虫たち

 ちなみに俺はゴミ処理人をしている。虫を使うんだ。小さくて黒っぽい虫。まあちょっとゴキブリに似てるか? それよりもかわいいけどな。


  ともかく魔力を使ってその虫を呼ぶ。虫は何でも食べる。なのでゴミを食わせる。


 虫は一週間ほどで死ぬ。たらふくゴミを食った虫は、死ぬ際に魔力を放出する。俺はそれを捕まえて売るってわけだね。ゴミ処理人はたくさんいて、そしてみな貧しい。弱い魔力でできるし、学歴も才能もいらない。誰にでもできる仕事と思われていて、尊敬もされない。


 俺の親父もゴミ処理人だった。大嫌いな親父と同じ仕事をしているんだ。俺の程度が知れるだろ。


 時折――思うことがある。虫たちにゴミ以外を食わせられたらなって。それは法律で禁じられているんだ。俺は善良な人間だから、もちろん法は犯さない。


 でも想像はする。虫たちを呼ぶ。ゴミ処理人たちが力を合わせて、たくさん。それは街に降り積もる。ビルに、電車に、電柱に、線路に、道路に、街路樹に、虫たちは降り積もっていく。


 そして虫は街を食い始める。


 最終的には世界は滅びるんだ。虫に食われて。


 


――――


 


 コハルが俺の家にしげしげと訪ねてくる。試験とやらのために。けれども俺とコハルの距離が縮まるというわけではない。ただ、俺はコハルと話すときに敬語を使わなくなったけれど。コハルのほうは相も変わらず堅苦しい。


 あんまり笑わないんだ。何を考えてるかさっぱりわからない。種族が違うからか? でも俺はコミュニケーション能力が高いほうではないので、同種だったとして、わからないことが多々ある。


 季節は秋から冬へと変わっていく。街が灰色になって、曇り空が多くなる。ある時ふと、コハルが言った。


「この街はあまり雪が降りませんね」


 これは珍しい。その時俺たちは、俺の部屋にいて、二人で向かい合ってテーブルに座ってコハルの歴史の授業を聞いていた。そして俺はこの一言で俄然と乗り気になった。


 コハルが余談を挟むことは珍しい。だからもっとそれについて聞きたくなる。


「雪が降らなくて助かるよ。面倒だろ。積もったら」


 交通のダイヤは乱れるし、道は滑るし、たくさん降ったら雪かきをしなければならないし。コハルが俺を見た。少し笑ったようだった。


 ますます珍しい。俺としてはこの話題にすがりたくなる。


「……私の住んでいたところでは……たくさん雪が降りました」


 コハルが、故郷の話をしている。どんなところだったんだ? もっと聞きたい。


 けれども俺はどうでもいい話をしてしまう。


「俺はこの街の生まれで、ここから出たことはないけれど――ここでよかったな。雪は降らないし、それに暖かい」


 暖かいってのは、シンプルに気温の問題だ。人情などの話ではない。


 俺は笑って続ける。


「安いペラペラのコートでも一冬過ごせるんだ。助かってるよ」


 貧乏人に温暖な地はありがたい。コハルは笑わなかった。というか、俺の話を聞いているのかいないのか、それもよくわからなかった。


「――私は雪が好きです」


 好きなものの話か、これもまた珍しい。けれどもコハルはたちまち打ち消した。


「いえ。好きというより、嫌いではない、程度です」


 どういうことなんだよ。


 俺は想像する。少女時代のコハルを。さぞやかわいかったんだろうなあ。小さな身体で、もこもこに着ぶくれて、白銀の世界へと出ていく。辺り一面雪景色。


 ひどく寒いからな、コハルの母親はたぶん、過保護だったんだ。会ったことないから知らないけど。だから、寒さを心配して、コハルにたくさん服を着せる。コートにマフラー、てぶくろにブーツ。


 雪の積もった白い地面をコハルが歩いていく。日の光が雪に反射してひどく眩しい。友人たちの姿が見える。笑顔になってコハルが走り出す。雪の上に残る小さな足跡。


 俺は黙って、少女のコハルを思い描いていた。コハルも黙っていた。部屋は静かだ。けれどもふいにコハルが口を開いた。歴史の授業が再開され、俺はそれを聞く。


 寒くて薄暗くて寂しい部屋に、コハルの声だけが聞こえる。単調で起伏の乏しい、けれども切なくて美しい声だ。


 部屋の中に言葉だけが降り積もる。まるで雪のように。


 


――――




 終わりは突然やってきた。厚い雲が空を覆う、薄暗くて寒い日で、街はいっそう物悲しく灰色だった。夕方、俺の部屋にやってきたコハルがいきなり言った。


「試験はこれでおしまいです」


 うん。なんとなくそんな気はしてた。歴史の授業には終わりがある。語られている事柄が、現代になればおしまいだ。そして、コハルの語る猫耳たちの歴史も、現代まで辿り着いた。


 俺は緊張した。それで、試験の結果は? 俺はいい人だと認定されたのかな?


「あなたにお父さまの遺したものをお渡ししましょう」


 試験は合格だったみたいだ。そりゃそうだろうな。この数か月、とても大人しくコハルの話を聞いていたから。不届きなこともせず、大変真面目に。猫型獣人の歴史にも多少詳しくなったよ。まあ忘れたことのほうが多いが。


 勉強はさほど得意ではないんだ。


 ともかく、遺産がもらえることになったのは嬉しい。けれども一体、それはなんなのだろう。この美しき黒い猫は俺に何をくれるのだろう。昔話なら富と伴侶だが。そんなことを考えていると、コハルは小さな袋をテーブルの上に置いた。


 ふと思い出したように、コハルは言った。


「あなたのお父さまはよい方でしたね」


 そうかな。俺はそう思わないが。だから正直に言う。


「ひどい父親だったよ」

「私と私の母には親切でした」

「俺と俺の母には親切じゃなかった」


 親切だったら、俺の母親は家を出ることはなかったはずだ。


 コハルは何も言わなかった。ただ、かばんの中から、二つの小さな物体を取り出した。


 飴玉ほどの大きさだ。明るく透明な赤い色で、ハートの形をしている。ますます飴玉だ。コハルは掌の上にそれを置いて、俺に見せた。


「あなたのお父さまが遺したものです」


 まさか、これが? この飴玉が? いや、飴玉かどうかは知らないけれど、この……ちっぽけなものが?


 ひょっとすると、高価な宝石で作られたアクセサリーとかだったりするのだろうか。俺はコハルに尋ねた。


「これはなんなんだ」

「食べ物です。これを食べると夢が見られます」

「貴重なものなのか? 例えば、高い値段で売れるとか……」


 そうならば助かる。が、コハルは否定した。


「いいえ。売ってはいけません。これはお父さまがあなたのために遺したものです。あなたに――よい夢を見てもらうために」


 俺は笑い出したくなる。よい夢を見てもらう? そんなことして何になるって言うんだよ。腹が膨れるわけでなし。親父は何を思ってこんなものを遺したんだ。


 コハルは手の上のものを見て、呟くように言った。


「私が勤めている店の夢魔が作ったのです。制作のための魔力はお父さまが用意しました。特別な魔力です」

「特別な魔力ってなんだ?」


 俺は馬鹿馬鹿しい気分になっていた。元から期待などはしていなかったが。でもそれにしても、ひどい。


 せめてその特別な魔力とやらが、本当に特別なものだと期待したい。

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