第11話 証言5 真由ちゃんの話

 翌日、平日なのに、珍しくエコーが忙しかった。俺と佐藤氏の二人がかりでオーダー取りに駆け回り、ホセは大車輪で料理を次から次へと出し、ようやく一息つけた時は、もう、十時の閉店まであと何分もなかった。大急ぎでテーブルを片付けていると、真由ちゃんが入ってきた。

「こんばんは、ヒロ君。日曜日はどうもありがとう」

 こちらこそ、俺も楽しかったよ、と当たりさわりのない挨拶を返したが、真由ちゃんの様子がなんとなく変だった。突っ立ったまま、もじもじしている。

「悪いけど、もうクローズなんだよ」

「ごめんなさい、お仕事中。あの、ヒロ君に聞きたいことがあって」

 真由ちゃんは訴えるように俺を見た。

「ヒロ君、香織さん、どこにいるか知らない?」

 俺はどきりとした。家にいるんじゃないの? と努めて何気なく言った。

「いないの。家の電話にも携帯にも出ないの。メールしても返事が来ないんで、香織さんのクラスメイトにも電話してみたんだけど、昨日の授業も欠席だったっていうのよ」

「それじゃ、どこかへ遊びに行ってるんだろ」

「どこへ? もうすぐ期末試験なのに」

 そうだった。学生やめて時がたってるから、試験というものがあるのを忘れてた。

「香織さん、学校は真面目に行ってるのに、この大事な時期に無断欠席なんて変よ」

「うん、まあ、そうだな」

 自分でも歯切れが悪い返事だと思った。

「ヒロ君、何か知ってるんでしょ?」

「知らないよ。俺がなんで…」

「だって、シャワーの時、男の人が二人来て、香織さんを連れて行ったって」

「誰だ、そんなこと言ったやつ」

「のり君が見たって」

 あの野郎……。ろくなことしない。

「ヒロ君、何か知ってるなら教えてよ。その男の人って、誰だったの?」

 俺は黙ってた。

「もしかして、警察?」

「どうしてそう思うんだ?」

 言ったとたんに閃いた。

「香織さんの車を借りたのは、君か?」

 真由ちゃんはうなずいた。

「わたしの車、整備に出てて、それで、実さんから会いたいって電話があった時、香織さんの車を借りたの」

 真由ちゃんの頬が赤くなって、目のあたりが潤んでる。泣きそうなんだ。

 俺はあわてた。

「おい、片付け、済んだか?」

 佐藤さんが奥から出てきた。

「真由ちゃん、車の中で待っててよ。ここ片付けたらすぐ行くから」


 俺が地下駐車場に行くと、真由ちゃんは、赤いミニクーパーの中でスマホをいじっていた。少し落ち着いたようで、もう、泣いていなかった。俺が、店から持っていったアイスティーを渡すと、スマホをしまって、ありがとうと礼を言った。

「またメールしてみたの。でもやっぱり返事ない」

 俺は単刀直入に切り出した。

「君、実さんと付き合ってたのか?」

「ずっと前の話よ。ヴィンスと知り合ってからは電話したこともなかった。だから、あの日、急に会いたいって言われて、びっくりした」

「実さんの方から連絡してきたんだ」

「大事な話があるからどうしても会いたいって。実さんの仕事が終わった後に、時間作ってくれないかって。すごく遅い時間になっちゃうから、家に来てほしくなかったし、実さんの家にも行きたくない。ヴィンスに悪いでしょ。だから、わたしが実さんをアパートの前で拾って、『やまと』に行くことにした。閉店後だけど、実さんは裏口の鍵を持ってたから」

「大事な話って、なんだったんだ?」

「ウエディングプレセントをくれたの。立派な和食器のセット。おめでとうって」

 真由ちゃんの声がかすれた。ぽろぽろと涙がこぼれてきた。

「わたし、実さんにひどいことしたのに、実さんったら……」

ひどいこと?

「君が殺したのか?」

 真由ちゃんは泣くのを止めてぽかんと俺を見た。何を言われたのかわかってない顔だ。俺は質問の方向を変えた。

「なんで実さんと別れたんだ? 喧嘩したのか?」

「そんなこと……実さんはいつも優しかった」

「じゃあなんで」

 他人のラブライフなんて、俺の知ったことじゃないんだけど、つい、聞いちまった。

「実さんと結婚しても、永住権取れないでしょ?」

「取れるさ。実さんが永住権取れば、その配偶者も自動的にとれる」

「うん。でも、いつになるかわからないでしょ? 実さんの順番が来る前に、私のヴィザが切れちゃう。言われたの。絶対確実に永住権取るなら、アメリカ市民と結婚しなきゃだめだって。それが一番早いって。だからわたし……」

 実さんと別れて、別な相手探したってことか。

「ヴィンスとは、パーティで知り合ったの。知ってるでしょ、アメリカ人とアジア人のお見合いパーティ」

 そういうパーティを企画するクラブがあることは知ってる。数年前に移民局に摘発されたけれど、こういうものは、いったん無くなってもまたすぐに別の名前で出てくる。「エコー」のお客さんからも、度々話を聞いた。

「やっといい人を見つけて、結婚までこぎつけて、これで夢がかなったって、思ってたのに、こんなことになるなんて」

 真由ちゃんはまた、ほろほろと泣き出した。

 話を聞くうちに、俺は、だんだん、真由ちゃんに同情したい気持ちが無くなってきた。良く言えば夢見る夢子さん、悪く言えば、身勝手で計算高いだけじゃないか。そりゃ、恋愛も結婚も、個人の自由だけどね。婚活って言って、結婚相談所に登録して、せっせとお見合いパーティに参加する女は日本にもたくさんいる。日本でいう、「年収うん百万以上」って条件が、ここでいう、「アメリカ市民」なんだろう。実さんは、「条件」にあわなかった。「永住権者」が「市民権者」に、かなわなかったってだけだ。

 でも、なんだかなあ。

 実さんは、咲枝さんに、恋人と別れたのは、自分がふがいないから、仕方ないんだって言ったそうだ。こんな小娘に振り回された実さんが気の毒になった。まあ、それは俺の意見。他人にはまた別の考え方があるだろう。なぜだか知らないが、香織さんは、必死で真由ちゃんをかばってるらしいし。俺は幡野さんに頼まれた仕事を果たせばいい。

「『やまと』に着いたのは何時?」

「十一時半ごろ」

「帰ったのは?」

「一時少し前」と言って、真由ちゃんは赤くなって、あらぬ方向に視線をそらした。

「プレゼントもらって、その他にもいろいろ、今までのこと、話したりしたから……」

 そうか。

 深夜の、誰もいないレストラン。久しぶりに会った、昔の恋人同士の間で、やけぼっくいに火がついたとしてもおかしくない。

「どこで話してた? タタミルーム?」

 真由ちゃんはそっぽを向いたまま答えなかった。

「一時に『やまと』を出たのは、君一人だったんだね。実さんは残ったの?」

 真由ちゃんは俺に視線を戻した。

「友達に迎えに来てもらうから、ライドはいらないって」

「友達って誰?」

「知りません」

「コジロ? ナガイ?」

 真由ちゃんは首を振った。

「ただ、友達って」

「今の話、香織さんは知ってる?」

 真由ちゃんはうなずいた。

「『やまと』の事件をニュースで見てから、香織さんに話した。香織さん、誰にも言うんじゃないって」

 それでわかった。警察がなぜ、香織さんを引っ張って留め置いているのか。多分、BMWから実さんの指紋が発見されたんだ。そして、香織さんがなぜ、頑固に沈黙を守っているのかも。

 警察がこの話を知ったら、どうなるか。真由ちゃんはアリバイがないどころじゃない。タタミルームには、真由ちゃんの指紋が残ってる可能性がある。痴話げんかの果てに、真由ちゃんが実さんを刺し殺して、凶器のナイフを持ち去ったともとれるんだ。殺人の疑いがかかるかもしれない。そうなれば、ヴィンスとの結婚だってどうなるかわからない。

「わたし、警察に行く。香織さんにこれ以上、迷惑かけられない」

 真由ちゃんが突然、ぽろぽろと涙をこぼしながら言った。

「ダメだ。絶対に行くな」

 俺はどなりつけた。思わず真由ちゃんの肩をひっつかんでいた。

「なんのために香織さんががんばってんだよ。君が出頭したら、香織さん怒るぞ。いいか、香織さんにはアリバイがある。俺が証言できるんだよ。ほかにも証人がいる。だから、じっとしてろ」

「でも……」

「でももクソもない。君が実さんを殺したんじゃないんだろう?」

「違う!」

 真由ちゃんが悲鳴のような声をあげた。

「じゃあ、黙ってじっとしてろ。君は何も悪いことはしてないんだ」

「わたし、香織さんに申し訳なくて」

「永住権、とれなくなってもいいのか」

 真由ちゃんの顔から表情が消えた。能面のように固く冷たい顔から、暗い二つの目が俺を見つめる。

「じっとしてろ、いいな?」

 真由ちゃんは黙ってうなずいた。


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