海賊自衛隊 ~たった1隻のイージス艦で異世界攻略~
シラトリカナミ
序章 迷える盾
1話 SOS
幼い頃、おとぎ話をよく聞かせてもらった。
怖がりな龍が、ずっと沼に引きこもっている話だ。その龍は人間が怖いと言い、沼から一歩も出ようとしない。
しかし、ある日うっかり顔を出したところを人に見られてしまう。龍は人を怖がったが、人は龍を怖がらなかった。
人は龍と交流した。人の優しい心に触れ、龍は遂に沼を出て人と共に暮らすことに決めた──
私が知るおとぎ話は優しい世界だった。
しかし、眼前に広がる光景は、それとは全く真逆のものだった。
『総員戦闘配置! 対空、対水上、対潜戦闘用意! これは訓練ではない! 繰り返す、これは訓練ではない!』
艦内に響き渡る怒号、冷房の設定温度を遥かに下回る冷たい空気、そして私の正面の巨大モニターに映る、トカゲと恐竜を合わせたような獰猛な容貌。
まさしく、伝承に出てくる龍そのものだった。
濃霧がかかる海のただ中で、海上自衛隊の最新鋭イージス艦【あおば】の正面に陣取る異形の存在。鋭い牙が無数に並ぶ口からは赤黒い液体を滴らせ、顔の大きさに比して極端に小さな目玉が、こちらをじっと見つめていた。
「か、かんちょー……」
「ありえない、ドラゴンなど、この世にいるはずが……」
副長の佳代子、砲雷長の徳山、そしてCICに勤務する23名の人員全てが、モニターに目を奪われていた。
おとぎ話にしか存在しないと思っていた化物が、確かな威圧感を持ち、科学技術の粋を集めたイージス艦の眼前に立ち塞がっている。
「艦長、司令部から連絡です。あの巨大生物を排除せよ、と」
「ああ……」
通信員の報告に、私は頷くしかなかった。
なぜこうなったか、それは一時間前に遡る──
*
「教練対空戦闘用具収め。教練戦闘終了」
青白い蛍光灯に照らされた室内に無機質な声が響くと、緊張の糸が緩む。
三十畳ほどの大きな部屋には、所せましとコンソールが並び、周辺地図やレーダー画面を映すモニター類が壁際に設置されている。部屋の中央には海図を照らし出す海図台や位置情報などを手書きで表示する透明のアクリルボード、矢沢圭一1等海佐こと艦長が着席する椅子が用意されている。
ここは戦闘指揮所、CICとも呼ばれる。この最新鋭イージス艦【あおば】の頭脳であり、全ての武器を一元管理する極めて重要な部署だ。
大量の電子機器を扱う都合上、冷房の設定温度も湿度も低い。50代も半ばに差し掛かり、乾燥肌と皺を隠せなくなってきた矢沢にとっては厳しい環境と言える。
「はーっ、おわったー!」
訓練が終わったことで気が抜けたのか、副長の松戸佳代子が大きく伸びをした。
肩にかかる程度のセミロングヘアに、少女のようにくりんとした大きな目が特徴。言動は幼稚で髪型も規定違反スレスレの問題児だが、大学時代は弾道ミサイル防衛など安全保障分野を研究していたやり手だ。階級は2等海佐、他国で言う中佐クラスに当たる。艦では艦長の補助と艦内規律の維持を行う副長の他、ヘリコプターや無人機を管轄する飛行長、弾道ミサイル防衛を行うBMD長を務める。
「ご苦労。今日も好成績だったな」
「はいっ、うまく対艦ミサイルを迎撃できましたし!」
「とはいえ、未だに旗艦を守れるほどの防御力は発揮できていません。かがも被弾しています」
最後の言葉は矢沢でも佳代子でもない。彼の横に立つ砲雷長、徳山正敏が放ったものだ。
190㎝超の大柄な体躯の割に、すっきりした輪郭、鋭い目つき、小ぶりな鼻、そして黒縁のメガネからは知的な印象を受ける。階級は3等海佐、少佐相当だ。
「それはわかっている。だが、現状では防ぎようがない」
「SM-6の投射数を増やしてはどうでしょうか。あれはイルミネーターの支配を受けません」
「それもそうだな。SM-6の搭載数増加を上奏してみよう」
「ありがとうございます」
徳山は顔色一つ変えずに礼をすると、足早にCICから出て行く。平静を装っていたが、早足でCICの扉をくぐっていったことから、トイレを我慢していたのだろう。
なお、「SM-6」はこのイージス艦の主武装、艦隊防空ミサイルのことだ。
イージス艦は元々空母を護衛する艦として開発されており、襲い来る敵の対艦ミサイルを撃墜し艦隊を守るには、長射程の対空ミサイルを多数発射できなければならない。その艦隊防衛用の対空ミサイルとして「SM-2」が開発され、SM-6はその発展型として、新たな防空システムの一翼を担う存在として配備された。
SM-2はイージス艦のレーダーで最後まで誘導してやらないといけない。現在では艦隊防空距離で同時誘導できるのはせいぜい12発が限度だが、SM-6はミサイル自体が搭載するレーダーで敵を捕らえる。つまり、射程が伸びる上、制限が緩和され大量に撃てるというわけだ。
ここから間もなく【あおば】は僚艦のヘリコプター護衛艦【かが】と共に、中東へ派遣されることになっている。
石油タンカーが多く通航するホルムズ海峡や紅海での海賊対処に加え、インドやオーストラリア、アメリカとのQUAD枠内におけるインド洋で行われる『マラバール』軍事演習参加、ジブチの自衛隊基地への物資補給と任務は多岐に渡る。イージスアショア代替として建造された艦だが、就役したばかりであるが故に乗員の錬成も兼ねているのだ。
それは【あおば】乗組員の誰しもが理解しているはずだ。国民の生命や財産、生活を守る、それが自衛隊の使命だ。それは日本だけの活動に留まらず、紛争解決に貢献することで世界を少しでも平和に近づけることも日本の安全に繋がることになる。
「かんちょー、顔が暗いですよー? もうおじいさんなのに、無理しないでくださいね」
「あ、ああ」
佳代子が心配そうに矢沢の顔を覗き込んでいた。そのついでに頬をつつくのも忘れない。
つい感傷的になってしまったようだ。年を取ってからは、このように考えに耽ることも多くなっている。それが人間としての成長の証ならよいのだが。
「ほら、また顔が! このままじゃいけないので、一緒にアイス食べに行きましょう!」
「君が食べたいだけだろう……」
大輪の花のような笑顔を見せつつ、矢沢の腕を強引に引っ張る佳代子。態度はまるっきり少女のそれであり、自衛官どころか大人としての意識も薄い。
ここぞという時は真面目になるが、それでもなお幹部でも上位に当たる2等海佐としては合格点に届いていない。彼女もそれを自己評価して認識しているはずだが、一向に治る気配が見当たらないのが問題だった。
なお、護衛艦【いずも】を皮切りに、艦内スペースに余裕のある大型艦ではアイスの自販機が設置されるようになっている。この【あおば】も従来のイージス艦より大型化しており、長期任務が常となることから搭載が認められた。
長い間陸に上がれないものの、地を這う陸や狭いコクピットに押し込まれる空よりは幾分マシな環境だと矢沢は感じている。
佳代子に引きずられCICの扉をくぐろうとした時、通信員が怒鳴るような叫び声をあげた。
「民間船舶よりSOS! あおばの南方40㎞! 現在、海上保安庁の巡視艇が現場海域に急行中!」
「わかった、我々もすぐ向かう。第2配備へ移行」
「アイスがぁ……えと、哨戒ヘリ発進準備! 衛生科は負傷者の受け入れ準備に当たれ!」
情報を受け取った矢沢はすぐさま佳代子を伴い、CICの配置に戻る。艦内に人員の配置換えを行う旨の警報を出し、民間船の救助に備える。
護衛艦は戦うだけではない。船舶の遭難など海でアクシデントがあった場合は、すべからく救助へ向かうことも任務のうちに当たる。
かがの方でもSOSを受け取ったのか、先方に乗艦している隊司令から連絡が入る。
『かがよりあおば、これより遭難船舶の救助に向かう。我に続け」
「こちらあおば了解。かが後方につき船舶の救助に当たる」
矢沢が通信を終えると、今度は艦橋の航海長から航路変更の許可を求められる。
『こちら艦橋、航路の変更許可を』
「了解した。針路186、第3戦速」
『アイサー。針路186、第3戦速!』
艦橋に詰めている航海長の鈴音孝一が通信機越しに甲高い声を発すると、船が右へ急激に傾いた。南に進路を取り始め、徐々に速度を上げていく。第3戦速は速力24ノット程度、時速にして44㎞/h程度だ。
護衛艦【あおば】は現場海域へ急行する。自衛隊としての役目を果たすために。
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