第7話【女王陛下の暗殺】

 オフィスビルに潜り込んだユーシアは、どさくさに紛れてエレベーターに乗り込んだ。


 迷わず最上階のボタンを押し、ゆっくりと上昇していくエレベーターに背中を預ける。途中で乗り込む人がいなかったのは幸いだった。

 やけに静かな最上階のフロアに降り立ち、さらにそこから非常階段を使う。厳重に閉ざされた屋上の扉は、面倒なので対物狙撃銃で撃ち抜いてぶち破った。



「うん、見晴らしも上々だね」



 ぐるりとフェンスを周囲で取り囲んだだけの無骨な屋上に足を踏み入れ、ユーシアは議員選挙の会場となっている広場を見下ろす。


 ちょうどいい感じに広場は見える。ついでにたくさんの支持者に囲まれるグリムヒルド・アップルリーズの姿も。

 ユーシアが近くのオフィスビルに潜んでいるとは、夢にも思っていないようだ。そのまま甘い言葉を支持者どもに囁き続けるがいい。一瞬で地獄に旅立たせてやる。


 純白の対物狙撃銃を三脚で支え、ユーシアは腹這いになって狙撃銃を構える。冷たい銃把に頬を寄せて、それから重要なことに気がついた。



「あ、そうだそうだ」



 携帯を取り出して、リヴにメッセージを送る。


 昨日の会談の内容を録音しておいたのだ。声はちゃんとグリムヒルド・アップルリーズのものだし、これなら失脚を狙えるかもしれない。

 一度目の死というものだ。社会的な死とも言う。どちらにせよ、あの女は生きることを許さない。


 メッセージを送ればすぐに既読の文字が浮かび上がり、ちゃんと録音データがリヴに届いたことを示していた。



「リヴ君なら上手く使うよね」



 あの信頼できる相棒であれば、間違いなく上手い使い所を見つけてくれるはずだ。


 携帯電話を懐にしまい込み、ユーシアは照準器スコープを覗き込む。

 十字線レティクルの向こう側では林檎のピアスが特徴的なババアがお得意の演説を披露している最中だが、何を話しているのか全く聞こえない。それだけでとても憎たらしく見える。


 そんなババアを守るように、ユーシアにしか見えない幻想の少女が小さな腕を目一杯に広げて立ち塞がっていた。

 義兄にこれ以上の殺人はしてほしくない、とでも言っているかのようだ。残念ながらその願いは聞き届けられないが。



「ごめんな、エリーゼ。そこを退いてくれよ」



 さあ、それでは儀式を始めよう。



 ☆



 儀式の瞬間が訪れるのをひたすら待ち続けたユーシアは、歩道を物凄い速度で突き進んでいく車を見て仰天する。

 まさかあんな馬鹿なことを、相棒の真っ黒てるてる坊主以外の人間がするとは思えない。一体誰があんなことをやったのだろう。


 グリムヒルド・アップルリーズの味方か。それなら先に眠らせておかないと。



「――――あ、なーんだ」



 車に照準を移したユーシアだが、車から降りた人物を見て拍子抜けした。


 相手は真っ黒な雨合羽レインコートを身につけたてるてる坊主のような格好の青年、リヴである。やはり相棒のリヴ以外に通行者や支持者ごと轢き殺そうと考える人間はいなかったようだ。

 車に乗っていた人物がリヴなら問題ない、任務は続行である。


 ユーシアは照準をグリムヒルド・アップルリーズに戻し、慌てふためく彼女を遠くから観察する。



「それじゃあ始めようかな」



 リヴが携帯電話を片手に、グリムヒルドへ迫る。録音データを聞かせて脅しをかけているのだろう。


 照準器を覗き込み、十字線の上にグリムヒルド・アップルリーズを置く。マイクの前でリヴが録音データの入った携帯電話を振っている様を見ると、おそらく支持者に録音データを聞かせているのか。

 彼女の顔が青褪めていく。血の気が失せた顔のまま、彼女はリヴに何かを叫んでいる様子だが、その言葉まではオフィスビルの屋上で腹這いになるユーシアの耳にまで届かない。


 まずは一発、その足元に。



「一発目」



 ユーシアは発砲する。

 タァン、という細く長い銃声と共に放たれた弾丸はグリムヒルドの足元の段差を穿った。


 彼女の顔が弾かれたように上げられる。狙撃手を探して周囲を見渡し、リヴと睨み合っていた合法な女装ショタことローザリアがグリムヒルドを守ろうと立ちはだかる。

 まあ、そんなことをしても無駄なのだが。



「二発目」



 排莢し、次弾を装填。

 射線上にいる幻想の少女はユーシアの狙いを確実に邪魔しにくるが、それも無駄だ。まだこれは二発目なのだから。


 ユーシアは十字線の上にいる顔色の悪いババアを狙い、二発目を放つ。


 二発目も的確にグリムヒルドの足元を穿った。

 周囲の支持者が悲鳴を上げる。今度は自分の番だ、とでも思ったのだろうか。蜘蛛の子を散らしたようにあちこちへ逃げていき、警備をしていた警察官は狙撃手を探して建物の群れを見渡す。


 そんなことをしても、色々と遅い。



「空に瞬く星屑と、淡く輝く白銀の月。モコモコ羊が柵を飛び越え、眠りの谷の少女は夢の中」



 ユーシアは歌う。


 それはかつて、幼い義妹の為に歌ってやった子守唄。

 朝をスッキリ目覚めるように、と祈りを込めて歌ったもの。



「月が落ちたら朝が来る。光り輝く太陽が昇り、晴れ渡った空に鳥が飛ぶ」



 射線上に立つ幻想の少女が、遠くにいるユーシアを見上げて目を見開く。何でその歌を知っている、とばかりに。



「今日も素敵な朝が来た。さあ、もう眠りから覚める時間だ」



 その言葉が引き金となり、幻想の少女が初めて射線上から退いた。


 それが合図だ。

 女王陛下の、二度目の死のサイン。



おはようハロー、眠り姫」



 ユーシアは引き金を引いた。


 タァン、と銃声が晴れ渡った空に響く。

 銃口から放たれたものは、金色に光り輝くいばらの矢だ。空気を裂いて飛んでいく矢は、グリムヒルドの側頭部を的確に貫いた。


 それで終わり。

 女王陛下の死が迫る。



「――ゃ、何……ああああ、あああああああ――」



 グリムヒルド・アップルリーズの身体が指先から崩れ落ちていく。

 砂粒と化した女王陛下は、そのまま断末魔を残して永遠にこの世から退場することとなった。


 彼女の亡骸は、もうない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る