第6話 証言3 咲枝さんの話

 二つの電話番号のうち、俺は、咲枝さんの方に先に電話した。店の中で実さんと一番親しかった人だし、なんといっても死体の第一発見者だ。電話してみると、子供が学校へ行っている間なら、時間が取れるというので、俺は早起きして、仕事に行く前に咲枝さんの家に寄ることにした。

 執拗にまつわりつく眠気を冷たいシャワーで吹き飛ばしてから、六十番のフリーウエイに乗った。咲枝さんの住むタウンハウスへ行くには、幸い、LAの中心部に向かう朝の通勤の渋滞とは逆方向に走ることになる。咲枝さんは熱いコーヒーを用意して待っていてくれた。

「本当にびっくりしたわ。あんなことが起きるなんてねえ。あ、このドーナツ、おいしいのよ。一ついかが?」

 咲枝さんのご主人はUPSのドライバーをしていて、二人の間には小学校三年生と一年生の女の子がいる。居間のマントルピースの上に、咲枝さんによく似た、目の細い、ふっくりした頬の女の子の写真が並んでいた。時間が無いので俺は簡単な自己紹介の後、さっさと質問を始めた。

「咲枝さんはあの日、何時に『やまと』に行かれたんですか?」

「十一時少し前だったわ。いつも通り、裏に車をとめて裏口から入ったの。そしたら、実さんがまだ来てないんだけど、何か知らないかって梅田さんに聞かれたのよ。そう言えば、裏に実さんのフォードが停まってなかったな、と思ったけど、知らないって言って。いつも通り、開店準備にタタミルームの障子を開けたとたんに、あれを見つけちゃって」

「驚いたでしょうね」

「キャッて叫んだわよ。でもね、初めはわけがわからなかった。誰かのジョークだと思ったくらい。キッチンの誰かが鎧着てテーブルに座ってるんだって。それから畳が汚れてるのに気がついたの。なんだろうと思って良く見たら、血じゃないの。テーブルが黒いから、最初は血が流れてるのに気づかなかったのよ。ぞっとして見直したら、かぶとの下の顔と目が会っちゃって。まっすぐこっちを見てるのに、何も見てないの。ビー玉みたいで……おお、イヤだ」

 咲枝さんは急に寒さを感じたように、半袖から出ている肉付きのいい二の腕をごしごしとこすった。

「それから警察がやってきて大騒ぎ。わたしも尋問されたのよ。警察って横柄でいやね。どことどこに触ったか、とか、ナイフをどうしたんだ、とか、まるで犯人あつかい」

「ナイフ? 実さんは刀で殺されたんじゃないんですか?」

「知らないわよ。警察がナイフって言うんだから、そうなんでしょ。わたしはナイフも刀も見なかった。でも、テーブルの下に転がってたとしても気付かなかったと思う。覗き込む余裕なんかなかったもの」

「そうでしょうね」

「テレビでサムライの幽霊だって騒いでたけど、あれはでたらめよ。あのよろいかぶとは、昔のサムライの霊がとりついてるような骨董品じゃないもの。森田さんが去年、日本から取り寄せたイミテーションなの。『やまと』には全部で四つあって、いつもタタミルームに飾ってあった。去年のハロウイーンの時、サントスが着て剣舞の真似事みたいなのをしてみせたら、お客さんの子供達は大喜びしてた」

「咲枝さんは、『やまと』の中では実さんと一番親しかったと聞いたんですが、最近、実さんの様子に何か、変わったこととか、気がつかれたことはありませんか?」

 咲枝さんは手を振った。

「親しいなんて…。わたしは少し世間話をしただけですよ。でも、まあ、真面目な人だったわね。酒も煙草もやらない。昼休みにはスペイン語会話を勉強してた。カリフォルニアじゃ、キッチンスタッフはほとんど全部、メキシコ移民で英語が通じない人もいるでしょ。将来、自分が店を持った時のためにって思ってたんでしょうね。あとはひたすら働いてお金を貯めてた。もう、亡くなってしまったから言ってもいいと思うけど、実さん、『やまと』が定休日の月曜日には、別の店でアルバイトしてたの。中国人経営の店で、カウンターじゃなく、キッチンで寿司作ってたのよ。あんなに働いて、身体壊さなきゃいいけどってわたしなんか、心配したわ」

「店の外に友達なんかいなかったんですか?」

「さあ、聞いたことない。東京の同じ店で修業した先輩がLAでやっぱり寿司シェフしてるって言ってたけど」

 幡野さんだ。

「出身地が同じ人とかは?」

 咲枝さんは首をひねった。

「さあ…。実さん、あんまり聞いたことのないところの出身だったのよ」

「へえ、どこですか?」

「西の方だった。郷土料理かなんかの話をしてる時にひょこっと出てきたのよねえ。ちょっと待って、今思い出すから……」

 咲枝さんは天井を睨んで考えこんだ。

「いや、いいです」

 幡野さんか雇い主の森田さんに聞けばわかるだろう。

「とにかく、仕事以外じゃろくろく口も利かないような人だった。確かに腕は良かった。仕事が速くてきれいで、さすがに東京で修業した人だと思ったけど、あんなに愛想が悪くちゃちょっと困るかなとも思ったわね。お客さんからお酒勧められても、断わっちゃうんだから。下戸だったんだろうけど、ご愛嬌に、形だけでも飲む振りしないとね」

「彼女もいなかったんですよね」

「いたみたいよ」

 俺はびっくりした。みんなの話から、実さんという人は、全くの朴念仁だと思っていた。

「いたんですか?」

「お節介かなと思ったんだけど、一度、知り合いの女の子を紹介しようかなと思ってね、彼女はいないの? って聞いたことがあるの。そしたら、そんな気になれないって、言われちゃった。もしかして、女に興味ないのかと思ったら、向こうも気をまわしたみたいで、以前はいたけど、振られたんだって言ったの。あんたみたいな真面目な人を振るなんて、馬鹿な女の子だねって言ってやったら、俺が不甲斐ないから仕方ないんですって言ったのよ。なんか辛そうで、あたしももう何も言えなくなっちゃった」

 沈黙。

 俺の気持ちも重くなった。

「わたしの方からも一つ聞いていいかしら」と、咲枝さんに言われて、俺はもちろんと答えた。

「実さんのお葬式とかはどうなるの? もし、こっちでやるなら、わたしもお悔やみに行きたいんだけど。いえね、一緒に働いてた縁もあるし。実さんみたいな人って、あんまりこっちにはいないじゃないの」

 どういう意味……殺されたってことか?

 鼻白む思いでいると、咲枝さんは、違うわよ、と憤慨したように言った。

「そんなことじゃなくて。真面目で努力家で……日本人らしい日本人ってことよ。ヒロ君、こっちに来て何年?」

「九年と二か月です」

「私は十二年よ」

 咲枝さんはため息をついた。「最近、時々、日本人っていいなと思うことがあるの。礼儀正しくて温和でおとなしくて。やたら自己主張の強いアメリカ人ばかり相手にしてるからかもしれないけど……。実さんには幸せになってもらいたかった。あんなに頑張ってたんだから」

「十日後に弟さんが来ることになってます。多分、弟さんと幡野さんが相談して後のことは決めるんじゃないかと思います」

「そう。そう言えば、弟さんのことは聞いたことがある。店を持ったら、こっちへ遊びに来るように言ってやるんだって。それが、こんなことになるなんてね」

 咲枝さんは、コーヒーのお代わりいかが、と言いながら立ち上がろうとしたので、俺は辞退した。そろそろ行かないと仕事に遅刻する。

「お邪魔しました」

 表口まで送りに出てきた咲枝さんは突然、みまさか、と叫んだ。

「実さん、みまさかの出身だって言ってた。わたし、関東の出身で、西の方はよく知らないものだからピンと来なかったのよ。みまさか県」

 そんな県あっただろうか?

 社会科の授業ははるかに遠い昔で、そこで聞いた内容はぼんやりした霞の向こうに消え去っている。

 俺は咲枝さんに礼を言って仕事に向かった。

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