第2話 バッドニュース

「勘弁してくれよ。料理の持ち込みなんて無茶だよ」

 その夜、俺は特別手ごわい相手と戦っていた。

「無茶だからわざわざ頼みに来たんじゃないの。わからない人ね」

 香織さんはきつい目で俺を睨んだ。

「わからないのはどっちだよ」

 俺はため息をついた。

 俺がバイトしてるカラオケ喫茶の「エコー」は、ロサンゼルスのダウンタウンのはずれにある。カウンター、猫の額サイズのステージがあるフロア、それに個室が二つあるだけの、こじんまりした店だ。客は近くの店やオフィスで働く日系人が多く、昼食を取りに来たり、仕事帰りにビールを一杯やりに寄る。日本人留学生が、友達誘ってカラオケに来たりもする。

 香織さんはUSCの音楽科の学生で、週に一度は顔を出すお得意さんだ。家はお金持ちらしい。授業料の高い私立大学に留学してるんだから当然、予想できることだけど、おそろしく強情でわがままなお嬢さんでもあった。

 俺は戦術を変更して、からめ手から攻めることにした。

「な、このメニュー見てくれよ。和食から中華、アメリカン、メキシカンと品揃えの豊富なこと。ここから選ばないって手はないだろう?」

 コックのホセはきつねうどんからカリフォルニアロール、えびシューマイ、ピザ、ハンバーガーにタキトス、タコスとそれこそなんでもこなしちまう器用なやつだ。香織さんはふんと、鼻であしらった。

「知ってるわよ。いつも来てるんだから」

「じゃあ…」

「あのね、あたしはホセの料理に文句あるんじゃないの。ただ、このパーティは盛大にやりたいのよ」

「盛大に注文してくれていいよ」

「予算がないのよ、わからない人ね」

「つましくやるなら個人宅でやりゃいいだろ?」

「人数集まれる広い場所がいるの。一生一度のことなのよ。みんなでお祝いしてあげたいじゃないの」

 ああ言えばこう言う。俺はくたびれてきた。

「わかったよ。オーナーに頼んでやる。でも、佐藤さんがダメと言ったらあきらめろよ」

 オーナーの佐藤氏は、店の奥でレイカーズの試合の中継を見ていた。勝っていてくれろよ、と俺は心の中で祈った。こんな非常識な話を持ち込まなきゃならない時には、オーナーが少しでも機嫌がいい方が助かる。

「佐藤さん、ちょっといいですか?」

「なんだ」

 佐藤氏は画面から目を離さずに答えた。俺はちらりとスコアに目をやった。六十二対五十九。接戦だ。

「香織さんが、うちでパーティやりたいって言うんです。料理持込みで」

 佐藤氏がこちらを見た。

「アホか」

「ですよね、やっぱり」

 怒鳴られないだけ、マシだ。俺はさっさと退散しようとした。ところが。

「何のパーティなんだ?」

「ウエディング・シャワーだそうです」

 俺は香織さんから聞いたとおり説明した。香織さんの友達の真由ちゃんが来月結婚する。アメリカでは、ウエディング・シャワーというしきたりがある。新婦の友人が結婚式の前に集まって新生活に必要な品物をシャワーのように浴びせて祝ってやるという習慣だ。普通、新婦の姉妹、親友、同僚などが幹事になって計画するものらしいが、留学生の真由ちゃんの家族は日本にいる。そこで世話好きの香織さんが買って出た、ということらしい。

「招待客は二十人、みんな学生で金が無いから、料理は持ち込みたいと」

 いいよ、と佐藤氏はあっさりと言った。俺の方がびっくりした。

「いいんですか?」

「日曜日の九時なら、うちはひまだ。ただし、飲み物の持ち込みはなし。うちで買ってもらう。そこは守れよ」

 テレビからわっと歓声があがった。レイカーズがゴールを決めたのだ。佐藤氏はテレビに向き直って、もう、こちらを見ようともしなかった。

 香織さんは喜んだ。ヒロ君に相談してよかったわあ、と言う。相談というよりごり押しだったのだが、感謝されて悪い気はしない。

 真由ちゃんに知らせる、と言って、香織さんはスマホでメールを打ち始め、俺は店の後片付けと掃除を始めた。火曜日の夜で、客は多くなかった。週末の夜は、学生アルバイトの美紀ちゃんが応援に来るが、平日のウエイターは俺一人だ。もう少し忙しいとチップが増えて助かるんだが。

 香織さんが、スマホをしまって立ち上がった。

「ヒロ君、うちまでライドしてくれない?」

「なんだよ、いきなり」

「わたし、車ないのよ。整備に出してるの。ここへは友達に送ってもらったのよ」

「俺、まだ、勤務時間中だよ」

「上がっていいぞ」

 店の奥から佐藤氏が出てきてぶすっと言った。「どうせもう、誰も来ない。さっさと上がっちまえ」

 ラッキー、と香織さんが明るく言い、俺は、時短になって―そして減給になって―タイムカードを押した。


 翌日、ちょうど昼飯時の客が帰って、一段落した時だ。OLが二人、食後のコーヒーを前におしゃべりに夢中で長っ尻してる他は、俺の知り合いの、のりというへなちょこが、壁の大型スクリーンでテレビ見ながら、カウンターでうどんをすすっているだけだ。

「あれ、これ、『やまと』だよ」

 のりが素っ頓狂な声を上げた。

「うわ、どうしちゃったんだろ」

 ロサンゼルス郊外らしい風景が画面に映っている。百日紅とスタージャスミンの植え込みがある駐車場。中央に大手チェーンのスーパーマーケット。その両隣に、ちまちまと小さな店舗が並んでいる。ピザ屋、酒屋、美容院、それに日本食レストラン。

 俺も何回か行ったことのある日本食レストランの「やまと」だ。そのガラス扉の前に、立ち入り禁止の黄色いテープが張られている。クライムシーン、キープアウトの黒い文字が禍々しい。画面中央に、若い女性レポーターが深刻な顔をしてマイクを握って立っている。背景には数台のポリスカーと制服の警官、なにやら物々しい雰囲気だ。

 ヴォリュームを上げると、ざわざわという雑音と共に、レポーターのかん高い声が聞こえてきた。

 それによると、今日の十一時少し前、ウォルナットにある日本食レストラン「やまと」で、若い男の死体が発見された。見つけたのは、出勤してきた昼番のウエイトレス。開店準備のために、タタミルームの障子を開けると、よろいかぶとに身を固めたサムライがテーブルの上にすわっていた。畳に大量に血が流れ、壁にも血しぶきが飛んでいた。ウエイトレスの悲鳴を聞いてキッチンからスタッフが飛んできて大騒ぎになり、マネージャーが警察に知らせた、ということだった。

 警察の調べで、よろいかぶとを着て死んでいたのは、「やまと」の寿司シェフの沢木実さんだとわかった。沢木氏は、今日、出勤時間の十時を過ぎても姿を見せなかった。マネージャーが自宅と携帯に電話を入れたが、連絡がとれなかったという。キッチンスタッフはウエイトレスが悲鳴をあげるまで、沢木氏が店のタタミルームで死んでいることにまったく気がつかなかったと言っている。それ以上のことはまだ、わかっていない。

 大変だな、という声で振り返ると、いつの間にか、オーナーの佐藤氏が後ろに立ってテレビを見ていた。隣にキッチンから出てきたホセもいる。

「佐藤さん、この人、知ってるんですか?」

「一度ぐらい、どこかで顔を合わせたかな。狭い世界だからな」

 佐藤さんはリモコンを手に取るとチャンネルを切り替えて、野球中継を見始めた。ホセは、「サムライ、カワイソウネ」と言ってキッチンに戻っていき、俺はOL二人が帰っていった後のテーブルを片付け始めた。同じ日本人なのに冷たいようだけど、俺たちには何もしてやれないし、こっちも生きていかなきゃならない。

うどんを食べ終わったのりだけが、俺の後にくっついてきた。

 のりはLAに来てまだ二ヶ月にしかならない留学生で、英語学校に通いながら大学進学を目指している。俺が昔世話になった寿司シェフの幡野さんの家に下宿していて、たまたま俺が幡野さんの家に寄った時、「ヒロ君はアメリカ生活の大先輩だからな。目をかけてやってくれよ」と言われた手前、邪魔っけでもそう冷たくはあしらえない。

「ねえ、ヒロ君。『やまと』どうなっちゃうのかな?」

「どうもならないだろ。しばらく臨時休業になるだろうけど」

「そっか。じゃあ、僕も、しばらく休みになるのかな」

 のりは暢気な顔で、仕事ないなら、どっか遊びに行こうかな、と言った。

「お前、『やまと』でバイトしてるのか?」

「先々週から、週末の夜だけね。幡野さんが口きいてくれたんだよ。ウエイターって結構、大変だね」

「幡野さんは『やまと』のオーナー、知ってるのか?」

「うん。寿司シェフの実さんも、幡野さんの紹介だったんだって。時期は違うけど、築地の同じ店で修業したんだってさ」

「実さんって、死んじまった寿司シェフじゃないか」

「うん。幡野さん、ショックだろうね」

「実さんって、どんな人だったんだ?」

 俺が「やまと」に行ったのは三、四年も前で、その頃の寿司シェフは違っていたんだ。

「よく知らないけど、なんか、ぶすっとした人だったよ。珍しいよね。寿司シェフって、おしゃべりな人多いじゃない」

「そりゃ、人それぞれだろ」

「実さんって、お客さんともあんまりしゃべってなかったみたい。もう一人の寿司シェフのサントスの方が人気があるって感じだった」

 のりは大したことは知らないらしい。俺は幡野さんの家に電話を入れ、留守番電話にメッセージを残した。

 

 夕方、香織さんが現れた。開口一番、ニュース見た? と聞いた。

「見たよ。驚いちゃうな」

「あたし、さっき、『やまと』に行ってみてきたの。中には入れなかったけど、ガラス戸から覗いてきた」

 俺は香織さんのフットワークの軽さに感心した。野次馬もここまでくれば立派だ。

「実さん、ナイフみたいなもので腹を刺されてたんですって。もう、その辺、血だらけだったって。タタミルームの障子を開けたとたんに、むうっと血の匂いがして気分が悪くなったそうよ」

「そんなこと誰に聞いたんだ?」

「咲枝さん。『やまと』の昼番のウエイトレスよ。彼女が死体を発見したの。夢に見そうだって言ってた。災難よね」

 そういうわりには元気がいい。

「わたし、最初、真由ちゃんのウエディング・シャワー、『やまと』でやろうかなって思ってたのよ。真由ちゃん、あそこでバイトしてたことがあるから」

「へえ、そうなんだ」

「でも、『やまと』はLAの東の端っこで遠いじゃない。真由ちゃんも、気が進まないって言うし、じゃあ『エコー』の方がいいかなって。ここならカラオケもあるし、みんなにも便利だし。無理きいてもらえたしね。こっちにして良かった。『やまと』にしてたら、会場変更しなきゃならないとこだった。しばらく開けられないわよ、あの店。殺人事件の現場じゃね」

「実さんって、殺されたのか?」

「知らないけど、でも、鎧着て死んでるなんて変じゃない。そうだ、真由ちゃんのシャワーね、結構、人数集まりそうなの。三十人ぐらいになりそうなんだ。よろしくね」

 しゃべりたいだけしゃべって、香織さんは帰っていった。

 

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