第9話 ウエディング・シャワー
真由ちゃんのウエディング・シャワーのある日曜日の夜、のりが、香織さんに頼まれた、と言って大きな段ボール箱を「エコー」に持ってきた。開けてみると、金モールやペーパーフラワー、色電球のついた電気コードがわさわさと出てきた。
「会場に飾ってくれって言われたよ」
「じゃ、お前、手伝っていけ」
「ええー。僕、お使いだけのつもりだったのに」
「『やまと』は閉店してて暇なんだろ」
「映画見に行こうかと思ってたんだ」
「あとでクリームソーダ出してやるから」
「なんか最近、ヒロ君、人使い荒いよ。誰の影響だろ」
ぶつぶつ文句を言うのりに手伝わせて壁に金モールと電気コードを張り巡らせる。テーブルには、白いテーブルクロスをかけ、ペーパーフラワーを飾った。これだけのことで、見慣れた店内が結構上品でお洒落な店に見えるから不思議だ。
八時少し過ぎに、香織さんが腕一杯の風船を抱えて現れた。
「どう、順調?」
「ご指示通りしといたけど、これでいいのか?」
俺は電飾のスイッチを入れた。ぱっと色電球が輝き、チカチカと瞬きを始めた。
「これ、クリスマス用だろ?」
「細かいこと言わないの。きれいだからいいのよ」
香織さんの指示で、中央にフードを載せる大テーブルを据えつける。バフェ形式で、フードはめいめい、勝手に取ってもらう。入口入ってすぐの所に受付用の細長いテーブルを置いた。
「受付はのり君、お願いね。参加費の五ドルを徴収してレシートを渡す。ギフトを受け取ったら、必ずシールに名前を書いてもらって、ギフトの箱に貼り付けるのを忘れないで。誰からかもらったかわからなくなると困るから」
「ええー。責任重大だなあ。香織さんやればいいのに」
「今日ね、チャイニーズの女の子がたくさん来るの。チンジャオロウスウとか、カンパオチキンとか、持ってきてくれるそうよ」
「ほんと?」
「受付、やるわね?」
「やる」
「おい、準備はできたのか?」
佐藤氏がキッチンから顔を出した。
「こいつは、俺からだ」
ざるに山盛りの枝豆だった。
シャワー開始の九時きっかりに、最初の客が現われた。
真由ちゃんのクラスメイトだというチャイニーズの女の子。二人とも色白でほっそりとして、袖なしのドレスから出ている腕なんて、ちょっと強く握ったら折れちゃいそうだ。マリーカレンダーのレモンパイと、パンダキッチンのカンパオチキンを持ってきた。受付ののりの顔が、露骨にほころんだ。
彼女たちを皮切りに、次々と客が到着する。俺はしばらくの間、飲み物の注文をとってまわるのに忙しかった。真由ちゃんの英語学校が、アジア系の多い地域にあるせいだろう、たまに、フィリピンかインドネシア人が混じるほかは、ほとんどがチャイニーズかコリアンのように見えた。年齢はおおよそ十代から二十代。四十歳ぐらいの日本人の夫婦が小学生くらいの男の子を連れて現れた時はちょっとびっくりした。真由ちゃんのホームステイ先のホストファミリーだそうだ。
客は全部で三十人くらいいただろうか。受付横のテーブルには、きれいにラッピングされたギフトの山ができた。のりの手で几帳面にラベルが貼られている。フードテーブルには、サラダ、フルーツ、寿司、春巻き、シューマイ、フィッシュアンドチップス、ピザ、タコス、オレンジチキン、ムサカ、チリ、サンドイッチ、ラザニア、カップケーキなど、食べきれないほど、大量の料理が並んでいる。なかなか賑やかなシャワーになりそうだ。ただ、肝心の主役がまだ到着していない。
「真由ちゃんはどうしたんだ?」
俺はコークを渡しながら、香織さんにそっと聞いた。ベイビーズラスで、体調が悪いって聞いたから、ちょっと不安になった。
「心配しなくても、ちゃんと来るわよ。主賓は少し遅れてくるように言っておいたの。その方が目立つでしょ」
香織さんの計算どおり、それからしばらくしてやって来た真由ちゃんは、拍手で迎えられた。
真由ちゃんは細く小柄な女の子で、二十七という年よりも大分若く見えた。小花の散った模様のサマードレスが良く似合う。はにかんだような笑顔がかわいらしい。
香織さんが乾杯の音頭を取り、祝福の言葉を述べると、客たちはめいめい、好きなように飲んだり食べたりし始めた。のりが、カンパオチキンに突進していくのが見えた。香織さんは如才なく、次々にテーブルを回って人の輪をつなげていく。完璧なパーティホステスだ。俺がパーティを開く時は、ぜひ、香織さんに女主人役をお願いしたい。そうこうするうちに、近所のラーメン屋店主で、うちの常連客のよしさんがやってきた。
「ヒロ君、盛り上がっているじゃないか」
「すみませんが、今日は貸し切りで…」
「知ってるよ。食い物足りてるか? うちの店の餃子持ってきたぞ」
よしさんは、チャイニーズの友達としゃべっていた真由ちゃんに近づくと、おめでとう、と大きな声で言って肩を叩いた。幸せになれよ。いいか、人生は、結婚から始まるんだ。これからが本物の人生だからな。
真由ちゃんは、とんでもない飛び入り客に驚いてる。香織さんが、佐藤氏からマイクを借りると、ステージに上がった。
「皆さん、お話がはずんでいるところ、申し訳ありませんが、少々お時間を拝借して、今夜の主賓、花嫁の真由ちゃんから一言、ご挨拶を頂きたいと思います」
拍手喝采。
真由ちゃんは赤い顔をしてステージに上がり、香織さんからマイクを受け取った。赤い顔をますます赤くして、ありがとうと言い、半泣きになりながら、幸せになります、と言ってお辞儀した。全員がいっせいに拍手し、誰かの指笛がぴーっと鳴った。よしさんが、ひときわ大きい声で、いいぞ、と叫び、「マスター、カラオケだ!」と怒鳴った。よしさんの「人生劇場」を皮切りに、カラオケ大会が始まった。
そのまま終われば、シャワーは大成功だったはずだった。そうならなかったのは、香織さんのせいではなく、よしさんのせいでもなく、もちろん、俺のせいでもない。
シャワーの終り近く、十二時に近かっただろう。俺は二人連れの男に声をかけられた。「君、ちょっと」
「はい。少々お待ち下さい」
俺はよしさんに新しいビールを運んでから、なんでしょうか? と男たちに訊ねた。その時には、何か変だ、と気がついていた。この二人はいつ入ってきたのだろう。入口には「パーティのために貸し切り」と張り紙してある。もう、飛び入りはごめんだ。それでも、煙草を吸ったり、風に吹かれて酔いをさましたい客のために、ドアはロックしてない。よそ者が紛れ込む余地はあった。俺は、ちらりとギフトの山に目をやった。いじられた様子はない。
二人連れの一方は野暮ったいスーツを着た赤毛の白人、もうひとりはラフなジャケットを細身の身体にひっかけたラテン系の男だった。人種と身なりは違っても、二人ともどこか横柄な空気を漂わせているのは共通していた。日曜日の夜、友人が集まってのお祝いの席とは完全に異質な存在だ。理由はすぐにわかった。
「西條香織さんは、いるかね?」
男の一方がバッジを見せて聞いた。
香織さんは、佐藤氏とカウンターで話をしていた。
「あ、ヒロ君。あと三十分ぐらいでお開きにするつもりなんだけど……」
顔を上げた香織さんの目が、俺の後ろに立っている二人の姿をとらえた。
「この二人が、君に話があるそうだよ」
香織さんは不思議そうに二人の刑事を見た。本当に、わけがわからない、という顔だった。
西條香織さんですね? とラテン系の男がバッジを見せた。
「そんなものここで出さないでくれ。パーティがぶちこわしになる」
佐藤氏がぶっきら棒に言って、カウンターの奥へあごをしゃくった。
「話があるなら奥でしろ」
キッチンの横に、部屋とも呼べない狭いスペースがあって、佐藤さんはそこに机を置いて伝票整理などの事務仕事をしている。香織さんと刑事二人はそこへ入っていった。俺も後からついていった。香織さんを一人にしたくなかった。
二人は自分たちを、LASDのジョンソンとロドリゲスと自己紹介した。
「西條さん、五月××日の火曜日、夜十一時半から翌日午前二時半までの間、どこにいらっしゃいましたか?」
ラテン系の刑事が聞いた。言葉は丁寧だったが、香織さんを見る目は厳しかった。
「家にいたと思いますけど」
「誰かそれを証明してくれる人がいますか?」
「わたし、アパートで一人暮らしです。そんな人いるわけないでしょ」
香織さんは全く平静だった。警察の尋問なんて屁とも思ってないらしい。度胸だけはある、と俺は感心した。
「そうですか、困りましたね」
ラテン系の刑事は大仰にため息をついた。
「西條さんの車はBMWで色は白、登録ナンバーは、MYFALCN。間違いありませんか」
「ええ」
「その車が、火曜日夜の十一時半にウォルナットのレストラン『やまと』の裏口にとまっているのを見た人がいるんですがね」
俺は心臓が止まったような気がした。
「その時間に『やまと』で沢木実氏という日本人の寿司シェフが殺されています。知っていましたか?」
香織さんは黙っている。
いきなり、すべての感情を失ったように無表情に宙を見つめている。俺にも、刑事にも見えない何かをまじまじと見ているようだった。
「もしもし、西條さん、聞いていますか?」
刑事が、無反応の香織さんに苛立ったように聞いた。指を香織さんの目の前でパチリ、と鳴らす。
「え? 何ですって?」
「ウォルナットの『やまと』で起きた、寿司シェフ殺害事件を知っているか、とお尋ねしたんです」
「知ってます。ニュースで見ました」
香織さんは気を取り直したようにしっかりした声で答えた。
「我々としては、なぜ、あなたの車がその時間に『やまと』の裏口に駐車していたのか知りたいのですがね。あなたは『やまと』にいらしたんですか?」
「先ほども言いました。自宅にいました」
「しかし、あなたの車は『やまと』に駐車していた。なぜですか?」
香織さんは沈黙している。
俺はやきもきした。
なぜだ。なぜ、黙っている?
あの夜、香織さんはここに来て、ウエディングシャワーの会場に使わせろ、と強談判していたじゃないか。その後で、俺に自宅まで送らせた。自分の車は整備に出した、と言っていた。なぜ、そう言わない?
「あの……」
俺はたまりかねて口を出そうとした。とたんに腹に衝撃を感じて、うっとうめいた。香織さんが肱で俺の横腹を思い切り突いたんだ。
「何か?」
刑事は、初めて俺に気がついたようにこっちに目を向けた。
「いや、何でもないです」
強烈な肱撃ちが、黙ってろという合図であることは馬鹿でもわかる。
「君は?」
「ここのウエイターをしています。あの、そろそろ閉店なんですが」
刑事は俺を無視することに決めたらしい。再び香織さんに向き直った。
「いつまでもだんまりを決め込んでいると、警察署に来てもらいますよ。なぜ、あなたの車が『やまと』の裏にあったんですか?」
「見まちがいじゃないかしら?」
ふいに香織さんは明るく言った。「誰だか知らないけど、その目撃者の方、きっと見まちがえたのよ。暗いから無理もないわね。わたしの車はうちの車庫に入ってました」
「いっしょに来てもらいます」
今まで黙っていた大男の赤毛の刑事が香織さんの腕を捕えた。香織さんは俺の方を向いた。
「ヒロ君、あとのことは頼むわ。参加費はお店へのチップだから、佐藤さんとホセとあなたで分けて。受付やってくれたから、のり君にも少し分けてあげて。皆には、何も言わないのよ。わたしは急用で出かけたと言って、あやまっておいてちょうだい」
俺は呆然と、刑事二人と店を出て行く香織さんを見送った。
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