小話【悪党に幽霊は通じるか】

『それでね、後ろを振り向いたら――血塗れの女の人が立っていたんですよ!!』



 声だけで怖さを最大限に表現する話し手に応じて、観客が甲高い悲鳴を上げる。それらが番組のやらせのように聞こえるので、だんだんと萎えてきた。


 ラジオにイヤホンを突っ込み、リヴは寝床にしている浴槽で丸まりながら静かに聴いていた。

 たまたまチャンネルを合わせたら怖い話特集なる番組がやっていたので、ゲームルバークに伝わる怖い話は如何程いかほどかと試しに聴いてみたのだ。まあ、全然怖くはなかったのだが。


 耳に嵌め込んだイヤホンから流れる男性の声に、リヴはうんざりしたように呟く。



「ウケ狙いですかね。全然面白くありません」



 怖い話であれば、故郷である極東の方が揃っている。


 何というか、お国柄が出るのか、お化けの出現方法がねちっこいのだ。特定の動作をやることで呼び出せたり、特定の時間帯に出現したり、様々な種類の噂話がある。地方によって呼び出し方法や時間帯も変わるので、正直なところ統一してほしい。

 ちなみに、こういった恐怖体験とか怖い話の類は全般的に信じていないリヴである。幽霊がこの世にいるのならば、リヴは今頃変死を遂げているに違いない。


 続いての怖い話を語り始めた男性に「どうせ同じような話でしょう」と聴く前に酷評を下すリヴは、浴室の向こうで誰かの足音が聞こえてきた。



「ん?」



 浴槽から身体を起こせば、確かに足音が聞こえてくる。


 ギ、ギ、と床板をしっかりと踏みしめる足音。

 歩幅と床板の軋み具合から、相手は成人男性だと推測できる。部屋の中で成人男性は、リヴの相棒である狙撃手しかいない。



「シア先輩……?」



 ギ、ギ、と床板を軋む音が唐突に止まる。立ち止まったということだろうか。


 浴室の前で立ち止まっている気配は察知できるが、相手はなかなか喋ろうとしない。

 もしかして、ユーシアではないのだろうか。では誰が? 我が家に泥棒でも忍び込んだのだろうか。


 ラジオを消してイヤホンを外し、リヴは足音を立てずに浴槽から出る。雨合羽の袖からナイフを滑り落としつつ、浴室の扉にそっと近寄った。



「誰ですか?」



 扉越しに質問を投げかければ、ややあって質問に対する答えが返ってきた。



「リヴ君」



 扉の向こうから、聞き慣れた男の声が聞こえてくる。



「どうしたんですか、シア先輩。夜中ですけど」


「リヴ君、開けて」


「鍵はかけていませんが。もしかして風呂に用事ですか? 汗でも掻きました?」


「開けてよ、リヴ君」


「…………シア先輩、おかしいですよ。鍵はかけていませんと言いましたが」


「開けてよ」



 聞こえてくる相棒の声は、ただただ平坦な印象があった。


 口調はいつものユーシアだが、声に抑揚がない。

 まるでユーシアの声を録音して、パソコンで加工して再生しているような感じだ。音声合成ソフトでも使っている印象がある。



「開けて、開けてよリヴ君、ここを開けて」



 カリカリ、と扉を引っ掻く音。


 鍵はかかっていないと言った。

 それでもユーシアはリヴの個人的な空間に踏み入れる時、必ずノックをしてくるのだ。悪党でも礼儀はある。


 それなのに、今は無理やり扉を開けようとするユーシアを真似た誰かがそこにいる。



「開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて」



 ガリガリ、ガリガリ、ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ、ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ、と。


 浴室の扉をひたすら引っ掻く音が、リヴの耳朶に触れる。

 これは明らかにユーシアではない。ユーシアを真似た誰かの仕業であり、恐怖心よりも相棒を真似られた怒りとそれを見抜けなかった悔しさが込み上げてくる。


 なので、殺すことにした。

 相手が幽霊だろうが知ったことか。



「うるせえですよ、殺しますよ」



 バン!! と浴室の扉を開けるが、やはりそこには誰もいなかった。


 リヴは忌々しげに舌打ちをする。

 幽霊に安眠を妨害されるとは、舐められたものである。次に会った時は確実に殺してやる所存だ。



「逃げるとは卑怯な。幽霊だろうが何だろうが、次に会った時には殺してやります――――」



 もう寝直すか、と浴室へ振り返った瞬間。



「は、イれ、たァ」



 腕はあらぬ方向に折れ曲がり、人間の可動域を超えて首を傾け、ハゲ散らかった頭部から血を流し、明らかに人ではない何かが浴室に立っていた。

 ニヤリと笑うその顔は非常に悍ましく、ホラー映画に出てきそうな雰囲気がある。捲れた唇の向こうには黄ばんだ歯が並び、気味の悪さを助長させる。


 あ、やべえ。


 気づいた時には、リヴは即座に浴室の扉を閉めていた。



 ☆



「んー……」


 リビングに置かれたソファを寝床にするユーシアは、窓から差し込む朝日によって目を覚ます。


 気怠さを訴える身体を無理やり起こし、欠伸をして眠気を振り払う。

 生理的に浮かんだ涙を拭いながら部屋を見渡せば、いつもとは状況が違っていた。具体的に言えば、いない人間がいた。


 ユーシアが寝床とするソファに寄りかかって、膝を抱えて眠る真っ黒てるてる坊主が一人。



「リヴ君?」



 ビク、と真っ黒てるてる坊主の肩が跳ねる。


 ゆっくりと頭を持ち上げたてるてる坊主は、目深に被った雨合羽レインコートのフードの下からユーシアの顔を覗き込んでくる。

 相手を怪しむような態度ではなく、どちらかと言えば相手の存在が本物であるかを確かめるような仕草に思えた。



「シア先輩……?」


「うん。おはよう、リヴ君。どうしたの?」


「おはようございます。しばらく寝床をお借りしてもよろしいですか? 寝不足でして」


「別にいいけど、本当にどうしたの? 何かあった?」



 話を聞こうにも肝心のリヴはすでにソファへ身を横たえ、猫のように丸まって眠り始めた。


 深夜のやり取りを知らないユーシアは、疲弊した相棒に首を傾げる。

 徹夜で誰か殺しにでも出かけたのだろうか、としか思っていなかった。何故なら、それがリヴ・オーリオという青年だからだ。



「シャワーでも浴びようかな。最近暑いし」



 気温が高くなってきた影響で、寝汗を掻くようになってしまった。


 ユーシアは「まずはお風呂を片付けてっと」とリヴの寝床を使わせてもらうことにして、浴室の扉を開ける。

 深夜、相棒が即座に閉じた浴室の扉を。



「あ、ァ」



 何故か知らないが、悍ましい姿をした化け物と目が合った。


 ユーシアを見つめるガラス玉のような眼球と、捲れた唇から黄ばんだ歯が覗く。折れ曲がった腕に首も変な方向へ捻れ、人間ではないことは明らかに分かる。

 どこからどう見ても幽霊です、はい。



「あらまあ」



 悍ましい怪物を前にしても、ユーシアは無反応だった。


 何というか、恐怖映像とかグロ映像には慣れているのだ。ホラー映画は結構好んで見る方だし、怖い話も好んで聞いちゃう方だし、昔は心霊スポットを巡ったものである。

 浴室の扉を静かに閉じ、ユーシアが引き返した先は台所。塩の袋を鷲掴みにすると、再び浴室の扉を開ける。


 蠢く怪物に、まずは塩をぶっかける。



「はい、出てって。ここリヴ君の寝床だから」


「あ、ぢょ、まッ」


「出てって。早く出てって。ほら早く」



 淡々と塩をぶっかけて怪物を始末するユーシアは、怪物が消えたことを確認するとポツリと呟く。



「一応、リリィちゃんが起きたら除霊をお願いしとこっと」




【注釈】

 幽霊に対する耐性

 ユーシア → リヴ → スノウリリィ → ネア


 幽霊に対する攻撃力

 スノウリリィ → ネア → ユーシア → リヴ



 ユーシアは幽霊に耐性が強い。滅多なことでは驚かないし、怖がらない。ホラー映画も怖い話も心霊スポット巡りもお手の物。ただし除霊は塩に頼るしかなく、淡々と塩を対象にぶっかける。


 リヴは幽霊に対する耐性はあるものの、いざ除霊しようとすると冷静さを欠く。塩をかけるという発想にも思い至らず、お経を唱えて乗り切ろうとする。


 ネアは幽霊に対する耐性は皆無だが、安定の光属性で幽霊が寄ってこない。寄っていったら最後、強制的に昇天する。


 スノウリリィは幽霊に対する耐性はそこそこだが、幽霊に対して最強。元修道女で悪魔祓いの真似事もしていたので、除霊は一応できるようだ。

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