第3話【劇薬を貴女に】

 不死身の女性警官に追いかけ回されるという展開から次の日だ。


 ソファを寝床にするユーシアは、異臭を感じて飛び起きた。

 時間を確認してみれば、七時をとうの昔に過ぎていた。いつもなら朝食の用意をし終えている時間帯だが、今日に限っては完全に寝坊していた。


 寝坊をしたからこそ、やはりいつもの如く劇薬が完成していた。



「あ、あのー……」



 真っ黒な煙を噴き出すフライパンを片手に立ち尽くす銀髪碧眼のポンコツメイド――スノウリリィ・ハイアットは、泣き出しそうな表情で振り返る。


 彼女には常日頃から、口が酸っぱくなるほど「台所に近づくな」と言い渡してある。

 だが、料理の下手さ加減が天元突破しているスノウリリィが台所接近禁止令を破ってまで料理をする時間帯は、この朝食の時だけだ。それ以外は言いつけを守って台所に近寄らないが、たまに約束を破る時がある。


 そんなポンコツメイドの手に握られたフライパンで生み出されたものは、



「し、失敗しちゃいました……」



 突き出されたフライパンには、金色に輝く円盤のようなものが乗っていた。


 円盤の表面は眩いばかりに黄金の光を放ち、さらに翼まで生えてしまっている。極め付けには円盤の中心に居座る、何者かの眼球だ。しっかり二重で長い睫毛まで伸ばし、ぱちぱちと先程から瞬きを繰り返している。

 円盤から生えた翼は今にも飛び立たんとパタパタ動き、黄金の輝きは容赦なく寝起きのユーシアに襲いかかる。もう目が潰れてもおかしくないぐらいに眩しい。


 どう考えてもフライパンで生み出される代物ではなかった。



「……今日も大作だねぇ、リリィちゃん」


「す、すみません。ホットケーキを作ろうと思ったのですが……」



 黄金に輝く謎めいた生命体が横たわるフライパンの柄を握りながら、スノウリリィはしょんぼりと肩を落とす。


 今日も見事なポンコツっぷりだ。拍手をして讃えたいところである。

 普通の食材を使っておきながら、こんな得体の知れない生命体を生み出せる才能は【OD】としての異能力かと考えてしまう。ましてやホットケーキである。子供でも母親の手を借りれば作れそうな代物を、こんな阿呆みたいな生命体に作り替えてしまうのは、一体どんな奇跡や魔法を使えばいいのだろうか。


 素晴らしい劇物を誕生させたポンコツメイドに胸中で「よくやった」と褒め称えたユーシアは、



「うん、とりあえず朝ご飯は俺が作るね。それはどこかに置いといて」


「ユーリさんのところで処分するんですか?」


「ううん、今日は別の人に差し入れするよ」



 これならあの女性警官もひとたまりもないだろう。待ってろあの不死身のアバズレ、この光り輝くホットケーキで昇天させてやる。


 そんな時、浴室を寝床にしているリヴも異臭で目を覚ましたらしい。珍しく慌てた様子で浴室の扉を蹴り開けてくると、バタバタと台所へ駆け込んできた。

 寝起きの彼の手にはサバイバルナイフが二本ほど装備されていて、異臭の原因を殺してやろうという気概がヒシヒシと伝わってくる。相変わらず殺意は凄い。


 キョロキョロと異臭の根源を探す真っ黒てるてる坊主は、フライパンを持ったまま立ち尽くすポンコツメイドと自分の相棒を発見した。



「この異臭は何です? 夢の中で玩具の猿が僕に代わって人間を挽肉にしたり、眼球を抉り出したりしたんですけど」


「それって次はお前さんの番とかないよね?」


「その前に猿を殺しますね。いえ、そうではなく」



 なんか危ねえ夢を見たらしいリヴは、スノウリリィの持つフライパンを覗き込む。


 おそらくその中で横たわる黄金色のホットケーキとご対面したのだろう、彼はしばらく硬直していた。

 まあ、眼球が埋め込まれて翼が生えた円盤をホットケーキと答えられるような人間はこの世に存在しない。ユーシアも寝起きの脳味噌が見せる幻覚かと思った。


 しばらくフライパンの中身と見つめ合っていたリヴは、



「シア先輩、僕は分かってしまいました」


「何が?」


「この常識を超えたブツの正体ですよ。そう、これは――」



 たっぷり間を取ってから、リヴはフライパンを指で示して答えを高らかに告げる。



「『恋して☆えんじぇぅ』の敵キャラであるグレイト・えんじぇぅ・ホーリーホーリーですね!! ラスボスなんですよ。完成度が高いです」


「残念、リヴ君。これはお前さんが好きなアニメのキャラを再現した訳ではなく、ホットケーキなんだよね」


「なん、だと……ッ!?」



 あまりにも常識からかけ離れたホットケーキに、リヴの反応がぶっ壊れる。いつのまにお笑い芸人へ転職したのだろうか。



「嘘ですよ!! こんなのがホットケーキな訳がありません!!」


「リヴ君、現実を受け入れて。これはホットケーキなの、ホットケーキ」


「ホットケーキは光り輝かないし、眼球もついてないし、翼も生えてませんよ!!」


「ホットケーキの常識を捨てたらこんなホットケーキになるんだよ」


「え、あれですか? 僕の頭がおかしいとか、目がおかしいとかの類ですか? シア先輩にはこれが普通のホットケーキに見えていると」


「安心して、リヴ君。俺にも眼球と翼のある黄金のホットケーキに見えるから」



 もはやホットケーキの概念が崩壊である。

 試しに台所の状況を確認してみたが、ホットケーキミックスが減っていたので多分これはホットケーキなのだ。光り輝いても、眼球があっても、翼が生えても、ホットケーキなのだ。


 ――ホットケーキとは一体何なのだろう?



「とりあえずリヴ君、これはラッピングしてくれる? 出来るだけ可愛くね」


「了解です。メッセージカードはつけますか?」


「お願い。『悪党より、親愛を込めて』でいいや」


「お任せください。飛び切り可愛い文字で書きます」



 スノウリリィから不思議な生命体の生み出されたフライパンを受け取ったリヴは、そのままラッピング作業に入る。


 警察に送り届けるプレゼントを用意している隙に、本当の朝ご飯を作ってしまおう。

 ユーシアはとりあえず、出しっぱなしになっているホットケーキミックスを使って本物のホットケーキを焼くことにした。


 何故かユーシアが焼いたホットケーキは、普通のものだった。眼球も翼もなかった。

 あの眼球と翼は、一体どうやったら生まれたのだろう。



 ☆



 ユーリの元へネアとスノウリリィを送り、ユーシアとリヴは昨日の演説を聞いた場所まで向かう。


 今日も元気に帰宅を促す演説を繰り返していたのは、三度殺しても平然と生き返った女性警官である。

 艶やかな黒髪を揺らし、通行人を黒曜石の瞳で見つめてにこやかに演説をする。極東の血でも入っているのか、どうにも米国の人間には見えない。



「いましたね」


「どうする? どうやって渡す?」


「とりあえず投げつけましょう、顔面に」


「届くかなぁ」



 綺麗にラッピング包装した光り輝くホットケーキの入った箱を抱えて、いざ尋常に勝負。


 表舞台に姿を見せたゲームルバークきっての悪党二名を前に、警察たちはにわかに騒ぎ始める。

 その異変を悟った通行人も、指名手配されているユーシアとリヴを発見して「ねえ、あれ」「そうだよね……?」などとコソコソやり取りをする。まあ、そのやり取りで殺されなければいいのだが。


 演説をしていた女性警官は、拡声器を通じて「あーッ!!」と叫んでくる。



「昨日の!! あんな裏社会の危ない喫茶店に置いて帰りましたね!?」


「ちょっと可哀想だと思ってさ、お詫びの品を持ってきたんだよね」



 ユーシアはリヴが抱える綺麗な箱を一瞥し、



「どうぞ、お納めください警官殿」


「ちぇいさー」



 ユーシアの言葉が終わると同時に、リヴは警察官どもの包囲網を持ち前の運動神経で突破して、通常の車両より大きな警察車両を駆け上がる。


 本当にあっという間だった。誰も止められないほどだった。

 唖然とする女性警官は、次の瞬間、途中で開封された箱の中身を顔面に叩きつけられていた。


 スノウリリィ特製の光り輝く目玉と翼付きのホットケーキを顔面に受けた女性警官は、ふらりとその場に倒れ込む。警官たちが揃って喧しく騒ぎ出した。



「き、貴様!! 署長に何てことを!!」


「一日警察署長ではなく?」


「なーんだ、本当に警察官だったんだ」


「本当に警察官ですよ!!」


「「え?」」



 唐突に聞き覚えのある声が降ってきて、ユーシアとリヴは揃って口を開いてしまった。


 見れば、顔面に黄金色の食べカスみたいなものを貼り付けた女性警官が怒りの形相で立っていた。つーか、復活していた。

 そんな馬鹿な。食べれば確実に現実の世界へ戻ってこれないような幻覚に悩まされることは必須なのに、どうしてまだ生きている?


 ユーシアとリヴは、本格的に自分たちの負けを悟った。



「逃げよう」


「ですね」



 リヴが閃光弾を爆発させ、その隙をついて戦線離脱を図る。


 背中の方から女性警官の絶叫が聞こえてきたが、構うものか。

 どうやったら殺せるんだ、あんなの。

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