小話【劇薬と調薬】
ユーリは【DOF】という魔法のお薬を調合する仕事をしている。
おとぎ話の本から要素を抽出して、特殊な方法で薬にするのだ。その作業のかたわらで別の薬を作っていたりするのだが、その部分は割愛する。
とにかく、日常的に薬を作る仕事をしているのだ。それが麻薬だろうが魔法のお薬だろうが、薬を調合していることには変わりない。
さて、何でそんなことを言ったのか。
「…………あのさユーシア、これ一体何?」
「何だと思う?」
ユーリの前に置かれたのは、紫色の何かだった。
白い皿の上に乗せられ、ぶよぶよとした半固形の何かは「ゔぉおおおおおおおおお」と呻き声を上げているのだ。そして皿に触れてもいないのに、真っ白な皿の上を動き回っている。
これは一体何なのか。脳味噌が理解を拒否していた。何故なら呻き声を上げながら皿を這いずり回る謎の物体など、今まで生きてきて見たことないのだ。
この謎の物体を持ってきたゲームルバークきっての悪党――ユーシア・レゾナントールの顔を見上げれば、彼はにこやかな笑みで言う。
「これね、ハンバーグだって」
「…………これが?」
「そう」
「オレの知ってるハンバーグじゃねえんだけど」
「俺もだよ」
ユーシアは自分で皿から脱出しようとする紫色の謎物体を皿に戻してやりながら、やれやれとばかりに肩を竦めた。
「作ったの誰だと思う?」
「お前の相棒君じゃねえの? あの真っ黒てるてる坊主」
「僕じゃないですよ」
ユーシアの後ろからひょっこりと真っ黒なてるてる坊主――リヴ・オーリオが顔を覗かせて、心外なとばかりに否定してくる。
てっきりこの毒物に見える謎の生命体は、彼の手で作成されたのだとばかり思っていた。だって彼はユーリの知る限りで一番頭がイカれているからだ。
邪悪なてるてる坊主の手にかかれば、このような謎めいた生命体の製造だってチョチョイのチョイかと思い込んでいたのだが、どうやら犯人は彼ではないらしい。それでも邪悪さは薄れないが。
ユーリはいまだ皿の上を這いずり回っている紫色の謎生命に視線をやり、
「じゃあ、これ作ったの誰よ」
「リリィちゃんだよ」
「え? あのシスターの子だよね」
「そうそう」
「今はメイドの」
「そうですよ」
「…………嘘だぁ」
ユーリは
この謎めいた生命体が、まさかおっとりお淑やかな銀髪碧眼のメイドさんが作るとは到底考えられない。
ユーリの中で彼女のイメージは、料理上手で常識人なのだ。修道女だったからこそ家事全般も一通りこなし、清廉潔白でゲームルバークという汚れた地方都市に似つかわしくない綺麗な女性である。
それが、この錬金術師もビックリするような生命体を生み出すのか?
「…………師匠に見せたらゲラゲラ笑いそうだな、これは」
「お師匠様はご存命ですか?」
「生きてるんじゃないかな。死んでてほしいけど」
「では墓前に供えますか」
「そんなケーキ感覚で供えられてもなぁ。つーかまだ生きてるからな、ウチの師匠は」
邪悪なてるてる坊主がやはり邪悪なことを考え出したので、ユーリはやんわりと断っておいた。こんなものを見せた暁には、実験が止まらなさそうだ。
とにかく、この自称ハンバーグという紫色の謎物体は持って帰ってもらおう。
ユーリだってまだ死にたくない。これを食えば確実に死ぬと分かっている。
「あ、じゃあオレまだ仕事が」
「はい召し上がれ」
「むがッ」
問答無用だった。
ユーシアは、問答無用でユーリの顔面に紫色の謎物体を叩きつけたのだ。皿ごと。
パリン、と無残に割れる皿。口の中に広がる筆舌に尽くしがたい不味さ。これは今まで食べたどの料理よりも不味く、あの『スリーピッグ社』のお菓子よりも遥かに不味い。
いや、不味いという感覚なのだろうか。本当に不思議な味なのだ。噛めば噛むほど味が変わっていくし、一周して美味しいのではないのだろうか。あれ、これは本当に自分自身の味覚か?
何もかも分からない、目の前にピンクの象が踊っている、全裸で薄い布だけを身体に巻きつけた変態も踊っている。
あはははははは、あははははははははははははは、はははははやべえこれ何だこれおかしいぞおかしあああああああああああ。
「はははは、ひはははははは、ははははーはははははははー、はははははははー」
「やべえ、ユーリさんが壊れた」
「叩けば治るのでは?」
「叩いて治るようなレベルかな、これ」
「では僕が叩きますか?」
「リヴ君、足を引くってことは蹴飛ばすんだよね? 明らかに回し蹴りを叩き込むつもりだよね?」
「ちぇいさー」
自分の預かり知らないところで命の危機に陥っていたのだが、とりあえずユーリは無事だった。
眠り姫の【OD】であるユーシアの異能力を使ってしばらく寝かせておいたら、自然と治った。あの不思議な味と光景は一体何だったのだろう。
目覚めたユーリはガンガンと痛みを訴える頭をそのままに、こう結論を出した。
「よし、あれ売ろう」
寝ている間にいつのまにかユーシアとリヴは帰っていたので、ユーリはむんずと携帯電話を掴む。それから慣れた手つきで目的の人物の電話番号を呼び出すと、早速通話ボタンを押した。
電話相手は三度の呼び出し音を経て繋がり、のほほんと応じる声を遮ってユーリは興奮気味にビジネス話を持ち出す。
「なあ、ユーシア。あの謎生命体、売ってくれ」
――数日後、ユーリの店先にワゴン車が置かれることとなった。
そのワゴン車にはウゴウゴと動き回る色とりどりの生命体を閉じ込めた瓶が数個ほど並べられていて、大特価という値札も下がっていた。
『噛めば噛むほど変な味、常識を吹き飛ばしたい方にお勧めの薬です』と銘打たれた劇薬どもは、ほんのちょっぴりだけ売れたとか売れないとか。
余談であるが、これで死者は出なかった。
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