4話 生存者たち

 自衛隊最高の護衛艦であっても、地上と同じように食堂は存在する。300名近くが同時に働く場所なのだ、広さもそこそこある。

 明るい白の壁面塗装が護衛艦の中という印象を払拭し、整然と並べられた質素な長テーブルとイスが高校や大学に設置される学食を思わせる。あくまで天井をいくつも走るパイプの群れを無視すれば、だが。


 シフトから外れている隊員のうち十数名が食事をしている他、入り口から対角線上にある机、カウンターのすぐそばに色とりどりの私服に身を包んだ民間人3名が座っている。

 矢沢はそちらに近づき、まずは民間人に向かい合って簡単な挨拶をする。


「ようこそ、護衛艦あおばへ。艦長の矢沢圭一です」

「はい、救助に感謝します」


 ダメージジーンズと白いTシャツを身にまとった若い女性だけが、軍人のように事務的な返事をする。憔悴しきっているのか、他の2名、黒いサスペンダースカートの少女と高そうなスーツを着込んだ中年男性は下を向いたままだ。


「つらい経験をされたでしょうが、もう大丈夫です。先ほどの怪物は倒しましたし、現在は横須賀に向けて航行中です」

「帰れるんですか……?」


 スーツの中年男性は震える声で問いをひねり出した。矢沢は頷き、一歩近づいて声をかける。


「通信が回復次第、横須賀と連絡を取る予定です」

「よかった、妻に会える……」


 中年男性は涙をにじませ、矢沢に目を向けた。希望に満ちあふれた、喜びの涙だ。


「それはともかく、お腹が空いたでしょう。カレーを用意してあります。皆さんで食べましょう」

「やった! ごはんが食べられる!」

「では、私と一緒に……」


 若い女性も食事と聞いて急に元気を取り戻し、その場でガッツポーズを取る。矢沢はなかなか面白い人だと思うと同時に、鋼のような強いメンタルを持っているとも思っていた。

 だが、少女が全く口を開いていない。俯いたままだった。

 後ろに長めの三つ編みを二つ垂らした幼い少女で、赤縁の小さなメガネをかけている。年齢は小学校4、5年生程度だろうか。


「どうしたんだい?」

「……お父ちゃんがおらんねん」


 少女は矢沢に顔を合わせることなく、ぼそっと呟くように言う。


「この艦では拾っていない。別の船で拾われているのだろう。安心していい」

「ん……」


 それだけ言うと、少女は先の2名に続いて今日の食事であるカレーを取りに行く。とぼとぼと力なく歩くさまは、見ていて痛々しい。

 矢沢は少女の脇へ立ち、そっと頭を撫でる。さらさらの髪は撫でていて気持ちがいい。


「……?」


 少女は不思議そうに矢沢を見つめる。


「私も迷子になったことがある。夜になった森の中だ。私の故郷ではハブという毒蛇がいてね、その怖さも何度も教えられてきた」

「蛇? そなアホな、怖くなかったん?」

「もちろん怖かった。だが、私は信じていた。諦めずに道を探せば、きっと家に帰れる。君も同じだ。諦めずに待っていれば、必ず父親に会えるだろう」

「う、うん……」


 少女はこくりと小さく頷く。


「ありがと……うち、大橋瀬里奈」

「瀬里奈か、いい名前だ」


 もう一度、瀬里奈と名乗った少女の頭を撫でる。彼女は「もっと優しくしてな……」と半ば笑いながら文句を言っていた。


  *


 横須賀に帰れる。そう隣のおじさんは言っていたけど、あたしはそうは思わない。

 この艦の艦長だと名乗った1等海佐は、帰れるとは言わずに「連絡を取る」と言っていた。

 少なくとも、この艦は外部と通信ができない状況下にある。比喩でも何でもなく、本当に通信が取れないんだ。

 あたしたち『民間人』には、不安を与えないように情報が伏せられているに違いない。


「コホン……艦長さん、少しお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 あたしはわざとらしく咳払いしながら、三つ編みの女の子の頭を撫でる艦長さんに話しかける。努めて平静を装いながら。


「ええ、遠慮なくどうぞ」


「携帯電話やゲーム機の充電をさせてもらえますか?」


「いえ、それは許可できません。本艦では電気を利用する機器の使用は一切禁止されていますので」


「そうですか。ありがとうございます」


 思った通りだ。艦長は携帯どころかゲーム機の充電さえもさせてくれない。通常の護衛艦なら、通信を行わないことを条件に隊員がゲーム機を使うことだって許可されているのに。

 とすると、この艦に何か非常事態が発生して、電気の使用を控えるよう通達が出ているのは間違いない。


 それなら、ここはあたしが動くべき事象に違いない。


 推測を確実なものに変えるために、甲板に出ることにした。あたしの推測が正しいなら、それが正しいかを判別する方法は幾つかある。


 その一つが『艦の動き』を確認することだった。

 食堂でカレーを食べてすぐ、あたしは甲板に出てウェーキを確認した。

 けど、艦はウェーキを曳いていない。つまり、艦は停止しているということだった。


「やっぱり、何かあったんだ」


 上から後部のヘリ甲板を見下ろしていると、陸自所属のAH-1Z攻撃ヘリが甲板に駐機しているのが見えた。本来なら、いずも型が陸自との共同作戦時に一時的に搭載するはずのヘリで、ましてやイージス艦に搭載されているわけがない。

 とすると、一緒に行動していた護衛艦かがの搭載機に違いない。緊急着艦といったところだろう。


 それだけじゃなかった。太陽は西の空に沈みかかっていて、東の空にはもちろん月が浮かんでいる。

 けど、月の様子がおかしかった。半月なのに、明らかに赤く変色していた。まるで月食を起こしている月のように。


「月食なわけがない。一昨日が満月だったのに、あんなに欠けるわけが……それに月食は満月の時にしか起こらない……一体、何が起こってるの?」


 ありえないような事象が幾つも起こっている。

 衛星リンク完備のイージス艦が通信途絶、艦内の態勢の変化、AH-1Zの緊急収容、そして空に浮かぶ月の異常。

 何かが起こっているのは間違いなかった。それも、あたしの想像を絶するような、大きなことが。

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