第2話 トゥロン

午後2時半頃。

スーパーで切らしていた春巻きの皮とコーンスターチを買って帰ると、マンションのドアを開けた途端にコウタさんの怒鳴り声が飛んできた。



「バカヤローッ!卵白でフィナンシェ作ろうとしてたのに、なんでパックなんかにすんだよ〜〜ッッ!!」



なんだか顔真っ赤にして怒ってる!?



「な、なにごと!?」



洗面所からリキさんが出てくる、なんだかスッキリした顔していた。



「いいじゃないのよ〜、アタシだってキレイになりたいのよ〜」



何がなにやら…。



とりあえず私は荷物を玄関に置いて靴を脱ぎ、

入れ違いに洗面所へ入って手洗いうがいをした。



「ごめんよミクル、フィナンシェ作ってやろーとしたのに、コイツ卵白を顔パックに使いやがった」



コウタさんにいきなり謝られ面食らう、



「へっ?」



フィナンシェ作ってもらう約束なんてしてないし、卵白を顔パックに利用できるとは知らなかった。



「まーたミクルちゃんには優しいんだからぁ」



リキさん、むくれる。

事情ワケありでこのカップルの家に居候させてもらってる私は、こういうとき肩身が狭い。

とりあえずエコバッグから買ってきたものを取り出し、ダイニングテーブルの上に置いた。



「春巻きの皮を買ってきましたよ、あとコーンスターチも…」



私がカラになったエコバッグを手に洗濯カゴのある洗面所へ向かおうとしたとき、コウタさんはため息をついた。



「春巻きの皮、一パックかぁ…」



「あの…、もしかして足りませんでした?」



私は不安になる。



「もう、コウタってば、せっかくミクルちゃんが買ってきてくれたんだから、文句言わないのー!」



すかさずリキさんがたしなめてくれた。



「お、ごめんな、せっかく買ってきてくれたのに…ありがとうな」



春巻きの皮一パックだいたいが10枚入り、

そもそもトゥロンがどんなものか知らないので、これで足りると思っていた。

今日の買い物は頼まれたわけじゃなく、たまたま駅前に用事があったから、ついでに買ってきたまでだった、確認すれば良かった…。



「ま、材料もそろったことだし作るか」



コウタさん、ダイニングテーブルから春巻きの皮を手にとってキッチンへ入った。

リキさんはダイニングテーブルの上に乗っていたバナナスタンドからバナナを手に後に続き、

私はその後に続いた。



「皮10枚に対しバナナ2〜3本かね、ああ、フィリピンのモンキーバナナがあれば…」



コウタさん、バナナを手にぼやく。



「しかたないわよ、今はアメ横にも行けないからね」



リキさん、慰める。

フィリピンのスイーツだからフィリピンのバナナがいいんだろうな…とボンヤリ考えながらバナナ一本を手に取ったら、原産国フィリピンとシールが貼ってあったので、思わず「あれ?」とつぶやくと、コウタさんが説明をしてくれた。



「バナナにも色々と種類があってな、日本の店で普通に売られているフィリピンバナナじゃないやつのほうがうまいんだよ、モンキーバナナっていうので、もっと小さくてわざわざカットしなくてもいいんだよ」



「へぇ、バナナにも色々と種類があるんですね!」



知らなかった…。

バナナの説明を聞いていたとき、リキさんはすでに皮を剥いてカットしていた。



市場しじょうで流通されてるバナナじゃ大きいから、こうして4等分にするしかないのよ」



私もマネてみる、バナナの皮を剥いて半分の長さにカットし、さらに横半分に細長くカット。

一本につき四等分、要するに春巻きの皮に包めたらいいのね…。



「次は、マスコバド糖だ」



コウタさんはそう言いながらスパイスの入っている収納ラック内を探す。



「あれっ、ねえや?切らしたかな…しょうがねぇ、黒砂糖にするか……って、コレもこないだ使いきったばっかだったな」



マスコバド糖って、なんだろう??と思っていたら、これにはリキさんが答えてくれた。



「マスコバド糖ってね、フィリピンの黒砂糖みたいなもんよ、フェアトレードショップでよく取り扱いされているのよ」



へぇ…日本の黒砂糖とどう違うんだろ?

この疑問に誰かが答えてくれることはなく、

コウタさんは今度は「キビ糖か三温糖はないのか〜」と、騒ぎはじめた。



「三温糖ならここよ」



リキさんが呆れたように調理台の上にあるスパイスラックからケースを引き出した、



「アンタこないだ白砂糖をやめるとか言って三温糖に切り替えたばかりでしょう?忘れちゃった?」



と…。



「おお、そーいやそーだったな」



コウタさんは照れ笑いしながらボウルにカットしたバナナを入れ、リキさんがそこに三温糖をパラパラと振り入れた。



「あのぅ…お砂糖はどれくらい入れればいいんですか?」



後で忘れないよう書き留めるのに、分量がわからないと困る。



「ん〜?そんなんテキトーだよー」



コウタさんはそう言ってバナナに振りかかった三温糖を手で馴染ませる。



「では、春巻きの皮に包むとしようか」



コウタさん、春巻きの皮をていねいに一枚一枚剥がしていく、リキさんは剥がされた皮を手に取り、器用に巻く。



「あらやだ、のりを料理するの忘れてたわ、やーねー、今日はなんだか段取り悪くてグダグダだわ」



……………えっ……………のり!?



私は文字通りおにぎりやのり巻きに使うあの“海苔のり”をスイーツに使うのかとビビったが、小麦粉を小皿にとって水で溶きはじめたからホッと安心した。


私も見よう見まねで包んでみる。

手に取った春巻きの皮の角が手前にくるように置いて…そう、正方形がひし形になるように…、真ん中よりやや下のほうにバナナを置いて、まず下方の皮を巻き込む。

次に左右の皮を折り込んでくるっと巻き、

上方の皮に水で溶いた小麦粉を塗ってくっつけた。



「お、うまいじゃん」



コウタさんに褒められる、ちょっと嬉しい。



「うちのお母さん、よく春巻き作ってくれたから、巻くの手伝っていたんです」



ここで急に両親のことを思い出し、切なくなった。



「…ナオミさん、元気なの?連絡はきた?」



コウタさん、残りのバナナを器用に手早くクルクルと春巻きの皮に巻きながら訊いてくる、

ナオミさんとは、私の母親の名前だ。



「いえ、まだ…多分、元気だと思いたいです」



実はコウタさん、ウチの母親の従弟イトコ

従弟とはいえ性別も年齢もちがうため長らく年賀状のやり取り以外はほぼ疎遠だったので、

今回両親の海外派遣が決まるまで私は知らない存在だったのだ。



「よっしゃ、巻き終わった」



リキさん、すでに鍋に油を注いでコンロに火を入れていた、さすが手際がいい。



「ミクルちゃんもタイヘンよねぇ…」



「いえ、しかたないです。ウチの親が前々から希望していたことなので…それより、お二人のジャマしているのが申し訳ないです」



私は心から詫びた、ウチの親は二人とも医者だったりする。

長年紛争地や貧困国へ医師団として参加したいと希望していてこの度念願が叶ったわけだけど、私一人が日本に残ることになって…。



あやまんなくてもいいんだぜ?」



コウタさん、慰めてくれたけど



「いえ、ホントに何度お詫びしてもしきれないです…」



なにも私が未成年のうちにそんなとこ行かなくても・定年後に行けば良かったのに!と、両親を責めたい気持ちもあったけど、

なにより情けなかったのは、自宅から近い地元の公立高校を受けたけど落ちてしまい、

滑り止めの都内の私立高校に通うハメになってしまったことだった。



「しかたないわよ〜、横須賀の自宅から都内の学校通うなんて、無理ゲーよね?」



またもリキさんに慰められる、泣きたい。




「まあな。ミクルの通う高校から近い距離に住んでる親族って、オレくらいっきゃいなかったからねぇ…お、油がいい感じにあったまってきた、さ、揚げるか」



コウタさん、次々と巻かれたバナナを手際よく揚げていく、リキさんはバットに天ぷら敷紙を敷いて側に置く。



…元々ウチの両親は地方出身者で、親族の多くが新幹線か飛行機の距離だ。

絶対に受かると思っていた本命の県立高校に落ちてしまい、なんとなく軽い気持ちで滑り止めに決めた都内の私立高校に受かるなんて…。



「学校には馴染めてるのかしら?」



リキさんが心配してくれるのには訳があった、

高校入学した途端にコロナ禍で登校できずにリモートでの授業、友達をつくることがままならなかった。



「まぁ、なんとか」



友達作るのは得意ではないけれど、ぼっちになりやすいタイプでもない。


コウタさんは揚がったバナナを次々とバットに乗せていく。



「あ、次は私がやってみます」



私はコウタさんからトングを受け取ろうとしたけど、



「あ、入れるときは素手で」



コウタさんはそう言って春巻きの皮に巻かれたバナナを一本「はい」と手渡してくれた。



「そーっと入れるんだぞ、長さがあるから鍋肌滑らすこと出来ねーと思うから、先っぽからゆっくり…」



私は言われた通りに入れてみた、春巻きバナナを縦方向にそっと先っぽから煮立った油鍋の中に入れる。



「あらぁ〜、うまく入れることできたじゃなぁい」



リキさんがパチパチと手を叩いて褒めてくれる。

私はリキさんに一番申し訳ないと思っている、

やっと好きなひとと一緒に暮らせると思っていたら、私というお邪魔虫が転がり込んできたから…。

でもリキさんは優しい、「妹が欲しかったからちょうどいいわ」なんて言ってくれたから…。



「そろそろひっくり返してみて。油の泡がデカくなった時がひっくり返すバロメーターなんだけど、この場合春巻きの下のほうがちょっと茶色くなってんの、わかるべ?」



コウタさんは私にトングを手渡し、春巻きの下のほうを指さして見せた。

なるほど、下のほうがほんのり茶色く色づいてる…。

私はおっかなびっくりひっくり返した。



シャワワワ〜…と油が音を立てるので、少しひるんでしまう。

どうも揚げ物はまだ怖いし苦手だ。



「そうビビんなって」



腰が引けてる私を見てコウタさんは笑う。



結局慣れない私は2本しか揚げられなかったので、残りはリキさんが揚げることになった。



「トゥロンできあがり〜、10本を三人で食うから…ミクル、お前が4本食え」



コウタさんはそう言って私のお皿に一本多めにトゥロンを乗せた、



「いえ、私はいいんです…」



断ったけど、



「いいのよ、ミクルちゃんはまだ育ち盛りでしょう?それにコウタさんはもう年でそろそろカロリー控え目にしなきゃなんないし、アタシは太り気味だから…、ね?」



いえいえ…育ち盛りだなんて!私も太るのはちょっと…と言おうとしたら、コウタさんが



「ひでぇよ、オレのこと年寄り扱いかよー?」



嘆きはじめた。



「だって、本当のことでしょう?アナタ今年で43歳じゃなあい」



あーあ、コウタさん、落ち込んじゃった…。



「さ、それよか食べましょ食べましょ♪まだティーバッグ残ってたわよね?」



リキさん、赤レンガの形をしたパッケージを手に取る。



「今日は何にしよ〜かしら〜」



リキさんが選んだのは、キャラメルティー。

またもミルクで割るつもりらしい。



「ほら、アナタも早く選んで」



リキさんに箱を手渡され、私が選んだのはアップルティー。

…相変わらずローズヨコハマが気になってはいたけれど、まだ勇気が出ない。



「オレはセイロンにするよ」



年齢のことズバリと言われちゃったコウタさんのテンションはやや下がり気味だったけど、

即決でセイロンティーを選んだ。



それぞれが電気ケトルからお湯を注ぎ紅茶をいれたのだけど、コウタさんが珍しくミルクを注いでいたのでビックリした。



「え、ミルクティー飲むんですか!?」



思わず訊いてしまう。



「ああ…ガキんとき、トゥロン食うとき必ずマンゴージュースかミルクティーで、その習慣が抜けねーんだ、ま、ガキん時とちがうのは、砂糖を入れなくなったことだが」



へぇ、意外。



「ミクルちゃんもアップルティーにミルクを入れてみたら?合うと思うわよ?」



え、フレーバーティーにミルク?

そもそも私はこの家に居候するまで紅茶なんてペットボトルのものしか口にしたことがなかったので、詳しくはない。

驚いたけれど、試しにアップルティーにミルクを入れてみた。



「あ、イケる」



次に揚げたてのトゥロンをひとくちかじる。

熱々でヤケドしそうな中、まったりとした甘さが口の中いっぱい広がった。



「おいしーっ!」



こんな身近な材料でフィリピンのスイーツが作れるとは、知らなかった。



「夕食フィリピン料理食いたくなったなぁ…」



トゥロンを頬張りながら、コウタさんぼやく。



「今は寒いからねぇ…でも、アドボなら材料もちょうどあるし、暑くなくてもおいしくいただけるかしら?」



リキさん、トゥロン片手に冷蔵庫の中身を確認中、どうやら今日の夕食はフィリピン料理になりそうな気配…。



忘れないうちにメモ。



フィリピン料理、トゥロン。


材料は、バナナ、春巻きの皮、砂糖(マスコバド糖または黒砂糖またはキビ糖または三温糖)、水溶き小麦粉



バナナは春巻きの皮に入るようカットし、砂糖をまぶす。

皮に包んで油で揚げてできあがり。



今日の夕食もフィリピン料理って話だから、

ちょっと楽しみ♪



















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