第5話【子豚の元に狼が来る】

 スリーピッグ社は、ゲームルバークの『中央区画セントラル』にある大企業である。


 彗星の如く現れた新進気鋭のお菓子メーカーは、老舗のお菓子メーカーを抜いて売上第一位を記録し、瞬く間に大企業へと成長を遂げた。

 実際、そのお菓子は奇妙なもので、一度口にすれば狂ったように買い求めることから、一部では「麻薬が仕込まれているのではないか」とか「何かやばいことをやっているのではないか」とか噂されている。


 しかし、その正体は三匹の子豚の【OD】が経営する会社。そしてゲームルバークの裏社会を牛耳るマフィア、FTファミリーの傘下企業である。



「――以上の情報をまとめてみましたが、いかがですか?」


「完璧だね、リヴ君。さすが元諜報官」


「これぐらいは当然ですよ」



 いつもの如く路上に停められていた違法駐車を強奪し、ぎゃあぎゃあと車の外で喧しく騒ぐ運転手を置き去りにして、ユーシアとリヴは『中央区画』へ向かう。


 柄の悪そうな運転手は最後まで騒いでいたが、確実に誰かの盗難車であることが分かる。

 何故なら外で騒いでいた運転手の身なりでは、この高級車を購入することが出来ないからだ。ゲームルバークでは車の盗難など日常茶飯事である。


 助手席で悠々自適にしばしのドライブを楽しむユーシアは、



「実際には【OD】の異能力で生まれたお菓子だと思うけどね」



 彼の手元には自分自身の携帯電話があり、その液晶画面には文章がズラズラと並んでいた。


 題名は『三匹の子豚の【OD】について』――提供元はユーリである。

 三匹の子豚の【OD】はお菓子を生み出す異能力を持ち、生み出されたお菓子を食べれば誰もが病み付きになってしまい、そのお菓子ばかりを求めてしまう麻薬のような効果を発揮するらしい。その異能力は同じ【OD】には通じず、食べればこの世のものとは思えないほど不味く感じるようだ。


 それらの文章にざっと目を通して、掻い摘んでリヴに伝えれば「なるほど」と相棒の真っ黒てるてる坊主は納得した。



「やっぱりそうだったんですね。不味いので味覚がおかしくなったのかと」


「だよねぇ。あの不味さは本当にこの世の終わりかと思うよ」


「その部分だけユーリさんの私情が入ってませんか?」


「間違いなく入ってるね」



 この文章を打ち込んでいる時、ユーリは味に関する部分だけやたら強調していた。文章もその部分だけが太文字の上に下線まで引かれている。どんな思いでこのメール文を作成したのか、嫌でも分かる。


 リヴは巧みなハンドル捌きを披露しながら、



「まあでも、今はまだ夕方ですもんね。決着がつくのは夜になりそうですかね」


「だろうねぇ。ネアちゃんとリリィちゃんには一応連絡しておこうか」


「晩御飯は買って帰りましょうよ。たまにはジャンクなものが食べたいです」


「いいねぇ。甘いお菓子ばかりじゃ口の中が甘くてしょうがないよ。やっぱりしょっぱいものもほしいよね」



 呑気に今日の晩御飯について語っていると、落書きだらけの巨大な門が目の前に聳え立つ。


 あれが『中央区画』とそれ以外を隔てている境界線だ。

 一部のゲートが封鎖されているのは、かつてリヴの運転する車が突っ込んだ場所である。今もまた突っ込みそうな勢いだが、修繕費の問題とかその他諸々を気にするような連中ではない。


 他人に迷惑をかけること上等、立ち向かってくる相手は一般人でさえ殺す――それがユーシア・レゾナントールとリヴ・オーリオという悪党だ。


 限界までアクセルを踏み込み、十分に加速しながらリヴは助手席に目もくれず言う。



「突っ込みますよ!!」


「止めてって言ってもやるんでしょ、どうせ!!」


「やりますよ!! 楽しいですからね!!」



 車のシートにしがみつくユーシアは、自分に与えられる衝撃に目を瞑って耐える。


 さながらジェットコースターよろしく物凄い加速を見せる車は、無人のゲートへ頭から突っ込んだ。

 動きを止める為に作動したバーが根元から折れ、あらぬ方向へ吹き飛ばされる。窓の外にいた係員は「またか」とばかりに頭を抱えていた。


 リヴは「ひゅー!!」と下手くそな口笛を吹き、



「やっぱりここのゲートは壊すものですね!!」


「リヴ君の殺意って、ついに無機物にまで及ぶようになったの?」



 聞こえてきたパトカーのサイレンさえも振り切って『中央区画』の道路を突っ走るユーシアとリヴは、もはや誰にも止められない暴走車と化していた。


『中央区画』のゲートは何度壊されれば気が済むのだろうか。

 おそらく気が済む瞬間はないと思われる、残念ながら。



 ☆



 何の変哲もないビルの前に、ぐるぐるキャンディやポップコーンを象った看板が出されていた。

 看板には『スリーピッグ』の名前が刻まれ、ここがあの有名なお菓子メーカーであることを主張している。全体的に金色のビルよりマシだろう。


 ギュインギュイン、とドリフトしながらスリーピッグ社のロータリーまでやってきたユーシアとリヴを乗せた車は、ビルの一階に突っ込む寸前で止まる。『中央区画』に来ると確実に車で帰らなければならなくなるので、足は残しておくに限るのだ。



「ここですね」


「うええ……」


「ちょっと、僕の隣で吐かないでくださいよ」



 ぐるんぐるんと最後に回転したのがトドメとなったのか、ユーシアは膝をついて嗚咽を漏らしていた。


 いまだに世界が回っているような感覚である。内臓の位置がおかしいような気もする。

 敵本陣を目の前にして土下座せんばかりに膝をつき、おえおえと呻いている相棒に対してリヴは辛辣な言葉を送った。謝罪でも何でもなかった、彼はこういう性格であることを忘れてた。


 かろうじて後部座席からライフルケースを引っ張り出すと、ユーシアはなんとか立ち上がる。



「帰りは安全運転で」


「仕方がありませんね。シア先輩の為に安全運転で帰りますよ」


「そうして。これからもね」


「でもスピード出てる時によく銃撃戦やってるじゃないですか。あの状態で当てられるのって、かなり凄いことだと思いますが」


「頑張ってんだよ。おじさんの努力を少しは認めて」



 銃撃戦になれば思考回路の切り替えも出来るので幾分かマシになるのだが、元来絶叫系マシーンが苦手なユーシアは暴走車があまり得意ではなかった。

 いや、楽しいとは思えるのだが、こうも乱暴だと酔ってしまう。車には強いはずなのに、何故だろう。


 足元をふらつかせるユーシアを支えてやりながら、リヴが呆れたように言う。



「情けないですね。退役してから衰えました?」


「衰えてるよ」


「割と本気のトーンですね」


「事実だからね」



 退役してから随分と経過しているので、そろそろ真面目に衰えを感じてきている頃合いである。歳って怖い。


 ようやく調子もいつも通りに戻ったユーシアはライフルケースを背負い直すと、目の前に聳えるスリーピッグ社を見上げた。

 至って普通のビルだが、果たして会社の中では一体何が待ち受けているのか。社長も【OD】である以上、簡単に首を取らせてはくれないだろう。



「よし、リヴ君行こうか」


「水とか大丈夫ですか?」


「もう平気だよ」


「衰えを感じている割には回復早いですね」


「まだ二〇代だからね」


「三十路間近ですが――あいたッ」



 余計な一言を付け加えたリヴの脇腹を小突き、ユーシアはスリーピッグ社の自動ドアを潜る。


 人感センサーは難なく起動して、ガラス扉が触れてもいないのに開いていく。広々とした受付には誰もおらず、受付嬢どころか警備員すらいない状態だ。

 まさか逃げたのだろうか? いや、そんなはずはない。


 コツン、と大理石の床に二人分の足音が落ちる。伽藍ガランとした受付を見渡すユーシアとリヴは、



「いないね」


「いませんね」


「逃げたのかな?」


「まさか、そんなはずありませんよ。襲撃を仕掛けた当日に、夜逃げよろしく社員全てが逃げ出しますかね」


「避難訓練とかじゃないよね」


「確かに大切ですけども」



 その時、足音が聞こえた。


 一つや二つどころではない。幾重にもなって聞こえる足音は、確実にこちらへ近づいてきていた。

 数秒と置かずに足音の正体が姿を現す。伽藍とした受付に現れたのは、



「不届き者」



 涎を口の端から垂らし、バリバリとぐるぐるキャンディを噛み砕きながらユーシアとリヴを罵る女性社員。



「お菓子は不味くない」



 目を血走らせて、ジャガイモを薄く揚げたチップスをむしゃむしゃと頬張りながらお菓子の美味さを主張する男性社員。



「お前たちの味覚がおかしい」



 焦点の合っていない瞳でユーシアとリヴを睨みつけ、板状のチョコレートをバキバキと口の中に押し込んでいく警備員。



「だから帰れ」


「帰れ」


「帰れ」


「帰れ」


「お菓子を食べない奴は出て行け」



 ゾロゾロと出てきたのは、お菓子を絶えず摂取しながらユーシアとリヴを追い出そうとする社員たちだった。


 全員して自社製のお菓子に夢中な様子で、飴やらガムやらチョコレートやらチップスやらを口の中に押し込み、咀嚼し、飲み込んで、また新たなお菓子の袋を開けてバリバリむしゃむしゃ。

 もう完全に悪夢だ。どこからどう見ても、彼らはおかしなお菓子に取り憑かれてしまった。


 ライフルケースから純白の対物狙撃銃を取り出しながら、ユーシアは相棒のてるてる坊主へ振り返る。



「リヴ君」


「ええ」



 その一言だけでやるべきことを理解したリヴは、黒い雨合羽レインコートの袖から手榴弾を滑り落とす。



「そんなに甘いものがお好きなら、この黒いパイナップルを召し上がれ」



 ポイ、と手榴弾を社員に向かって投げつけるリヴ。


 床に叩きつけられて破裂するより先に、ユーシアとリヴはすでに着ていたエレベーターに飛び乗った。

 ゆっくりと閉まっていく扉の隙間から、爆風に吹き飛ばされる社員たちの姿が確認できた。すでにエレベーターは動き始めているので、残念ながら最後まで確認は出来なかったが。



「もうお菓子の虜になった人たちは救えないね」


「救わなくていいじゃないですか」



 エレベーターの壁に背中を預けるリヴは、操作盤の上に掲げられた階層を示す数字を見上げながらユーシアに言う。



「どうせ狂いながら命を絶ちますよ。他人のことなんてどうでもいいです」


「さすがだね、リヴ君は」


「シア先輩はまさか慈悲をくれてやろうだなんて思っていませんよね?」


「そんな訳ないでしょ。あんな大量に狂った一般人を助けるなんて、ヒーローがいたらやるんじゃない? 俺はごめんだけど」



 対物狙撃銃を抱えるユーシアは、



「ただ、あれらが今後襲ってきたら面倒だなって思って」


「確かに面倒ですね。見かけた先から殺していきますか」


「手榴弾をたくさん仕入れておかないと」


「ガソリンもですね。あとユーリさんから幽霊退治の時に使った薬を貰いましょう」


「あれ便利だったね」


「ええ。出来れば定期的に購入したいですね」


「交渉してみようか」


「そうしていただけると嬉しいです」



 マッチ売りの少女の【OD】を殺した際に使った薬品の便利さを思い出しながら会話する二人は、ポーンという音を聞いて口を閉ざす。


 エレベーターが示す階層は六階。

 扉がゆっくりと開いた。

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