第3話 証言1 幡野さんの話

 その夜、俺は仕事が終わってから幡野さんの家に行った。

 幡野さんは奥さんの康子さんと一人娘の恵ちゃんとLA郊外の庭付き一戸建てに住んでる。面倒見のいい人で、日本からの留学生がいつも一人や二人、ホームステイしている。俺も渡米したばかりで右も左もわからない時に、世話になった。

 アパートを借りて一人暮らしするようになった今でも、折に触れて夕食をごちそうになりに、ここへやって来る。この家のキッチンで皆でテーブルを囲んでいるとなぜか、ほっとするんだ。自分のことを裏表よく知っている人たちの間にいる安心感がある。あまり認めたくないけど、「家族」のありがたみが、渡米して九年たって、ようやくわかってきたのかもしれない。康子さんのホームメイド、絶品の白菜とキュウリの漬物の引力は別にしても、だ。

 この夜、幡野さん宅のキッチンは静かだった。夕食の間、『やまと』の寿司シェフの話題は出なかったが、かえって不自然で会話はぎこちなかった。テーブルは早々に片付けられ、康子さんはさっさと洗い物に立った。幡野さんは難しい顔をして煙草をふかし、下宿人ののりは学校の宿題を口実に自室に消えた。俺もそろそろ引き上げようとした時、ヒロ君、と幡野さんが呼んだ。

「俺、森田と今日、電話で話したんだがな……」

 森田氏は、「やまと」のオーナーだ。幡野さんとは同じ県人会に所属している。幡野さんのうちの居間には、金色に輝く大小のトロフィーがいくつも飾ってある。県人会が、親善ゴルフトーナメント以外に何をしてるのか、俺なんかにはわからないが、出身地は、アメリカで暮らしていると結構意識させられる。「どちらのご出身ですか?」は、アメリカ人であろうと、インド人であろうと、日本人であろうと関係なく初対面の会話でよく出てくる質問だ。話のとっかかりとして無難なんだろう。出身地がオハイオ州だろうが、ボンベイだろうが、千葉県だろうが、それで相手を傷つけることはない。幡野さんと森田氏は、たしか、秋田県の出身だったはずだ。

「沢木は殺されたのかもしれない、と森田が言うんだ」

 幡野さんは暗い声で言った。

「警察がそう言ったんですか?」

「はっきりしたことは森田も知らないらしい。だが、今日、警察にメキシコ人の清掃業者が出頭してきたそうだ。昨夜遅く、『やまと』の店内でサムライがもう一人のサムライを刺し殺したのを見た、と言ってるそうだ」

「サムライが?」

「よろいかぶとを着た人間が、という意味だろうな」

「その男は警察に通報しなかったんですか?」

「怖くて一目散に逃げてしまったと言ってる。家族や友人に話したら、夢でも見たんだと笑われたそうだ。ところが、今日になって『やまと』の事件が報道された。何か関係があるかもしれないから、と警察に話すように周りから勧められた。本当は関わり合いになりたくなかっただろうな。だが、後であれこれ余計なことを詮索されるよりは、先に警察に情報提供しておいたほうがいい、ということだろう。不法滞在者は辛いな」

「それで、その男は殺されたサムライが沢木さんだと言ってるんですか?」

「いや。店の中は薄暗くて顔なんかよく見えなかったそうだ。サムライはかぶとをかぶってたわけだし」

「じゃあ、沢木さんとは限らないじゃないですか」

「そりゃそうだが、戦国時代の日本じゃあるまいし、現代のLAで、よろいかぶとを着た人間が一晩のうちにそんなにころころ死ぬか?」

「まあ、そう言われればそうですけど」

 俺は黙った。幡野さんも黙って煙草をふかし、沈黙が続いた。康子さんはこっちに背を向けて皿を洗っている。水音だけがやけに大きく聞こえた。

「なあ、ヒロ君。俺は沢木が哀れでならないんだ。あいつは、真面目なやつだったよ。ていねいな仕事をするやつだった。いずれは独立して自分の店を持つってのがあいつの夢だった。若いのに遊びもしないで、せっせと金を貯めていたよ」

「礼儀正しい人でしたね」

 康子さんは皿洗い機の蓋をばたんと閉めると、くるりとこちらに向き直った。

「アメリカへ来てすぐ、ここへ挨拶に見えたんですよ。うちの人は、日本で同じ親方についたってだけで、実際には会ったこともなかったのにね」

 康子さんの目は怒りを含んできらきらと光っている。

「わたし、腹が立ってたまらないの。よろいかぶとなんて、漫画じゃあるまいし。ヒロ君、誰があんなことしたのか、調べてくれないかしら」

 俺は仰天した。

「それは警察の仕事でしょう?」

 警察なんて、と康子さんは馬鹿にしたように言った。

「たかが日本人ひとり死んだところで、何もしてくれやしませんよ。自分達の仲間が殺されれば大騒ぎしますけどね。実さんはアメリカ市民でもなんでもないんだから」

 うん、そうだな、と幡野さんがうなずいた。

「何年か前、裁判所の前で警官が一人射殺された事件を覚えてるか? やったのはギャングになりたがっていた馬鹿な若いやつだったんだが、あの時はすごかった。ポリスカーが二十台以上出動して、ヘリコプターを何台もとばして犯人を追いかけまわしたんだ。亡くなった警官の葬儀も一大イベントになって、さすがに新聞が皮肉ったよ。一介の市民が殺された時もここまで熱心にやってくれたら、もう少し犯罪が減るんじゃないかって」

 俺は昼間見たテレビを思い出した。『やまと』の前には、ポリスカーが三台いただけだった。

「ヒロ君、俺は犯人を捕まえてくれって言ってるんじゃない。そんなことは、俺だってできないさ。ただ、沢木がどうしてこんなことになっちまったのか、それを知りたいんだ。さ来週には、沢木の弟が日本からこっちへ来るそうだ。その時、ちゃんと説明してやりたいんだ」

「ヒロ君にこんなことお願いするなんて、筋違いよね。実さんに会ったこともないのに。本当はわたし達が自分でやるべきなのよ。でも、この人は一日中、店に縛られて動けないし、わたしも、恵がいるから思うようにならない」

 康子さんはうつむいた。「正直言って、気がとがめてるの。実さんのこと、もっとちゃんと見てあげてればって」

「頼むよ、ヒロ君。沢木の弟が来た時、俺は沢木のために、何か言ってやりたいんだ」

 二人に頼みこまれて、俺は、わかりました、と言った。

「俺も仕事があるから、大したことはできないかもしれませんけど」

「うん。もちろん、仕事優先は当たり前だ。暇を見てやってくれればいいんだよ」

 

 幡野さんも人がいいな、家に戻る車の中で俺は思った。誰でも自分の生活で手一杯で、人の面倒まで見られないのは当たり前じゃないか。沢木氏がおかしな死に方したからって、気に病む必要なんかないんだ。知らん顔してたってかまわないのに。

 もっとお人好しなのは、その幡野さんから面倒な仕事を頼まれ、引き受けた俺だ。なんで引き受けたりしたんだろう?

 実のところ、俺は実さんに一度だけ会ったことがあった。もう随分前、幡野さんのところからアパートに引っ越した時だ。幡野さんの知り合いが何人か、引っ越しの手伝いに来てくれて、そのうちの一人が実さんだった。フォードのピックアップに引っ越し荷物を積み込んで運んでくれた。お礼にランチをおごったけど、無口な人で、特に話もしなかったし、その後疎遠になった。幡野さんはもう、忘れているらしい。俺も今日の午後まで忘れてた。

 でも、その義理だけで引き受けたわけじゃない。

 

 外国でひとり死んだ親族なんて、迷惑なだけだろう。日本にいないのだから、あまり交際もなかっただろうし、音信さえ途絶えがちだったかもしれない。去るものは日々に疎し。ほとんどその存在すら忘れている人間が死んだと突然の知らせを受けても、大概の人は戸惑うだけだろう。それでも、会社や商売を休んで、自分の予定を変更して、時間とお金をかけて大急ぎで飛行機に乗る。なんで自分が、と内心ぼやきながらも、世間体を考えて、義務感からはるばるやって来る。

 実さんの弟さんは、優しい人かもしれない。お兄さんの死を悼んでいるかもしれない。そうであってほしいと思う。でも、それなら余計に、その弟さんに迷惑をかけてしまった実さんは心苦しいだろう。

 幡野さんにはその気持ちがわかるのだ。実さんの代わりに、こんなことは本意ではなかったのだと、一言、弁解してやりたいのだと思う。

 馬鹿げた感傷だ。でも、俺は、それに付き合うことにしたんだ。

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