3話 未知の世界へ

「こんなことが……」


 徳山も顔に手を当て、盛大にため息をついている。

 他のCIC員も同じく気力が削がれているようで、それぞれ肩を落としたり顔を手で覆ったりしており、室内を重苦しい空気が包んでいた。

 たった1人、様子が違うものがいるとしても。


「あーっ、すごい! ドラゴンですよかんちょ! いっぱいいますよ!」


 言うまでもなく佳代子だ。緊張感がさほど感じられない。それどころか龍が闊歩する世界を楽しんでいるかのようだ。


「いずれにしろ、ここに留まるのは危険だろう。かがとアクアマリン・プリンセスを探しつつ、日本に戻るべきだ」

「ええ、私もそう思います」


 徳山が相槌を打つ。自分が動ける状況で連絡が途絶してしまった場合、するべきことは1つだ。全ての作戦行動を中止し、基地に戻るしかない。

 矢沢は艦内放送の範囲を艦全体に設定し、ヘッドセットのマイクを口に近づける。


「艦長の矢沢だ。外部との連絡が途絶えたため、横須賀基地に戻ることにした。予定では1日後には到着するだろう。外部との通信が復旧する、または横須賀入港までは第2配備のままとする。なお、かがやアクアマリン・プリンセスの位置も不明だ。双方の捜索も並行して行え」


 第2配備、つまり1日2交代シフトだ。戦闘は差し迫ってはいないが、警戒はすべき状態と言える。

 インカムを置き、ふーっと息をゆっくり吐き出し呼吸を整える。


 明らかに異様な状況下で大事なことは、己を失わないことだと矢沢は知っていた。あおばの最高責任者である矢沢も今の状況に押し潰されてしまえば、本格的に艦艇そのものが機能不全に陥りかねない。それほどまでに指揮官の重要性は高いのだ。

 矢沢は腕を組み、何も反応しないレーダー画面に目を落としながら考え込む。


「さて、どうするか」

「どうするって、横須賀に帰るんじゃないですかぁ?」

「そうではないだろう。艦長がおっしゃっているのは、あのドラゴンたちの対処だ」

「徳山くんは物分かりがいい。そう、あのドラゴンを積極的に排除していくべきかどうか、ということだな」


 へえー、と佳代子が気の抜けた返事をする。

 実際、ドラゴンへの対処は判断に迷う。我が艦への明らかな攻撃の意思があるならば排除すべきだが、日本に向かうと思われる個体を攻撃していいのか、ということだ。

 アレが現れれば、間違いなく大混乱は必至だ。先ほどの龍のように人を襲うこともあり得る。しかし、今のところ観測したドラゴンはいずれもあおばに気づいていない上、危害を加える存在かどうかは不明だ。


「この件は保留だな」

「……保留、ですか」

「危険ではあるが、向こうで対処できないものでもあるまい。先ほど証明した通りだ」


 渋い顔をする徳山。彼は積極的な排除に動きたいようだ。

 だが、部下をたしなめるのも艦長の責任に違いない。矢沢はかぶりを振り、拒否の意を示す。


「じゃあ、あっちでもドラゴンが見られるかも!」


 相変わらずの佳代子は放置することに決まった。

 当面の方針が決まったところで、スピーカーが怒声を発した。


『こちらCIC、前方に島を発見! 小島ではありません、海岸線が眼前を塞ぐように続いています!』

「バカな、ここから一番近い陸地でも東方の北大東島、それも200㎞も離れている。蜃気楼でもありえない」

『信じてくれ徳山! モニターを見るんだ!』


 航海長である鈴音の怒声を聞き流しつつ、モニターにカメラ映像を出すようCIC員に指示。すると、艦前方のモニター映像が表示される。

 確かに、水平線の上にうっすらと黒っぽい緑の島が見える。更に遠距離にあると思われる山々も確認できる。


「これは……」

「もはや海図もあてにならないな。取舵一杯。岩礁に注意しつつ停船せよ」

『了解。両舷停止!』


 船の速度が落ちていき、やがて未知の海岸の沖合に停止する。海岸が近い以上は迂闊に動くと座礁の恐れが大きい。ここは動かず周辺の状況を調査するのが先決だ。

 横須賀行きは絶望的だろう。この海域に関する情報は何もなく、横須賀への帰り道もわからない。果てには通信で助けを呼ぶことさえもできないとなれば、全く別の可能性を考慮しなくてはならなくなる。


「松戸くん、君の意見を聞かせてほしい」


 この艦の副長たる松戸佳代子に意見を募る。

 彼女はうーんと唸った後、思い出したように言った。


「そうですねえ、わたしの考えだと、あおばはニミッツになってしまったのだと思います」

「ニミッツ……あぁ、ファイナル・カウントダウンの」


 矢沢は頭の隅に埋もれていた小さな記憶を引っ張り出し、詳細に思い出してみる。

 1980年代に製作された映画で、空母ニミッツが時間を超えて真珠湾攻撃直前のミッドウェー沖に飛ばされてしまう、という内容だ。

 もちろん、これはただのエンターテイメントとして製作された映画だ。事実ではない。

 しかし、あおばは実際に未知の海域へ迷い込み、立ち往生してしまっている。状況的には類似点があった。


「とすると、我々は時空を超えて異世界、または別時代に来てしまった、ということになるが、その認識でいいのか?」

「そう、そうです! だって、ドラゴンが我が物顔でその辺飛んでるんですよ? これはもう、わたしたちは異世界に来てしまったとしか考えられませんって!」


 どことなく嬉しそうに言う佳代子。

 だが、徳山は冷静に努めているようで、声が震えていた。


「確かに、我々が知る世界と考えれば、ある程度は納得できます。あのドラゴンのような生物は今まで未確認ですが、あそこで初めて確認され、しかも日本と通信できる状態で交戦しました。その後、我々は通信途絶、先のドラゴンも複数を確認。異世界と地球が物理的に接続され、あのドラゴンが地球にやって来るのと同じように、我々は異世界に『出現』した、そう考えるのが最もつじつまが合います」

「そうなると、通信を途絶した場所に戻るのが最良の手段だな。通信が繋がらない以上は入口が閉じたと考えるべきだろうが、やってみない手はない」


 電波の特性を考えれば、まだ時空の穴が開いているならば、そこから入って来る電波が海面に反射し、僅かながら我々に届いてもおかしくはない。それが無いとなると、入り口は閉じてしまっている、ということだ。

 だが、我々はこの現象について何もわかっていない。一番有力な仮説を浮かべて帰還できる可能性はないと踏んだが、この予想が外れている場合もあるのだ。


 可能性があるならば、やるしかない。矢沢は迷うことなく命令を発した。


「よし、我々は通信を途絶した海域に移動する。両舷前進強速」

『アイサー、強速、よーし!』


 鈴音の合図で艦が動き出す。ゆったりとした振動が足元から頭にかけて感じ取れる。

 我々は戻らねばならない。こんな場所で油を売っている場合ではないのだ。


「松戸くん、生存者の確認を行うため、暫く離れる。目標海域に到達した後は1時間停船だ。それで変化がなければ士官を集めて多目的室に来てくれ」

「はーい」


 相変わらず気の抜けた返事だ。

 矢沢はCICから出て、救助者を集めている食堂に移動する。この艦に乗り合わせている以上、現状を説明しないわけにはいかなかった。

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