第4話【おはよう裏の世界】

「仮死化する毒ですか。どこかの童話でありましたね」


「ロミオとジュリエットだね。有名な戯曲の」


「ああ、最終的にどっちも死ぬ奴ですね」


「随分とアバウトな覚え方をしているんだね」



 ユーシアとリヴの目の前に置かれた小瓶には、紫色の液体が揺れていた。


 匂いはしない。この薬品は知り合いのユーリによって作られたものだ。

 とうとうグリムヒルド・アップルリーズと対決するとなった時に、ユーリが師匠である【DOF】の製作者、遊興屋ストーリーテラーにレシピを聞いて作ってくれた特注品だ。「生きて帰ってきたら使用感を聞かせろ」と言っていたが、感想を届けられるか謎だ。


 ユーシアは小瓶を摘むと、



「この薬を飲むと、一度だけ受けた【OD】の異能力を無効化するんだって。その際に仮死化の状態となるって言ってた」


「なるほど。受けた異能力を無効化する代わりに仮死状態になると」


「相手の目を欺くにはいいよね」


「最高ですね」



 リヴは真っ黒な雨合羽レインコートのフードの下で笑うと、



「この薬品を渡してくるってことは、グリムヒルド・アップルリーズの異能力が分かったってことですよね」


「毒を仕込むんだってさ」


「ああ、まさに白雪姫の女王陛下ですね」



 グリムヒルド・アップルリーズは白雪姫に出てくる女王陛下の【OD】――その異能力は林檎に毒を仕込むこと。

 毒を仕込める対象は林檎に限定されるが、それを色々な料理に仕込まれたらまずい。確実にユーシアとリヴは死ねる。


 そこで、この仮死化の毒薬だ。グリムヒルド・アップルリーズの異能力を無効化し、相手の目を欺く為に仮死化の状態になる。そうすれば騙されてくれるはずだ。



「それで、この仮死化はどのタイミングで解けるんです?」


「異能力を受けて仮死化の状態になってから二時間ちょうど」


「あー、いい感じですね。盛り上がって参りました」



 テンションの上がったリヴは小瓶を雨合羽の内側にしまい込みながら、



「シア先輩とお薬で心中できるなんて嬉しいです」


「俺はまだ生きていたいんだよね、リヴ君」


「そうなんですか? 幸薄そうな顔をしていたので、心中を持ちかけたのかと」


「残念だけどね、リヴ君。俺はまだ生きていたいんだよ」



 ユーシアは摘んだ小瓶を電球に透かして、紫色に輝く液体を見つめながら言う。



「リヴ君」


「何です?」


「グリムヒルド・アップルリーズを殺したら、絶対にこの町では生きられないよね」


「そうなりますね」



 グリムヒルド・アップルリーズは支持率の高い政治家にして、ゲームルバークの裏社会を牛耳るマフィアの首領だ。そんな相手を殺せば、世界中を敵に回すことは明らかである。


 だけど、ユーシアとリヴは殺すつもりだ。その為にこの毒薬まで購入したのだ。

 ゲームルバークでの生活を手放すのはもったいないが、すでに目当ての復讐は達成している。なら、ゲームルバークを飛び出すのも手だろう。



「俺さ、旅行に行きたいんだよね」


「行きましょう」


「行き先は聞かないの?」


「シア先輩が行くのであれば、ストーキングしてでもついて行くのが僕です。あらかじめついてきてほしくない時は言っておいてください、ストーキングしますので」


「拒否権ないなぁ」


「ネアちゃんやリリィは?」


「連れて行くよ。恨まれても困るし」


「やはり長旅には華が必要ですよね」



 二人はすでに終わったあとの話をする。

 グリムヒルド・アップルリーズを殺し、世界中を敵に回した後のことを。



「どこに行きます?」


「極東がいいな。お前さんの故郷を案内してよ」


「僕はシア先輩の故郷に行きたいですね」


「今度ね。それなら船に乗りたいな。ゆったり色々なところを巡ってさ」


「豪華客船ですか、いいですね。どうせグリムヒルドを殺したらたんまり金も奪うつもりでいますし」



 二人の悪党がやることはすでに決まっていた。


 世界を敵に回してでも欲望に従い、グリムヒルド・アップルリーズを殺す。殺したいから殺すのだ。別に恨みなどない。

 この物語はそういう物語だ。



 ☆



「ん――」



 ユーシア・レゾナントールは目を覚ます。


 そこは薄暗い倉庫のような場所で、ユーシアは両腕と両足を縛られていた。全く、これから殺されるのに用意周到な連中である。

 まあ、この麻縄程度で拘束できると思ったら大間違いだが。相手は世界を震撼させた悪党なのだ。


 ユーシアは身じろぎをして、近くにいるだろう相棒に呼びかける。



「リヴ君?」


「はい」



 すぐ近くで声がした。


 完全に暗闇と同化している真っ黒てるてる坊主なリヴは「問題ないですよ」と応じる。さすが優秀な相棒である。

 両手両足を縛る麻縄を小指ほどの大きさしかないナイフでせこせこと切りながら、リヴは吐き捨てるように言う。



「全く、あの林檎の風味はなんですか。コーンスープが台無しではないですか」


「そうだね。あんなコーンスープを客に出すのがFTファミリーのやり方なんだね」


「やはり殺すべきですね」


「殺しちゃう?」


「殺しちゃいます」



 小指ほどの大きさしかないナイフで麻縄を切断して、リヴは完全に身体の自由を取り戻す。それから彼はナイフを雨合羽の内側にしまい、新たなナイフでユーシアの両手を戒める麻縄を切り始めた。


 FTファミリーも馬鹿なものだ。これから殺す相手の身体検査ぐらいしておいたらどうだろうか。

 なんか見ればユーシアのライフルケースも近くにある。すでにグリムヒルド・アップルリーズの異能力によって死んだと思い込んでいたのだろうか、盛大な間違いだが。



「どうしますか、シア先輩」


「まずはこの倉庫から脱出だよね」



 リヴに縄を切ってもらい、両腕の自由を取り戻すユーシア。

 変な感覚がある手首を回して、状態を確認。骨も問題ないようで、多少のコリはあるものの動かすことが出来る。


 リヴからナイフを受け取り、ユーシアは自分で両足を縛る縄を切る。両足も腱が切られている訳ではないので、問題なく動く。よかったよかった。



「それからグリムヒルド・アップルリーズの殺害」


「そうですね。その方がいいでしょう」


「どこにいるんだかね」


「あ、携帯でも見てみますか」


「携帯も取り上げないって間抜けな集団なの?」



 リヴは雨合羽の袖から携帯電話を滑り落とすと、その液晶画面に指を滑らせる。素早くSNSで検索をかければ、すぐにヒットした。



「こちらですね」


「議員選挙か。その会場にいるっぽいね」



 SNSの写真では、グリムヒルド・アップルリーズが優雅な笑みで支持者に手を振っている様子が確認できる。その笑みが非常にムカつく。


 まあいい、どうせこれから殺すのだ。ゲームルバークの二大悪党と呼ばれたユーシアとリヴを処理できなかったことを後悔して死んでいけ。

 方向性は決まったが、問題はこの倉庫からの脱出だ。倉庫というか古びたコンテナのようで、扉がピッタリと閉ざされてしまっている。


 しかし、武器を取り上げなかった連中が悪いのだ。



「シア先輩」


「いいよ」



 ユーシアはライフルケースから純白にカラーリングされた対物狙撃銃を拾い上げ、慣れた手つきで弾丸を装填する。狙う相手もいないので、そのまま目の前を照準。


 引き金を指をかけ、ユーシアは冷たい銃把に頬を寄せる。

 その向こうにいるだろう敵の姿を睨みつけて、



「吹き飛べ」



 引き金を引く。


 銃声がコンテナ内に響き渡り、頑丈なコンテナの壁が呆気なくぶち破られる。さすがに対物狙撃銃を相手に耐えられるはずがなかった。

 ぶち破られたコンテナの向こうから、大量の人間が慌てふためいたような声が聞こえてくる。コンテナを見張っていた手下か、はたまた何も知らない一般人か。


 ライフルケースを背負い、純白の対物狙撃銃を構えながらユーシアはコンテナの外を見渡す。



「わあ、海だぁ」


「わあ」



 リヴも同じくひょっこりとコンテナに開いた穴から、外の世界を覗く。


 目の前に広がっていたのは海だった。とても綺麗。

 海というより運河だろうか。ゲームルバークから海はまあまあな距離があるので、結構揺られてきたのか。



「凄いね、リヴ君。ビーチだよ」


「砂浜なんてないですけど」


「コンクリートっていう砂浜があるじゃん」


「まあ確かに熱されたフライパン並みに熱くなりますけどね」



 久しぶりに見た海にちょっと気分が上がるユーシアとリヴだが、



「起きてやがる!!」


「死んでなかったのか?」


「ちゃんと死んでたよ!!」


「脈もなかった!!」



 背後から聞こえる雑魚の声はきちんと頭の中に入っていた。


 仮死状態のユーシアとリヴを本当に死んだものと断定したらしい彼らは、このコンテナにそのまま放置したようだ。証拠隠滅を図る為に海へ沈めようとしたところ、コンテナの壁がぶち破られたとか。

 ちゃんと確認はしよう。何も対策を取らないとでも思ったのか、この馬鹿な連中は。


 ユーシアとリヴはため息を吐くと共に、ゆっくりと振り返る。


 目の前には黒いスーツ姿の男が大量に立っていて、機関銃や自動拳銃を構えていた。生き返ったユーシアとリヴをお化けか何かと勘違いしているのか、掃除機を構える連中もいた。ゴーストバスターか。

 幽霊みたいに扱う態度も理解は出来る。構える武器は「馬鹿なのかな?」と思ってしまうが。



「まずは掃除ですかね、シア先輩」


「面倒だけど、まずはそうだねリヴ君」



 ユーシアは純白の対物狙撃銃を構え直し、リヴは真っ黒い雨合羽の裾からチェーンソーを滑り落とす。


 さあ、最終決戦である。

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