第3話 王宮人造師ネネコ-3

 リクウェルは駆けた。


 食卓の上に放置されていた手鏡をとり、おのが顔を写し、気絶しそうになった。顔の右半分と口のない娘がそこにいる。悪夢に出てくる怪物の姿だ。

 喉で唸り、左眼に涙を浮かべてネネコに振り返る。

 ネネコは軽やかに、だが重苦しく頷いてみせた。


「そのとおりだよ優秀なディトリーヒ嬢、ご存じのとおり人造術は刃物を用いず思念によって人間の肉を自在に加工する。元はといえば炎族だけに許された禁忌の魔術だ。帝国時代より以前には武力のひとつとして扱われ、炎族は敵兵の心臓を遠隔で握りつぶし虐殺してきた。だが時の流れとともに迫害され、炎族は根こそぎ滅ぼされた。帝国が崩壊したとき皇女リュージュと一緒に逃げ延びたひとりの炎族直系の小娘を除いてね。――人造術は禁忌の技だ。人間の尊厳を蹂躙する。天高御座の神々に背いて、死すべき人間族の美しき命を穢す」


 ネネコが再び指先を振ると、リクウェルの鼻の下には花色の愛らしい唇が蘇る。

 リクウェルが初めて自分の隻眼で確認した本物の人造術だった。知識は頭に入っていたがやはり驚いた。素直に驚愕してしまう。

 最後の炎族も人造術も、夢物語ではなく実在しているのだ。

 鏡で確認するまでもない。再び口を得たことは感触でわかる。だからリクウェルは勇気を出して大きく息を吸った。


「たしかに、炎族が旧帝国時代に迫害され滅んだ悲劇は私も学びました。炎族滅亡の苦難から生き延びたあなたがたったひとりの人造術継承者だということも、そして初代女王亡きあとの王国が現在もなおあなたの力を恐れてこの地下に監禁していることも知っています。けれど先生、あなたはこの国になくてはならない偉大な異形です。第五代リュシュヌ王が若くして病に倒れたとき、あなたはこの地下室から一歩も外に出ることなく人造術をもちいて王の脳味噌から大きな腫瘍を摘出し命を救いました。第八九代リュベル王の第三妃が第九十代リリン王を出産したとき、胎の中で赤子がひっくり返って息絶えかけていたところを間一髪で救出したのもあなたです。他にも数多くの王族さまがたをあなたは人造術で救ってきたではありませんか。命を穢す術だなんて言わないでください。――私が誤っていました。人造術を自分の矮小な野望に用いたいなどと不埒なことは二度と申しません」


 リクウェルは深く深く腰と膝を折ってネネコに詫びた。

 ネネコの反応はない。ネネコが許しの言葉を与えてくれるまで頭を下げていようとリクウェルは覚悟した。

 どれほどの時が過ぎたのか、またネネコは声をかけてくれない。ずっと前屈しているので頭に血が逆流して目眩がする。リクウェルがそっと頭を起こして窺うと、ネネコは腕を組んだままじっと両の眼を閉じていた。


「あの、先生」


「……」


「まだ許していただけませんか。あっ、そっか、謝るより先に手を動かせってことですね。誠意は行動で示さなければ。はい、わかってます、大鍋をかき混ぜます、一生懸命にかき混ぜます! それから今夜の食事も頑張っておいしいものを作りま」


「黙って。呼吸音をたてずに」


 ネネコが鋭い小声で叱った。

 緊迫した声だった。

 リクウェルは硬直して両手で口と鼻を押さえる。ネネコは気配に耳を澄ませている。何かを探っている。リクウェルもネネコの表情を真似て額に皺を寄せ、両耳にすべての意識を集中させた。幸い、目玉と違って耳は両方揃っている。しかも片眼が足りないぶん聴力には自信があった。

 細く長い風の音が聞こえる。

 王宮の地下に密室はない。石の壁に囲まれても必ず風の抜け道がある。このちょうどいい具合が書物や食料や酒の保存に適している。さらに意識を深く潜らせる。すると何かが聞こえた。


 何かとは何だろう。

 わからない。

 わからないが、何かが震えている。震えているというよりもこれは、鼓動に近い。とくん、とくん、とくん。……


「ノリエル嬢、おまえも感じているね」


 ネネコが静かに尋ねる。

 リクウェルは頷いた。この際名前はどうでもいい。


「筋がいいね。躰に欠損の特徴がある者は偉大なる術者の適性がある」


「もう普通に喋ってもいいのですか? この鼓動は何処から聞こえているのでしょうか、まるで魔獣が目覚めたかのような」


「うまいことを言う。たしかに、目覚めようとしているのだ」


 どっくん、どっくん。



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