Ⅷ:かぐや様は家に帰りたい

第1話【帰宅を促す者ども】

『ゲームルバークにお住まいの皆様、夜間の外出は大変危険です。速やかに帰宅するように心がけてください』



 そんなアナウンスが、賑やかなゲームルバークの表社会に響き渡る。


 選挙に乗る時の車のような形の警察車両が道端に停まり、若い女性の警官がマイクを片手に演説を繰り広げていた。

 内容は『早めの帰宅を』である。夜間の外出は出来る限り控え、用事が済んだらとっとと家に帰れと警官は何重にもオブラートに包んで言っていた。ご苦労なことだ。


 早よ帰れ演説を真っ昼間から披露する女性警官を眺め、朝も昼も夜も関係ない悪党の筆頭二名は互いの顔を見合わせた。



「早く帰れって言われちゃったよ」


「僕たちにも言われてますかね」



 くすんだ金髪に無精髭、ライフルケースを背負った草臥くたびれた印象の男――ユーシア・レゾナントールは「言われてないだろうね」と肩を竦める。


 彼の隣に佇む真っ黒な雨合羽レインコートを羽織った邪悪な印象のてるてる坊主――リヴ・オーリオは、じっと帰宅を促す演説を披露する女性警官を観察していた。

 目深に被ったフードから彼の表情を窺うと、どこか迷惑そうな雰囲気があった。彼の場合、本当に迷惑に思っているのだろう。警官の声も想定よりうるさいし。



「喧しいですね、殺しますか」


「警官と面倒ごとを起こすのは止めてよ、リヴ君。ただでさえ俺たちは厄介な立ち位置にいるんだから」



 そう、ユーシアとリヴは絶賛指名手配中である。

 ここで警官殺しも罪に加われば、今住んでいる部屋を飛び出して再びホテル生活に逆戻りだ。意外と住み心地のいいあの部屋を、他の誰かに明け渡すような真似はしたくない。


 リヴは自分が指名手配中であることに気付いた様子で、



「そうでした、僕たち凶悪犯なんですよね」


「そうそう。忘れがちだけど、議員の息子を殺してるんだからね」


「とうの昔のことなので忘れていましたよ。印象に残らない雑魚なんですもん」


「確かに俺も息子の顔を忘れてきたな……やばいなぁ、とうとうアルツが入ってきたかな……」



 まあ、面倒なのでとっとと家に帰ろう。

 警官の指示に従うのは癪だが、ユーシアとリヴは帰路を辿り始める。


 指名手配中だというのに外出する理由は、本日の夕飯の買い出しである。今日の夕飯は珍しくスノウリリィからのリクエストで、アクアパッツァに挑戦なのだ。



「アクアパッツァなんて作ったことあるんですか」


「まあ一応はね」


「どんな料理でも作れますね」


「さすがに三つ星ホテルの味を再現までは出来ないけどさ」


「今度は日本食も作ってほしいところです」


「材料が揃えば作ってあげるよ。リヴ君の口に合うか分からないけど」


「どんなに不味く仕上がっても問題ないです。シア先輩の手で作られたという事実が重要ですから」


「ちょっと興奮気味じゃないかな、リヴ君?」



 表社会を通ると面倒なことになるので、ユーシアとリヴはほとんど自分の領域と化している裏社会を平然と歩いていく。


 ゲームルバークは表面だけ見れば平和で豊かな地方都市だが、裏社会に一歩でも足を踏み入れれば犯罪の温床となっている。

 毎日のように殺人が起こり、盗みや暴力が横行し、マフィアが血で血を洗うような抗争を繰り広げ、死体は綺麗にバラされてブラックマーケットに並ぶ羽目になる。無知な表社会の人間がノコノコやってくれば最後、生きて出ることは叶わない。


 しかし、ユーシアとリヴの足取りは表社会の時より軽い。非常に軽い。

 何故ならここが、二人の庭のようなものだからだ。



「ところで、シア先輩」


「何かな、リヴ君」


「…………気づいてます?」


「だいぶ前から」



 静かな裏通りを歩いているからこそ、ユーシアとリヴにはすぐに分かった。


 明らかに足音が一つ分多いのだ。

 ユーシアのもの、リヴのものの他に誰かがいる。そしてユーシアとリヴの二人をつけ回している。


 視線を一度だけ交わすユーシアとリヴは、何事もなかったかのように会話を続けた。



「今日の夕飯の材料は買ったけど、今日の昼飯はどうしようか。何か食べたいものってある?」


「シア先輩の作る味噌汁が飲んでみたいですね」


「味噌汁かぁ。じゃあ適当なところで味噌を買わないとなぁ。こんな辺鄙へんぴな場所だと確実に売ってないもんね」


「ええ、たとえ売っていたとしても何か混ざっている可能性が非常に高いです」


「味噌だけに脳味噌、なんてことはないよね?」


「あり得ます」


「リヴ君、今のはツッコミどころだと思うんだけど」


「ゲームルバークですよ? 十分に考えられると思いますが」


「嫌な現実だなぁ」



 のほほんとした様子で何気ない会話を交わす二人だが、表情だけは背後から近づいてくる相手をどうやって殺すか悩んでいるところだ。


 ユーシアは隣を歩くてるてる坊主へ視線をやり、相棒もそれを承諾する。長いこと一緒にいるので、考えていることが手に取るように分かる。

 目線を合わせたのは一瞬だけ。二人はほぼ同時に駆け出す。



「次の曲がり角」


「了解です」



 短い指示でも的確に応じるリヴ。


 真っ直ぐ突き進んだ先に出てきた曲がり角へ滑り込み、ユーシアは食材を入れた袋を放り捨ててライフルケースを落とす。食材の無事が心配だが、今はそれを気にしている場合ではない。

 ライフルケースに横たわっていた純白の対物狙撃銃を拾い上げると、薬室に弾丸を叩き込むことなく構える。まずは対物狙撃銃を鈍器の代わりにして使うこととしよう。


 一緒に滑り込んできたリヴも、抱えていた食材の袋を放り捨てると雨合羽レインコートの袖から大振りのナイフを滑り落とす。確実に相手を殺すという殺意の表明だった。

 視線は曲がり角の向こう側に固定され、後ろからついてくる人物が現れる瞬間を待つ。つま先が見えた瞬間に飛び出すつもりらしい、


 そしてついに、運命の瞬間が訪れる。



「――――」



 ス、と背後から追いかけてきていた何某のつま先が、曲がり角から覗く。


 その瞬間、リヴが駆け出した。

 雨合羽の裾を翻し、その手に握りしめたナイフの刃を相手の喉元に押し付ける。ユーシアも彼を追いかけるようにして曲がり角から飛び出し、純白にカラーリングされた対物狙撃銃を振り上げた。


 追いかけていたのは知り合いでもなく、名前も知らない。ただ、顔だけは知っていた。



「あの時の警官ですか」



 どこかの雑居ビルの壁に相手を押し付け、リヴは呟く。


 ユーシアとリヴの二人を追いかけていたのは、帰宅を促す演説を披露していたあの女性警官だった。

 彼女は漆黒の瞳に涙を浮かべ、ぷるぷると震えている。制服だけ見れば警官らしさはあるものの、悪党を前に怯えた様子を見せている彼女は一日署長か何かだろうか。


 女性警官は「あ、あの」と上擦った声で、



「指名手配の、お二人ですよね」


「知っているんだね」


「も、もちろんです。だから、あの」



 女性警官は何とか腰から手錠を取り出すと、



「た、逮捕します!!」


「死んでください」



 即答だった。


 リヴは問答無用で女性警官の喉元に押し当てたナイフを引き、裂けた喉から血が溢れ出す。

 女性警官の儚い命は、呆気なく終わった。目も当てられないほど無残な死に方である。


 くたりと膝からくずおれる女性警官の死体を蹴飛ばし、リヴはつまらなさそうに鼻を鳴らす。



「阿呆みたいな女でしたね。可愛げのない」


「あーあ、殺しちゃった」



 ライフルケースに純白の対物狙撃銃をしまい、ユーシアは散らばった食材を拾い集めながら言う。もうすでに視線は警官には向いていないので、興味は失せていた。



「まずいことになるよ」


「そうですかね。殺せばいいだけでは?」


「今度は一般人と違って警官だしなぁ」


「いつもは【OD】を相手にドンパチしているんだから、変わらないでしょう」


「警官を殺されては困りますよ」


「そうだよ。警察を相手に喧嘩をするのはさすがに――あれ?」



 そこまで答えて、ユーシアは首を傾げる。


 何気なく応じたが、今は誰の言葉に答えたのだろうか?

 どこかスノウリリィを思わせる礼儀正しさがあったようだが。


 ユーシアとリヴが振り向けば、そこには女性警官が立っていた。今さっき、リヴが問答無用で殺したばかりの女性警官だ。



「公務執行妨害と殺害の容疑で逮捕します」



 女性警官はバチコンとウインクをしながら、そんなことを言った。


 あ、これは関わったらダメな奴だ。

 悪党二名は本能的に悟ると、拾い集めた食材を抱えてダッシュした。



「やべえですよ、あの女」


「仕留めたんじゃないの!?」


「仕留めましたよ」



 息切れ一つせずに走るリヴは、言葉を吐き捨てた。



「でも、何で死んでないんですか」

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