第4話 王宮人造師ネネコ-4
どっくん、どっくん。
いまや耳を澄ませる必要はないほど鼓動の音は大きく響いている。
ふとリクウェルは左眼を見開き、ばちばちと瞬目した。自分が書記官であることを思い出したのだ。彼女は王宮人造師ネネコ付きの書記官だった。弟子ではない。本人はネネコから人造術を継承する弟子のつもりだが実際の役職は雑用事務係だ。今、この異常事態を記録しないで何をする。
「ひ、筆記用具と日誌を」
ひがな大鍋をかき混ぜていたから職務を忘れかけていた。文官はいかなるときも為すべきことを為さねばならぬ。リクウェルが執務机に駆け寄って記録具を持ちだそうとしたとき、今度は靴音が聞こえた。
豪雨のような響きでこの地下室に近寄ってくる。
「人造師どの! 炎族の人造師ネネコ殿、そこにいますか!」
鋼の重い扉をこじ開けて、たったひとりで駆け込んできたのは紅髪の少年だった。
寝室で休んでいる最中だったか、正装ではなく薄着のままだった。しかも上半身は裸で瑞々しい素肌を晒している。よほどの事態だ。
姿はまた幼いが表情は凜としている。
幼少期を抜け出したばかりの過渡期で声がかすれている。羽化直前の蛹のような少年だった。
「あ、わ、殿下、まって、やだ裸……!」
リクウェルが乙女の悲鳴をあげて下を向く。
彼女が密かにそして大胆に恋い焦がれている王子様が肌を晒しているのだ。一瞬だけ目撃してしまった彼の乳首を脳裏に焼き付けながら両手で頬のほてりを冷ます。王子はその脇を横切ってネネコの前に立った。
剥き出しの薄い胸にはまだ産毛もない。彼はつるんとした胸筋に拳を当てて武人の挨拶をした。乱れた紅髪が肩からこぼれる。
「初めまして。いきなりこんな姿での無礼を許してください、僕は国王リィリィスアスの息子、第一王子エウサラスです」
ネネコも落ち着いた姿勢で長衣を翻し、礼を返した。
「こちらこそ初めまして。君がきらきら流れ星の王子様だね。王族の息子は成人して先祖の名を継承するまでは我との面会を禁じられているはずだ」
「わかっています。僕は生まれて初めて父の言いつけを破ってしまいました」
「それにしても幼い王子様、君は半裸ではないか。服はどうした」
「幼い頃からの悪い癖で、つい裸のまま眠っていました。そして夢を見たのです。僕は幼い頃から幻視夢をみることがあります。夢のなかで赤い石が震えていました。激しく、まるで野獣のように鼓動を打っていました。僕はそれがこの国の礎、定礎石だとすぐにわかりました。定礎石に異常が現れたときこの国に大いなる災難が訪れると聞いています。ですが、幼い僕は肝心の定礎石がこの国の何処にあるのかさえ知らないのです。父に報告する前にまずあなたに伝えなければならないと思いました。この国の創生の瞬間からずっとここにいるあなた、僕たちの初代女王に仕えていた炎族最後のおひとり、人造師ネネコ殿に相談しなければと」
堰を切ったかのような早口だ。
一気に打ち明けて深呼吸し、その後は主人に如何を問う猟犬の顔をしている。
この王子は健気で勇敢、そして雰囲気が明るい。
ネネコは視線を動かし鼻を鳴らした。イリューシュ国の王族男子には賢い者が多いがみな内向的で陰気だ。ところがたまに例外が生まれる。どうやらこの王子は父にも祖父にも曾祖父にも似ていない、明るく快活で無謀で健気な性格らしい。民草から〝きらきら流れ星の君〟と愛称で呼ばれているのも彼の魅力の証拠だろう。
さらに幻視の能力がある。
「そのとおりだよ小さな王子様」
ネネコはさらりと告げた。
「定礎石とこの国に変化が訪れている。石の変化についてはすでに我と君の未来の妃も気づいていた。つまりこれは、異世界でこの国の命運を握っている誰かが死にかけていることを意味している」
エウサラスは表情を凍らせ、唾液を飲み込んだ。
ネネコの言葉を咀嚼できずに聞いたままを繰り返す。
「……異世界で、この国の命運を握っている誰かが、死にかけている……?」
その隣で半呼吸遅れて隻眼のリクウェルがいきなりぎゃっと叫んだ。
「えっちょっと待って待って、さっき先生が殿下におっしゃった〝君の未来の妃〟って、ままま、まさか私のことですか! きゃっはああああやあだあもぉー!」
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