第7話 証言4 ルディの話

 実さんは、寂しい人だったらしい。真面目で努力家だが人付き合いが下手で、友人も恋人もいない。礼儀正しいが、そこから一歩踏み込むことはない。誰の邪魔にもならず、誰の気も引かない。傍から見れば、何考えてるかわからない。麻美ちゃんのちょっと怖い、というのは正直な感想なんだろう。

 実さんの弟がやって来るまであと一週間あまり。俺はルディに電話をかけ、今晩のアポイントメントを取り付けた。時間は十一時。俺の仕事の都合上、多少早上がりにしてもどうしてもその時間になる。人を訪ねるには遅い時間だが、俺は心配しなかった。ティーンエイジャーにとっては、十一時なんてまだまだ宵の口だろう。事実、ルディはあっさり承知して住所を教えてくれた。

 

 ルディは、まだ高校生で両親と兄弟姉妹と一緒に、メキシコ系移民の多い地区の一戸建てに住んでいた。今朝訪問した咲枝さんの家の周辺よりも道路は狭く暗く、入り組んでいる。舗装はでこぼこで、あちこちに穴が開いている。家が小さいのに住んでいる人間の数は多いから、道路の両側には、車庫に入りきらない車が隙間無く路上駐車している。どれも古い年式で、バンパーがへこんだり、塗装がはげたりしているのも珍しくない。香織さんのBMWなら、こんな時間にここに駐車しておくのは剣呑だ。でも、俺の古いシヴィックは、ここではしっくりと町になじんだ。

 ルディの告げた番地の前に停車して、最初に目についたのは、茶色くはげかかった芝生でもなく、ドライブウエイに設置されたバスケットボールのゴールでもなかった。前庭に植わっている松の木に、トイレットペーパーの花が満開だった。

 高校生がよくやるいたずらだ。トイレットペーパーのロールを高く放り投げて、ペーパーを木の枝に引っ掛ける。落ちてきたロールを拾ってまた投げ上げる。これを繰り返すと、木の枝という枝から無数の白い紙がひらひらと、七夕の短冊か、クリスマスツリーのモールのように翻ることになる。

 当初はそれなりに壮観だが、トイレットペーパーは所詮トイレットペーパーだ。あまり上品な飾りとは言えない。雨でも降れば濡れて破れ、パルプ状になった汚らしい灰色の塊が惨めにぶら下がることになる。町の美観を損ねることはなはだしいので、ほとんどの町でこのいたずらは禁止されているはずだが、伝統を誇るこのトイレットペーパーの花吹雪は一向に絶滅に向かう気配はない。

 ルディの家の花はまだ新しいようだった。街灯の明かりを反射して白く輝いている。このいたずらは卒業式の前後に、夜中にこっそりと目当ての家に車で乗り付け、数人がかりでしかける。この家の誰かが、来月、高校を卒業するのだろう。もしかしたら、ルディかもしれない。

 俺は花盛りの木をじっくり鑑賞してから、表口に向かった。ベルを鳴らすまでもなく、ドアが開いて、ひょろりと背の高いメキシコ人の男の子が顔を出した。

「ヒロ?」

 俺がそうだ、と答えると、入って、とドアを大きく開いた。

「親父たちはもう寝てるんだ」

 小声でささやくと、暗い家の中を通り抜けて奥へ導いた。


 スイッチを入れると、そこは、明るい黄色い電灯に照らされたキッチンだった。暗闇に慣れていた俺は、目を瞬いてまわりをを見回した。磨きこまれた木のテーブルの周囲に椅子が七、八脚。片側に白いホウロウのオーブン。流しの奥の出窓には赤白チェックのカーテンがかかり、鉢植えのハーブが並んでいる。壁にはきれいに洗った様々な大きさの鍋が掛かっている。業務用かと思うような大きな冷蔵庫の扉には買い物メモや子供のシールがべたべたと一面に貼ってある。カウンターの隅にコーヒーメーカーと電子レンジ。壁の時計はコチコチと音をたてて時を刻み、乾いた空気の中にはタマネギとスパイスの香りが濃厚に漂っている。

 ここは、ひとつの世界の中心、家族が集まる場所だ。懐かしく、安心のできる場所。俺は、子供の頃によく行った、ばあちゃんの家の台所を思い出した。

「何か飲む?」

 ルディは冷蔵庫を開けて中を覗きこんだ。

「バドワイザーでいい?」

「いや、運転するからビールはいい。コークかペプシがあったらもらおうか」

 ルディはコーク缶を出してテーブルの上を滑らせてよこした。自分はバドワイザーを開けて、うまそうに一口飲んだ。

「君、いつ二十一歳になった?」

「ついさっき」

 ルディはにやっと笑って言った。

「ママに叱られないか?」

「もう寝てるって言ったろ」

 ルディは戸棚をかき回してポテトチップの袋を探し出し、大きなボールに入れてテーブルの上に置いた。仕事を終わったばかりで腹が減ってたので、俺は遠慮なく手を出した。二人とも口をきかなかった。ひとしきり、ポテトチップをつまむ、かさかさという乾いた音ばかりがキッチンに響いた。やがて、ルディはボールを俺の方に押しやると、椅子の背に寄りかかって両足をテーブルに載せた。

「あんたに協力しろってオーナーに言われたけど、何聞きたいの?」

「実さんのことだ。実さんの弟がもうすぐ、日本から来るんだ。それで、今度の事件のこと、説明できるようにしておきたいんだ」

「警察の仕事だろ」

「警察が何かしてくれると思うか?」

 ルディは声を出さずに笑った。

「思わない」

「協力してくれるかい?」

「いいけど、でも、僕は何も知らないよ」

「君は実さんと親しくしてたって聞いた」

「まあね」

「実さんのこと、どう思う?」

「ミノルはクールだったよ」

「クール?」

 思いがけない言葉だった。誰に聞いても真面目一方の堅物としか思われていなかったような実さんが、クールだって?

「どんなとこがクールなんだ?」

「ミノルはファイターだった。男は戦うために生まれてくるんだって言ったよ。男はココロザシを立てたら、脇目もふらずに戦え、それがサムライだって」

「そんな話をしてたのか? スペイン語で」

「そう。ミノルが僕に日本語で『進撃の巨人』を読んでくれて、意味をスペイン語で言ってくれる。で、僕がミノルのスペイン語の間違いを直す。交換教授だよ」

「日本語に興味があるのか?」

「当然。僕、剣道やってるんだ」

 へえ、と俺は子供と大人の中間のような、ルディの顔を眺めた。

「ミノルも中学までやってたんだけど、膝を痛めて止めたんだって、残念がってた」

 思いもよらなかった。実さんは、日本人の同僚の誰にも心を開かなかったのに、メキシコ人のティーンエイジャーとだけは会話が成立していたらしい。

「何、変な顔してんの」

「いや。今までいろんな人にミノルの話を聞いたんだけど、みんな、ミノルは無口で無愛想だって言ってたから」

「当然。おかしくもないのにニタニタ笑えるかよ。男は半年に一度、片頬で笑えばいいんだ」

「それもミノルが言ったのか?」

「うん」

 俺は呆れた。実さんはウルトラ硬派の信条を持っていて、この少年はそれに傾倒しきっていたらしい。いや、でも有り得るか。この年頃の少年はロマンチストで、「挑戦」とか「栄光」とか「地獄の訓練」とかいう言葉にころりと参る。少年マンガやアニメを見てみろ。主人公たちは、勝利の栄光を目指し、喜々として過酷な修行に励んでいるじゃないか。現実にも「死のブートキャンプ」とか、「SEALSの特殊部隊訓練」への参加者はあとをたたない。

 実は俺もそういうのに憧れた時代があった。毎晩必死で腕立て伏せと腹筋運動に励み、ダンベルを振り回していた。今となっては忘れたい過去だ。ルディを笑えない。

「何、赤くなってんの」

「なんでもない。ミノルが亡くなった夜だけど、君は仕事に出ていたよね。何か、変わったことはなかった?」

「ないよ。いつも通りだった」

「何時頃に店を出た?」

「十時頃かな」

「ミノルは?」

「同じ頃」

「ミノルは夜、店を出てからまた戻るなんてことはあった?」

「知らない」

 俺はちょっと考えた。

「ミノルが死んだこと、どう思う?」

 ルディの顔が険しくなった。きつい目で俺を睨みつけた。

「F××× ×××」

 Fで始まる最悪の罵倒の言葉だ。俺はすぐに謝った。

「悪かった」

 崇拝していたヒーローが死んで、どう思うもないものだ。事件の被害者の家族にマイクを突きつけて、今のお気持ちは? とやるマスコミと同じ、無神経な質問をしてしまった。罵倒の言葉に、ルディの、俺に対する怒りと、ミノルが死んだことへの悲しみと切なさがこめられている。俺はもう一度謝った。

「すまなかったよ」

 ルディはしばらく黙っていたが、やがて、ぽつり、と言った。

「ミノルは敵に殺されたんだ」

 俺は息を呑んだ。

「敵?」

「コジロ」

「それが敵?」

「うん」

「それ、警察に言ったのか?」

「言った。証拠があるのかって聞かれた」

「あるのか?」

「無い」

「じゃ、どうしてコジロがミノルを殺したってわかるんだ」

「二週間ぐらい前、仕事に行ったら、ちょうど、ミノルがメルセデスから降りてくるところだった。メルセデスはすぐに行っちまったけれど、超クールな車だったから、あれ、誰 って聞いた。そしたら、コジロの車だって言って、あいつは敵だって言ったんだよ。ミノルの様子がなんとなくおかしくなったのはそれからなんだ」

「様子がおかしいって?」

「元気がなくなって、僕ともあまり話さなくなった。そうかと思うと、変なこと言い出すんだ。敵を前にして逃げるのは卑怯と思うか、なんて」

「なんて答えたんだ?」

「敵前逃亡は銃殺だよって言ってやった。ミノルはそうだなって言って、みんな冗談だって言った。でも、目は笑ってなかった」

「その、コジロって何者なんだ?」

「知らないんだ。僕はあの時、車に気をとられてて、あんまりよく見てないんだ」

「男か?」

「多分」

 実さんの知り合いでメルセデス・ベンツに乗る人間が、そんなにたくさんいるとは思えない。幡野さんに聞いてみよう。

 いつの間にか壁の時計が一時近くを指している。俺は話を切り上げて帰ることにした。キッチンの裏口を出ると、ガレージだった。そして、そこにゴージャスとしか言いようのないアキュラが駐車していた。俺がヒュッと口笛を吹いて賛嘆を表すと、ルディの顔が赤くなった。

「僕の車なんだ」

「君の?」

 漆黒の車はピカピカに磨き上げられ、薄暗いガレージの中で夜の湖のように白い光を放っていた。

「親父さんが買ってくれたのか?」

「まさか。バイトで金貯めて自分で買ったんだ。リース切れの三年落ちを知り合いから安く譲ってもらった。ラッキーだった」

 そういえば、のりのやつが冗談のように、「やまと」で一番いい車に乗ってるのは、一番若くて一番給料の安いバスボーイだと言っていた。こいつのことだったのだ。

「いい車だな」

「うん」

 ガレージから外に出ると、星が一杯に輝いていた。どこかの家の裏庭で犬が吠えている。その吠え声が誰もいない街路に響いて、なんとなく物悲しい気分になった。

 ルディは俺が車を駐車したところまでついてきてくれた。あのアキュラを見た後では、俺の小さなシヴィックは、大鷲の前のスズメのようにみすぼらしく見えた。ワックスがけまでは手が回らないにしろ、今度の休みには洗車してやろうと心に誓った。

 俺が車に乗り込むと、ルディが何か言った。俺は窓を開けた。

「何か言ったか?」

「コジロを見つけたら、教えてくれ」

「なぜ」

「当然、ミノルの仇を討つんだ」

 俺が言い返す言葉を見つけ出す前に、ルディは足早に家の方に戻っていった。


      

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