第5話【お宅訪問】

 やはり警察署長であるだけあって、なかなかな邸宅にお住まいだった。


中央区画セントラル』のまあまあな区画に居を構え、広い庭付きの一戸建てである。結婚しているのかと思えばそうではなく、独り身でこの庭付き一戸建てに住んでいるのだとか。

 なるほど、帰宅が鍵となるかぐや姫の【OD】なだけある。この広い家でのんびりすれば、疲れもさっぱり忘れそうなものだろう。


 まあ、独り身なので寂しそうだが。



「うわ、セキュリティもガバガバですね。やばいですよ、ピッキングしただけでドアが開きました」


「凄いなあ。警察署長なのに、自分の家はセキュリティ危ういんだね。『中央区画』に悪党は来ないとでも思っているのかな?」



 警察署長のツバキ・ミョウレンジの家に侵入したユーシアとリヴは、まず広い邸宅で使えそうなものがないか物色する。


 室内はある程度片付けられていて、フローリングにはゴミ一つ落ちていない。ゲームルバークに関する情報をまとめた新聞と飲みかけのコーヒーがテーブルに放置されていて、家主の帰りを今か今かと待っていた。

 リビングも綺麗で開放的であり、他人を招いてちょっとしたパーティでも開そうだ。独り身なので友人を呼んでパーティなんて日常茶飯事かもしれない。


 結論、なんか普通。

 強いて言えばムカつくほど綺麗。



「どうします?」


「どうしよっか」



 立派な革張りのソファに腰掛けたユーシアは、



「とりあえず、めぼしいものは貰っていこうか?」


「通帳ありましたよ」


「馬鹿なのかな、あの警察署長。馬鹿でもなれる職業だったっけ?」


「さあ? でも僕程度の人間を侵入させてしまうぐらいですから、まあ馬鹿でもなれそうですね」



 戸棚を物色して通帳を発見したリヴは、いそいそと真っ黒な雨合羽レインコートの中にしまい込む。警察署長なので貯め込んでいそうだ、残高に期待しよう。


 ユーシアもソファの近くに転がっていた女性誌を手に取って、ページを捲る。

 特集として組まれているのは『幸せな結婚』――あの女、結婚したいと思っているのか。何歳なのだろう。


 結婚した際の極意をまとめたページを流し読みしながら、ユーシアは「リヴ君」と相棒を呼ぶ。



「何です?」


「他に家族はいない?」


「情報通りであれば」


「二階とかどうなっているのかな」


「さあ? 見たことありませんし」


「見に行こうか」


「そうですね。二階にも色々と隠し持っていそうですし」



 ゲームルバークで一番の悪党たちは、何かがあると期待しながら二階へ向かう。


 やや狭い階段を上っていくと、人影のようなものを視界の隅で捉えた。

 階段の影に隠れたエプロン姿の女性が、ガタガタと可哀想なぐらいに震えながらこちらを見ている。薄青の瞳からは滂沱ぼうだの涙を流し、ガチガチと歯は噛み合わず、今にも小便を漏らしてしまいそうなほど怯えていた。


 ユーシアとリヴを認識したエプロン姿の女性は、



「ひッ、あ、あああ……」



 上擦った悲鳴を漏らして、その場からの離脱方法を探る。


 二階に隠れなければ、少なくとも命だけは助かったはずだ。二階などに逃げ込むから逃げ場がなくなるのだ。

 これはもう、彼女自身の不運だったとしか言いようがない。可哀想だが、ここで死んでもらおう。


 姿を見られたからには、生かしておけないのだ。



「すみませんね」



 道でも尋ねるような気軽さで、リヴは階段の影に隠れるエプロン姿の女性に歩み寄る。その手にはきっちりと小振りなナイフが握られており、短めの刃がギラリと鈍く輝く。


 自分の死期を悟った女性は、悲鳴を抑え込むように口元を手で塞ぎながらリヴと距離を取る。

 それでも自由に動けるリヴの方が有利だ。しかも武器を持っているり殺意がこれでもかと溢れる邪悪なてるてる坊主を止められる人間など、ユーシア以外にいない。


 とはいえ、ユーシアも止めるつもりは毛頭ない。



「見られちゃったからねぇ、仕方ないよねぇ」



 ゆっくりと、着実に死へ向かっているエプロン姿の女性に小さく手を振って、ユーシアは満面の笑みで死出の旅路へ送り出してやる。



「ご愁傷様、自分の運を恨んでね」



 ☆



「ふぅ……」



 夜の闇に沈んだ『中央区画』の静かな住宅街を、黒い艶髪の女性が疲れた様子で歩いている。


 顔立ちは愛らしくアイドルと間違われることが多くあるが、これでも立派な警察署長だ。警察官の制服を脱いだ彼女の格好は地味の一言に尽きるが、立場を分からせない為には必要なことなのだろう。

 夜の冷たい風に黒い艶髪を揺らし、真っ直ぐ道を見つめている瞳は黒曜石の如き綺麗な黒をしている。おおよそ米国人らしくないが、この国は多国籍国家であり、また彼女も極東の出身なのでこんな顔なのだ。


 彼女こそがツバキ・ミョウレンジである。セントラル警察署長にして、不死身のかぐや姫の【OD】だ。



「疲れたぁ……」



 ぶつくさと文句を呟きながら、ツバキは帰路を辿る。


 最近では、ゲームルバークを騒がせる二人の悪党が彼女の頭痛の種だった。

 何人も罪のない人間を殺し、何人も罪のある人間を殺し、通りすがりの一般人を殺し、裏社会で偶然出会った同業者を殺す大量殺人鬼。動機も理由も何もなく、ただ彼らはやりたい放題でゲームルバークを暴れ回っている。


 ユーシア・レゾナントールに、リヴ・オーリオ。

 普通の感覚では収まらないほど常識から外れた大量殺人鬼であり、ツバキと同じく【OD】である。



「私も【OD】だけど、あそこまで酷くないわ……」



 そう、酷くないのだ。


 ツバキは【OD】だが幻覚症状に悩まされるようなことはないし、普通に警察署長として働いている。

 あのユーシア・レゾナントールとリヴ・オーリオだけが異常なのだ。誰彼構わず殺しに殺して、ゲームルバークの住人を全て殺してしまいそうな勢いがある。さすがにそこまでの武力を持っている訳ではなさそうだが、無力な一般人の為にも彼らを捕まえなければ平穏は訪れない。


 なのだが、



「どうして尻尾すら見せないのよぉ。絶対におかしいでしょぉ」



 彼らは弱点を見せないし、尻尾すら出さない。ただひたすら、自分を殺そうとしてくる。


 幸いなことにかぐや姫の異能力のおかげで生き長らえているが、異能力がなければ何度殺されていたことか。

 彼らの実力は、紛れもなく本物だ。野放しにしておくのは危険すぎる。


 ツバキの脳裏にあのヘラヘラと笑う金髪で無精髭のおっさんと真っ黒なてるてる坊主が揃って馬鹿にしてくる光景がよぎり、苛立ちに任せて地面を思い切り踏みつけてしまった。ガッツン!! とヒールがコンクリートの地面を抉る。



「ムカつく、ムカつく、ムカつく。絶対に許さないんだから」



 とにかく、今は家に帰ろう。

 帰らなければかぐや姫の異能力が回復されない。不死身の異能力は、家に帰ることで保たれるのだから。


 家路を辿るツバキは、ようやく自分の家を見つけると違和感を覚えた。



「……明かりがついてる?」



 何故か誰もいない家の明かりが、煌々とついているのだ。

 周囲の家と全く同じく、出る時は消して出たはずの明かりがついている。


 明かりがつけっぱなしになった家を見て、ツバキは「ああ」と理解する。



「きっと家政婦のアシュリーがつけっぱなしにして出て行ったのね。全く、あとで苦情を入れておかないと」



 普段は忙しくて家にいないので、家のことは家政婦に一任しているのだ。掃除や洗濯もやってくれるので、結構助かっている。

 時折、こんなトラブルもあるものだが、家事能力は非常に高いので重宝しているのだ。苦情を入れるだけで家事を頼まないということはないので、そこは念を押さなくては。


 つけっぱなしになった明かりを消す為に早足で家に近づくツバキだが、



「え」



 密かな自慢にしている広々とした庭、そこに変なオブジェよろしく誰かが地面に埋められていた。


 芝生に赤い液体のようなものがベットリと染み込み、それが開け放たれた自宅のベランダから続いている。

 見慣れた髪色にエプロン、引き攣った表情。喉はパックリと切り裂かれており、悲鳴が今にも聞こえてきそうなほどそのままの状態で残されている。


 家政婦として雇っていた女性で、名前は。



「アシュリー……?」



 自宅の門扉の前で、ツバキは呟いていた。


 そんな、誰がこんな酷いことをしたのだろうか。周囲にこんな趣味の人間はいなかったはず。

 いや、考えられる可能性は一つだけだ。あの悪党たちが、ツバキの自宅を嗅ぎつけたのだ。



「あ、ああ……」



 脳内で警鐘が鳴り響く。


 これ以上、踏み込んではいけない。

 今すぐ逃げろと。



「――入らないの?」



 唐突に声がした。


 弾かれたように振り返れば、そこには馬鹿みたいに巨大な箱を背負った金髪の男が立っていた。

 砂色の外套に無精髭、曖昧に微笑んだ表情。間違いなくゲームルバークを騒がせる悪党の片方だった。


 金髪の男――ユーシア・レゾナントールは、



「じゃあ死のうか」



 ツバキの背後から腕が伸びてくる。


 それは、ユーシア・レゾナントールと同じように悪党として名を馳せる真っ黒なてるてる坊主のものだった。

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