2話 遭遇
SOSを受け取って30分後、【あおば】は現場海域へ到着した。
しかし、濃霧のせいで外を映すモニターが真っ白だ。レーダーでは数キロ先に表示されている豪華客船【アクアマリン・プリンセス】の姿どころか、数百メートル前方を走る【かが】の姿さえ肉眼では確認できなかった。
『こちら艦橋! ダメです、ホワイトアウト! 何も見えません!』
「くそ、なぜ急に霧が……」
普段は冷静沈着な徳山も悪態をつくほどに、この濃霧は異常だった。
誰がどう見てもそうだろう。船が見えるほどまでに接近したと思えば、ものの数十秒で辺り一帯が霧に覆われていたのだから。もはや霧ではなく煙幕に近い。
「悪態をついてもしょうがあるまい。哨戒ヘリを出してくれ」
「りょーかいです、かんちょ! ブラックジャック1、発進せよ!」
佳代子は至極真面目に敬礼すると、後部格納庫に搭載している哨戒ヘリコプター『SH-60L』、通称シーホークの発進命令を出す。ブラックジャック1というのは、どこの部隊に所属する何番機かを示すための名前で、学校のクラスと席順のようなものに相当する。例として、ブラックジャックのコールサインは館山基地の哨戒ヘリ飛行隊所属となる。
通信で後方に待機している【かが】も、同じようにSH-60Kを発進させて救助に当たったとの報告が入っていた。ブラックジャック1は他のヘリと共にアクアマリン・プリンセスの乗員乗客の救助に当たる。
「哨戒ヘリ発進。目標に向かいました」
「ご苦労。我々も急ごう」
速度を緩めることなく【あおば】は海上を進む。
豪華客船が見えてきた。白い塗装、ミルフィーユのように重なるフロアと外壁、もくもくと黒煙を吐き出す上部の煙突。間違いない。
しかし、豪華客船の手前に何かがあった。海中から延びる塔のような物体が。
「あれは……客船はあれに衝突して立ち往生したのでしょうか」
「その可能性はある。だが、問題はあれが何かということだ。ここでは見えないな」
徳山は腕を組みながらモニターに映る謎の物体を注視していた。
あれが何なのか、この映像だけでは不明瞭だった。矢沢は艦橋にいる見張り員たちに確認するよう命令を下す。見張り員は双眼鏡が使えるため、遠距離の目標も見えるのだ。
「艦橋、客船に取り付く謎の物体を確認せよ」
『艦橋よりCIC! 手前の物体は巨大なウミヘビ……いえ、ドラゴンのような姿をしています!』
「なんだと!?」
徳山の推測は外れていた。双眼鏡を持つ見張り員は奴の様子をハッキリ捉えられているだろう。
だが、ドラゴンという報告は看過できなかった。映画のセットでなければ、見張り員の見間違いか。
現段階では攻撃を行えない。下手に発砲すれば、救助対象の豪華客船に弾着してしまう。おまけに命令も出ていない。
矢沢は迷うことなく通信回路を開き、直接護衛隊の隊司令に繋ぐ。
「こちら護衛艦あおば、危険生物に遭遇。現在、客船が襲撃を受けてSOSを発信しています。海上警備行動の発令を要請します』
通信の後、モニター映像を司令部へ中継する。明らかに焦りを隠せない隊司令は、上ずった声でこう言った。
『こちらも確認している。群司令にはすぐ上申しよう……!」
*
「ブラックジャック1、救助活動を継続せよ!」
「横須賀より空母ロナルド・レーガン以下第7艦隊が緊急出港! こちらへ向かいます!」
「防衛省より海上警備行動が発令! 当該目標を直ちに排除せよとの命令が出ています!」
『主砲、CIWS、攻撃──」
『オオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォ!』
あの龍のジェットエンジンにも似た甲高い激しい咆哮が、CICに飛び交う声を全て封じた。艦外にマイクなど設置されていない。あまりに強烈な咆哮が、艦の奥深くに存在するCICまで届いたのだ。
すると、龍は【あおば】の脇をすり抜け、海中へ潜っていく。
「す、すごーい……逃げたのかな?」
佳代子は目を丸くしながら、魂が抜けたかのようにモニターを見つめている。
──私もそうだと思いたい。あんなのと戦う訓練など受けてはいない。
しかし、矢沢らの願いは裏切られた。車が横から突っ込んでくるような衝撃が何度も走る。
「ソーナーに感! 先程の未確認生物が右舷に体当たりしています!」
「くっ……ダメージコントロール!」
「右舷燃料タンクに損傷発生!」
「燃料をやられたか…… RWS、攻撃始め!」
矢沢が損傷の報告と対処を行うダメージコントロールを指示する中、徳山はソナー員の報告を待たず部下に命令。艦橋後部に設置された12.7mm遠隔操作機銃が稼働し、体当たりを仕掛ける龍に照準を合わせる。
そして、担当の砲術士が掛け声を上げる。
「RWS、撃ち方始め! てーっ!」
12.7㎜機銃弾が龍に向けて連射される。本来は船舶に対して使われる機関銃だが、鱗に火花が散っていた。ドラゴンのような生物は鱗で機銃弾を跳ね返していたのだ。
『オオオオォォォッ、オオオォォォォォ!』
またしても咆哮が耳朶を打った。龍は海中に姿を消すが、再度体当たり攻撃を繰り返す。
それに対応し、断続的に12.7㎜機銃の射撃が続く。海面には小さな水柱が立ち、龍が合間を縫って攻撃してくる。
「これではなぶり殺しです、艦長」
「わかっている。副長、ここを飛んでいるAH-1Zを呼んでくれ。協力して倒す」
「はいっ! ヴァイパー3、応答を願う!」
『こちらヴァイパー3、どうした』
護衛艦【かが】搭載の攻撃ヘリ、AH-1Zのうちの1機が通信に出た。相手は女性らしく、佳代子より幾分低い声色をしている。
AH-1Z、通称ヴァイパーは陸自につい最近導入されたばかりの戦闘ヘリで、多数のロケットや対地ミサイルで武装している。船とは違い機動力に勝る戦闘ヘリなら、龍の相手にはうってつけだ。
「こちら護衛艦あおば、未確認生物を攻撃せよ!」
『ウィルコ、未確認生物を攻撃します』
「任せたよ!」
ウィルコ、飛行機乗りの間では「命令を実行する」という意味だ。似たような意味の「ラジャー」は「命令を理解した」という意味になる。
佳代子が通信を切ったのを確認し、矢沢は艦橋に連絡を入れる。
「艦橋、針路225。速度そのまま」
『アイサー! 針路225、速度そのまま。ようそろ!』
船の操縦を握る操舵手が返事をすると、進路を南西へ変えていく。ちょうど龍を背にする格好になる。
ヴァイパー3はしっかり奴を誘引できているようだ。先ほど、モニターにヴァイパー3が龍にロケット弾を1発撃ち込んでおり、龍の気がそちらに逸れていたのだ。もちろん、奴が空を飛べるはずもなく、噛みつこうとしても届かない。
「何をするんですかぁ?」
「小火器で効果が出ないならば、対抗手段は自ずと決まってくる。主砲、発射用意」
「了解。主砲発射準備」
不思議がる佳代子をよそに、徳山は主砲の射撃準備を進める。
艦首に装備されている1門の5インチ砲が右に向き、発砲を今か今かと待ち構えている。
「今だ! 面舵一杯!」
『面舵一杯! ようそろ!』
矢沢の指示で、艦が一気に右へ傾く。コンソールや海図台に置かれた書面やペンが転げ落ち、乗組員も振り落とされないようにしっかり台座や椅子を掴んでいる。
やがて、主砲の射程内に龍が入った。未だにヴァイパーを追いかけているようだ。
「主砲、撃ち方用意!」
「主砲、撃ち方始め! てーッ!」
徳山と砲術士の号令で主砲が発射される。ドウッ、と腹の底まで響く衝撃がCICまで伝わってくる。
連続で発射される5インチ半徹甲砲弾が、龍の体を盛大に抉っていく。
最後の砲弾が龍の頭部を捉えた。龍の頭部がオレンジと深紅の花火に彩られ、後には頭部のない龍の体だけが残った。
そして、龍の死骸は辺り一帯に血液をばら撒きながら海中に没した。
「すごい! わたしたちやりました! ドラゴンスレイヤーになったんですよーっ!」
「状況終了。ヴァイパー3に死骸の確認をさせてくれ」
「あいあいさー! ヴァイパー3、報告にあった未確認生物の死骸を捜索、確保せよ」
『ウィルコ』
龍を倒した、その安心感は絶大なものだ。冷静になれば、濡れた下着が冷汗をかいていたことを気づかせてくれる。佳代子も上機嫌になり、徳山も小さく息をついている。
しかし、その安堵感はすぐに掻き消された。
通信員がCICに聞こえるように、だが、消え入るように震える声で報告を行う。
「艦長、ほぼ全ての通信が応答ありません……」
「何故だ。アンテナの故障か?」
「いえ、かが搭載機のエグゼクター1とヴァイパー3とは通信可能。しかし、それ以外は全てダメです。戦術データリンク、衛星通信、民間の放送さえも、何もかも届きません。GPSも同じく……」
「どういう、ことだ……?」
通信が届かないなど、ありえないことだ。この艦には大量のアンテナを装備し、電子戦装置で未知の電波さえも拾うことができる。
それだけではない、この地球上は人工の電波で満ち満ちている。テレビ放送は範囲が限定されるが、GPSの電波はどこでも届くし、船舶の無線も受信できないことはありえない。電波妨害を受けていたとしても、その強いノイズが探知されるはずだ。
それでもなお電波を拾えない。故障でなければ何なのか。
「うーん、どうしましょ?」
佳代子は相変わらず呑気だ。状況を理解していないわけがないのだが。
そこに、かが搭載機であるSH-60KとAH-1Zが通信を入れる。
『こちらエグゼクター1。要救助者を救助中、強風に煽られやむなく救助活動を中断。かがの位置を見失ったので着艦許可を願う』
『こちらヴァイパー3、死骸は発見できず。同じく母艦の位置を見失った。着艦許可を願う』
「了解。ヴァイパー3は現空域にて待機せよ。エグゼクター1、着艦を許可。後は誘導員の指示に従ってね」
『ラジャー、感謝する。ビフォーランディングチェック』
エグゼクター1のヘリ、SH-60Kが着艦を開始する。白く塗装された幅広な胴体は車に近い外観をしており、側方には巨大なスライド式ドアを装備している。
「艦長、レーダーに感! 対空目標、方位276、距離2万に飛行物体! 速度160ノット!本艦の進路と同方向に進んでいます」
「西に20㎞、150ノット、だいたい270㎞/h程度か。輸送機か?」
「いえ、呼びかけに応じません」
『艦橋よりCIC、レーダー上の物体を視認! 翼竜……いえ、空を飛ぶドラゴンです!』
『反対方向の海上に先程のものと同種の龍を確認! 本艦から離れていきます!』
「嘘だろう……」
矢沢は思わず頭を抱えた。先ほどとは違い敵対意思はないものの、似たような龍が2体も確認されている。
通信系統を失い、味方を見失い、奇妙な生物に包囲されている。
我々は遭難者を助けたつもりが、この危険な海域で孤立し、遭難者となってしまったのだ。いつまた龍に襲われるかわからない、その恐怖が背後まで迫っている中で。
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