げなオーラがにじみ出ている。長嶺は逆に鈴音を訝しげに見つめていた。


「だが、食料はまだ3週間分あるんだろう。落ち着いて行動しなければ、不要な犠牲を出しかねない」

「ダメだ、絶対に反対だからな!」


 徳山の提案に鈴音は断固として反対らしく、ダン、とテーブルに拳を打ち付けた。額には青筋も立っている。

 このままではまずいと感じた矢沢は、鶴の一声に頼ることにした。ここで衝突を起こしてしまっては今後の作戦行動にも支障が出かねない。


「艦長として意見させてもらおう。食料備蓄は2週間分を最低限としたい。何らかのトラブルでこの海域を離れることになれば、下手をすれば魚だけ、もっと悪ければ食料抜きの状況が続く。そうなれば艦はおしまいだ。明らかに対話は不可能と断定できない限り、接触は最優先で行うことが好ましいと考える。危険は承知だが、艦を孤立させ続けるのは最悪の手だ」

「……承知しました。出過ぎた真似をお許しください」


 相当こたえたか、徳山は頭を軽く下げて黙り込んだ。

 彼の意見は正しい。未知の場所に入念な偵察もなしに突っ込むのは自殺行為そのものだからだ。

 とはいえ、いたずらに日数を消費していてもジリ貧になるのは確かだった。矢沢は徳山の肩に手を置くと、なるべく明るい声で励ます。


「いや、いい。意見を出し合うことが肝心だ。君の意見は正しいが、それは結論ではなく過程の話だ。それより、これで方針は決まったな」

「そうですね。じゃあ、さっそくスキャンイーグルを引っ張り出してきますねっ!」

「任せた。他も解散でいい」


 意気揚々と部屋を出る佳代子と、それを追いかける大松。通路に放置されたスキャンイーグル一式を取りに行ったのだろう。


 他の隊員たちが出ていくのを待ち、矢沢も退席しようと席を立ったところ、反対側のドアを誰かがノックした。


「誰だね?」

「失礼します、勝手な行動を取り申し訳ございません」


 平然と入室し声をかけてきたのは、先程話したダメージジーンズの若い女性だった。民間人は3名とも案内役をつけているはずだが、どうしたことか。


「君は……」

「陸上自衛隊、第34普通科連隊所属、波照間香織2等陸尉であります」


 民間人の女性、いや、波照間2尉は手をこめかみに当て、二の腕を地面に平行にする綺麗な敬礼をした。どうやら本当に陸自出身らしい。


「陸自の隊員か。休暇中かね?」

「そんなところです。どうやら緊急事態らしいので、私もお手伝いがしたいと思い立ちまして」

「そういうことなら心強い。いずれにしろ数日内には陸地へ上陸することになる。その際の偵察隊として志願してくれると助かるのだが」

「はい、喜んで!」


 波照間はほんの少し笑みを含んだ、真面目な顔つきで返事をしてくる。人の役に立つことが本当に好きなのだろうな、と矢沢は心の隅で思う。


 自衛隊、さらに言えば一般的な軍隊は、国民を含む国家とその財産を防衛、または利益を最大化するために活動する組織だ。

 そのためには武器を持って敵と戦うこともあれば、持てる装備品を使って救援活動を行ったり、演習を行ってその力を内外に見せつけ、外交交渉を有利に運ぶためのバックグラウンドとすることもある。


 これらは目立たないことが多いものの、多くの脅威や競争が存在する現代において、国民が豊かに暮らしていけるために重要なことだ。


「それと、一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「まだ何か」

「この艦はジブチへ寄港する予定だったと聞いております。どこかに別枠でM4A1とUSPがありませんでしたか?」

「いや、そんなものは載っていない。私が確認済みだ」

「承知しました。この度の無礼をお許しください」


 すっと頭を下げ、真面目一辺倒な表情を崩すことなく足早に出て行く波照間。とてもまじめだな。

 しかし、陸自への補給物資にM4A1があるとは聞いていない。一般の陸自では採用していない米国製のアサルトライフルだ。

 陸自の隊員であれば、普通の部隊ではM4やUSPなどの装備は持ってないとわかるはずだろう。


 矢沢は小さな違和感を覚えたが、気にすることはなかった。それより今は次の任務のことに集中するべきだと考えていたからだった。

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