第8話【新しい部屋での生活】
「わあ!!」
新しく占拠した部屋を目の当たりにしたネアは、キラキラと瞳を輝かせた。
前に住んでいた部屋よりも間取りは広く、日当たりも抜群だ。
夜逃げ同然に放置されていた食器類の数々は片っ端から捨て、残されたソファなどの大型家具はそのまま流用することにした。新しく買い替えなくてもいいだろう。
「ひろーい!!」
「そうですね。こんなお部屋が、まだゲームルバークにあったなんて驚きです」
自分の着替えが詰め込まれた鞄を床に置きながら、スノウリリィが綺麗に掃除された部屋を見渡しながら言う。
ネアはドタバタと部屋中を駆け回り、くるくると両腕を広げて回転しながら「ひろい、ひろーい!!」と実に楽しそうだ。
彼女が広いリビングで盛大に踊っていても余裕があり、前の狭いアパートよりも自由度が増した。うん、これはこれでいい。
広い部屋に興奮するネアを眺めるユーシアは、
「お気に召したかな?」
「うん!!」
ネアはしっかりと頷いた。気に入っていただけでよかった。
「ところで、ユーシアさん」
「どうしたの、リリィちゃん。質問は有料だよ」
「お金を取るんですか? ユーシアさん、ホストにでも転職しました?」
「お、返しが上手いねぇリリィちゃん。ツッコミの技術が上がったんじゃない?」
「とても必要のない技術ですけどね」
スノウリリィは「話を戻しますね」と強制的に話題を変え、
「その足はどうしたんですか?」
彼女が指摘したのは、ユーシアの右足だった。
ユーシアの右足は包帯で固定されていて、ついでにユーシアも松葉杖をついている。
マッチ売りの少女の【OD】を殺した際に負傷したものだが、ただの
ユーシアは苦笑すると、
「リヴ君がねぇ、わざわざ巻いてくれたんだよねぇ」
「捻挫ですよね?」
「医師の診断書もあるよ。闇医者だけど」
「ちゃんとしたお医者さんではなくても、捻挫だって言われたんですよね?」
「そうだよ、捻挫だよ」
骨折でも何でもなく、ただの捻挫なのだ。
なのに、骨折と同じように包帯でぐるぐる巻にされた挙句、松葉杖を押しつけられる始末である。本気で骨折をしたのか、と錯覚してしまうのだが、本当は違うのだ。
ユーシアは松葉杖を担ぐと、きちんと両足で立って見せる。その姿はいつものユーシアで、捻挫をしているなど思わせない自然な姿勢だった。
「ほら、どうよ。俺もうこんなに平気だよ」
「でも今日は安静にしていてくださいね。家事は全て私がやりますので」
「いや結構です。お洗濯とお掃除だけお願い」
家事の全てをスノウリリィに任せたら、本格的にユーシアたちは地獄へ旅立つこととなってしまう。ほとんど罪のないネアさえも地獄に向かうことになる。
今まで楽しそうに踊っていたはずのネアだが、スノウリリィの料理の気配を察知したのか、ユーシアの背中に隠れてガタガタと震え出した。スノウリリィのポイズンクッキングを理解している辺り、精神退行した少女に確実なトラウマを植え付けてしまっているようだ。
自分のポイズンクッキングをまともな料理と認識しているスノウリリィは、不思議そうに首を傾げる。
「何故ですか? お料理もお任せください。ちょっと失敗してしまいますが、今回は上手に出来そうなので」
「どこから来るの、その自信?」
「おにーちゃん、ねあ、こわい」
「ほらぁ!! ネアちゃんも怖がっちゃってるよ!? リリィちゃんの料理は料理じゃないんだよ、劇物なんだよ!!」
「え!? だ、大丈夫ですネアさん。次は必ず成功させますから!!」
「りりぃちゃんのごはん、たべるとぴんくのぞうさんがみえるようになるんだもん。こわい」
「料理に何を入れてんの、リリィちゃん!!」
「普通の食材と普通の調味料ですが!?」
「食材を無駄にしてるんだよね!? ピンクの象さんだよ!? 麻薬でも決めてなければ見れないような幻覚だよ!?」
「ネアさんも私もユーシアさんも【OD】でしょう!!」
「そうでした!!」
スノウリリィに当たり前のことを指摘され、ヤケクソ気味に叫ぶユーシア。
すると、鍵が外れる音がして、それから扉が開く。
遅れて「ただいま戻りました」と聞き慣れた相棒の淡々とした声が、部屋中に響き渡る。声に混じってガサガサというビニール袋の音も聞こえる。
ひょっこりと部屋を覗き込んできた真っ黒てるてる坊主は、スノウリリィと向き合うユーシア、それからユーシアの背中に隠れるネアの状況を眺めて「ふむ」と判断する。
「分かりました、殺します」
「何故ですか!?」
「アンタ、料理をするつもりでしょう。台所に立つなら殺します」
「今までのやり取りを見ていたんですか!?」
「簡単に予想できますよ。捻挫をしたシア先輩に代わって料理をしようと提案したら止められて、ネアちゃんは怯えさせてしまったんでしょう」
「どうしよう、このお二人が怖く思えてきました」
「アンタの行動なんてお見通しです」
真っ黒てるてる坊主な頼もしい相棒――リヴは、あっさりとスノウリリィを言い負かすと両腕に下げたビニール袋を台所に運搬する。
よく見れば、それは食材のようだった。
確か「買い物に行ってきますね」と言って部屋を出て行ったので、食材を買いに行ってくれたのだ。気遣いの出来る相棒である。
彼は一つ一つ丁寧に食材を台所に並べていき、
「今日は僕が作りますので」
「え、リヴ君が?」
「はい。何か問題が?」
「いや、何も問題はないけど」
ユーシアは「でもさ」と続けると、
「リヴ君、家事全般苦手じゃなかったっけ?」
「そこの阿呆メイドよりマシなものを作りますよ」
「誰が阿呆メイドですか!!」
スノウリリィが不満げに訴えてくるが、リヴは華麗に無視した。
心配ではあるが、食材を劇物に変化させてしまう稀代の錬金術師であるスノウリリィが料理をしないのであれば問題なさそうだ。
ただ、家事全般を苦手と豪語するリヴが、最難関と評価しても過言ではない料理に挑戦するとは、一体どういう風の吹き回しだろうか。
包丁を手に取り、リヴは購入してきた食材を切っていく。葱を中心にした野菜と、それから何故か丼のようなものが置かれていて……?
「お湯を作って……」
ケトルにお湯を注いで沸かし、さらにお湯を丼のような器に注ぎ入れて蓋をする。
「三分待てば完成です」
どこからどう見ても、インスタントラーメンだった。
「リヴ君」
「何でしょう?」
「料理だよね?」
「料理ですね」
「インスタントラーメンだね」
「そうですね。僕の得意料理です」
自慢げに胸を張るリヴ。
確かに劇物しか作らないスノウリリィよりマシな料理である。
何故なら、ちゃんと食べられるからだ。インスタントラーメンでもちゃんとした料理である、断言しよう。
ユーシアは「うん」と納得したように頷くと、
「インスタントラーメンもご飯だもんね。立派に食べられるものだもんね」
「そうですよ。目玉焼きと宣って緑色の何かを作り出すどこかの誰かとは違いますからね」
「そうだよね。――ところでリヴ君さ、リリィちゃんの料理を食べて幻覚を見たことがある?」
「ありますよ。シア先輩が三人に分裂したという幻覚が」
「なかなかな恐怖映像だね」
「いえ、天国でした」
「ちょっとリヴ君の感覚がよく分からない」
とはいえ、今日の晩ご飯はインスタントラーメンで決まりである。
ユーシアは苦笑し、リヴの作ったインスタントラーメンを受け取る。ネアも「わーい、らーめん!!」と食べられる簡単な料理に喜んでいる様子だった。
この状況で一番不満そうにしているのはスノウリリィだったが、彼女も「インスタントラーメンですか……ちょっと料理とは呼べるものではない気がしますが……」とぶつくさ文句を呟いていたが、ちゃんとインスタントラーメンの器を受け取っていた。
「さて、全員両手を合わせて」
「「「いただきます」」」
そして、和やかに食事が始まる。
これから新しい部屋での生活が始まり、やがていつしかここでの生活が普通になるのだろう。
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