サムライUSA
日野原 爽
第1話 サムライ
無人の駐車場を蛍光灯の青白い光が照らしている。
この駐車場を利用する小店舗――クリーニング店、ピザ屋、酒屋、美容院、それに日本食レストラン――は、とうに表のドアに閉店の札を出している。さっきまで開いていたスーパーマーケットも、零時になると、最後の客を大急ぎで送り出して、そそくさと表を閉めた。彼らが帰っていった後、がらんとした駐車場に動くものはない。地面に斜めに引かれた白線がくっきりと目立ち、古い車から漏れたオイルのしみが、黒いあざのように蛍光灯の光を吸い取っている。
静かだ。
駐車場わきの交差点の信号だけが、無人の道路を見下ろしながら、赤から青、黄、と音もなく色を変えていく。
信号が何度目かに青に変わった時、小型のヴァンが一台、駐車場にすべりこんできた。埃で汚れた白い車体の横に細長いホースと丸いブラシを装着している。
駐車場に入るなり、ヴァンは轟音をあげてブラシを回転させ始めた。植え込みに沿って走りながら、ブラシでゴミを掃き出し、ホースで吸い上げる。植え込みから次の植え込みへと、無人の駐車場を隅から隅まで走りまわる。驚いた野良猫が植え込みから飛び出した時だけ、ヴァンは一時停止した。動物愛護精神からではない。ひき殺してしまうと、あとの始末が面倒だからだ。猫が街路樹の上に逃げてからヴァンは再び動き出した。
作業がほぼ終りかけた頃、どうしたわけか空のペットボトルがひとつ、ホースの吸引を逃れた。ペットボトルはころころと転がって、放置されていたショッピングカートの下に入り込み、そこで止まった。
清掃夫は舌打ちしてヴァンを止めた。ペットボトル一個ぐらいと思うが、彼の上司は、ことのほかうるさい。きれいになっていない、という苦情の電話一つで首がとびかねない。清掃夫はため息をついて軍手をはめ、車から降りた。
よく晴れた夜だった。頭上には細かい砂粒のように星が散らばっている。風はない。動かない空気は、むっと強い花の香りに満ちている。もう、夏だ。
ショッピングカートをどけ、身を屈めてペットボトルを拾い上げ、しかしヴァンには戻らなかった。
植え込みの向こうには小店舗が一列に並んでいる、そのうちの一軒の店の奥で何かが動いたような気がしたのだ。ガラス張りのドアに閉店の札をさげた、日本食レストランだ。
清掃夫は歩み寄って、店の中を覗いた。
椅子とテーブルが並んだフロアは、非常灯に照らされてぼんやりと明るい。その中を、異様な黒い影が動き回っていた。頭に三角形の奇妙なヘルメットをかぶり、いかつくこわばった肩を持つ影は、片手に長い棒のようなものを持っている。
サムライ。
それは、映画で見たことのある、日本の鎧武者の姿だった。
清掃夫は息を飲んで目をこらした。
サムライは四人いる。それが、三対一で戦っているようだ。
一人が撃ちかかり、手強く跳ね返された。いったん下がると、残りの二人に無言の合図を送り、今度は三人でいっせいに切りかかった。防戦側は一人の刃を跳ね返し、するすると後に下がった。が、そこで壁にぶつかった。なおも戦ったが、ついに刀をたたき落とされ、降参するように両手を上げた。その無防備な腹めがけて刀が突き出された。
清掃夫は思わず声をあげた。
サムライは、一、二歩、よろよろと歩き、膝が砕けたようにばったりと前のめりに倒れた。
うまいものだ。
もちろん、これは演技だろう。このレストランでパーティでもやるのかもしれない。
清掃夫は感心しながら、倒れたサムライが起き上がるのを待った。
サムライは動かない。
その身体の下の絨毯が、濡れたように黒いことに、清掃夫は気が付いた。
勝者は床に膝をつくと、倒れた相手の首にちょっと手をやった。顔を上げると、その目が、ドアの外で覗き見していた清掃夫の目とかちあった。
サムライは立ち上がると、刀を下げたままこちらに近づいてきた。顔はよく見えない。だが、清掃夫は、ヘルメットの陰で白い歯が光ったのを見たと思った。
サムライは笑ったのだ。
清掃夫は逃げ出した。
停めておいたヴァンに飛び乗ると、大急ぎで駐車場を離れた。
あとは、ただ、無人の交差点で、信号が規則正しく色を変えていた。
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