小話【例えば、こんな物語を】

「ユーシア、聞いたか? 今日から新兵が入ってくるみたいだぞ」


「へえ」



 ブロック型の栄養食を口の中に運びながら、くすんだ金色の髪を持つ男――ユーシア・レゾナントールは素っ気ない態度で応じる。


 彼の視線が注がれているのは、上官に配られたばかりの資料だ。

 揃いも揃って頭をおかしくした麻薬中毒者【OD】がとある建物を占拠した為、その建物を奪還しろとのことだ。全く、上官も人使いが荒い。


 同僚はユーシアの素っ気ない態度に「なーんでそんなにつれないのォ!!」と叫び、



「可愛い新兵だよ? 面倒見てあげなきゃじゃん!?」


「お前さんの場合、どこぞの茂みに連れ込んでしっぽりやるつもりでしょ。先輩特権っての使ってさぁ」


「しょーがないじゃん。こんな男所帯でさぁ、どうやって性欲を発散させればいい訳?」



 ユーシアに抱きついてくる同僚はグリグリと肩に頭を擦り付けてくるが、ユーシア自身は無視してブロック型の栄養食を口の中に押し込む。口の中の水分がほとんど持っていかれたので、ミネラルウォーターのペットボトルに手を伸ばした。

 だが、残念なことにペットボトルに中身はなかった。どうやら自分が全て飲んでしまったようで、逆さにしても喉を潤すほどの量は出てこない。


 いい加減に鬱陶しくなってきた同僚を無理やり引き剥がして、ユーシアは新しく水を買いに行くかと腰を上げる。


 その時だ。



「これ、どうぞ」



 ユーシアの目の前に、未開封のペットボトルが差し出される。


 視線を辿ると、そこに立っていたのは黒髪の青年である。

 ユーシアと同じような迷彩柄の戦闘服を身につけ、長めの前髪から黒曜石を想起させる双眸が覗く。顔立ちは儚げな印象があり、女装映えしそうな雰囲気がある。


 やや大きめの戦闘服を着た彼は、未開封のペッドボトルを差し出しながら「あの……」と口を開く。



「早く受け取ってもらえませんか」


「ああ、うん。ごめんね。ありがとう」


「いえ」



 青年からミネラルウォーターのペットボトルを受け取ったユーシアは、早速とばかりに蓋を開けて冷たい水で喉を潤す。


 敵に関する情報がまとめられた資料に目を通しながら、ブロック型の栄養食に手を伸ばす。ほんのりとした塩気のある味が舌の上を広がっていき、潤ったばかりの口の中の水分を再び奪っていく。

 適度に水分補給を繰り返しながら栄養食を口の中に収めるユーシアは、居心地の悪さに眉根を寄せる。何と言うか、ずっと見られているのだ。


 振り返れば、先程ミネラルウォーターのペットボトルを差し出してきた青年が、まだそこに立っていたのだ。興味深げにユーシアを観察している彼は、



「あ、いえ。お気になさらず」


「いや、気になるんだよね」



 ユーシアは資料を裏返しにすると、



「お前さん、何なの? 水を持ってきてくれたことには感謝してるけど、まだそこに突っ立っているつもり?」


「これは失礼しました」



 青年は素早く敬礼すると、



「僕はリヴ・オーリオ。本日付で、貴官の観測手スポッターに任命されました」


「はあ?」


「よろしくお願いします」



 自らをリヴ・オーリオと名乗ったその新米兵士は、ニコリとも微笑まずに義務感の如く挨拶を済ませた。



 ☆



観測手スポッターなんて聞いてないんだけどね」


「僕も初めて聞かされました」



 乗り心地最悪な護送車に揺られながら、ユーシアは新米兵士のリヴを見やる。


 リヴ・オーリオ、という名前に聞き覚えはある。

 今年の新兵の中で近接戦闘の成績が群を抜いていたとか、座学の成績が首席だとか、とにかく何でもこなせる器用な人材だった。特にナイフを使った戦闘をやらせれば右に出る者はおらず、上官さえも呆気なく倒してしまった実力を誇る。


 正直な話、相性が合うとは到底思えない。

 ユーシアは根っからの狙撃兵で、後方支援や超長距離狙撃が主な任務だ。今回も敵の首魁をブチ抜けという雑な任務で、幾度となく繰り返してきた任務と変わりない。


 ユーシアはライフルケースを抱えたまま、



「お前さん、近接の成績よかったんでしょ。前線に行けばよかったじゃん」


「ご迷惑でしたか」


「うん、ちょっとね」



 相手に忖度することなく、ユーシアは躊躇いもなしに言う。



「俺、観測手スポッターなんて必要ないんだけど。今まで使ったことすらないし」


「今回から必要になると思いますよ」


「今後も必要じゃないよ」



 百発百中の命中率を誇る、戦場に降り立った白き死神。

 幾度となく戦場を制してきた『白い死神ヴァイス・トート』――それがユーシア・レゾナントールである。


 今までずっと、観測手は必要じゃなかった。今回も同じことだ。



「そうですか」



 ユーシアの素っ気ない態度に、リヴは淡々とした口調で応じるだけだった。



 ☆



 狙撃ポイントに到着したユーシアは、ライフルケースから純白の対物狙撃銃を取り出す。


 対物狙撃銃など相手に向けるものではないが、敵は人外の異能力を手に入れた【OD】と呼ばれる麻薬中毒者だ。常識が通用しない相手に、常識通りの攻撃をしてどうするのだろうか。

 中にはユーシアの弾丸すら防ぐような異能力を得た【OD】もいると聞く。まだ出会ったことはないが、そんな相手に一体どうやって戦えと言うのか。


 ユーシアは近接戦闘が苦手である。

 観測手スポッターに任命されたリヴとは違って、根っからの狙撃兵だ。敵と対峙してナイフを振るうより、対物狙撃銃を操って敵を遠くから射抜いた方がいい。



「よしっと」



 三脚で銃身を支え、ユーシアは腹這いになりながら無線機に語りかける。



「こちら『白い死神ヴァイス・トート』。目的地に到着した」


『こちら司令塔。では任務を開始せよ』


「了解」



 無線機に短く告げ、ユーシアは照準器スコープを覗き込む。倍率を変えながら、隣に立つ観測手に任命された新米兵士を見上げた。


 リヴは首から双眼鏡を下げた状態で、遠くに見える目標をじっと見つめている。

 感情の読み取れない黒い瞳で建物を観察する彼は、ふと何かに気づいたように振り返った。



「どちら様でしょう」


「……お前さん、何を言ってるの?」


「黙ってください」



 先輩を相手に生意気な言葉である。


 腹這いの状態から起き上がったユーシアは、副武器で携帯している自動拳銃を構える。安全装置を外し、リヴが睨みつけている森の中へ照準を合わせる。

 鬱蒼とした森の中から、ガサガサと茂みを掻き分けて男が出てくる。覚束ない足に、口の端から垂れた涎。現実と夢を区別できていないような、ガラス玉を想起させる虚な双眸。



「あっひひひぃ。あー、その白いの。お前、あれか? 死神かぁ?」



 ふらふらと指先で足元の白くカラーリングされた対物狙撃銃を示すと、男はニィィィと裂けるように笑った。



「じゃあ、殺そうかぁ。目障りだしなぁ」



 そう言って、男はどこからか取り出した薬瓶をひっくり返して、その中の錠剤を残さず口の中に投入する。ぼりしゃり、とまるでラムネ菓子のようにその錠剤を噛み砕き、飲み込んだ。


 すると、どうだろうか。

 男の身体に変化が生じ、見る間に大きくなっていく。着ている洋服を引きちぎり、木の高さを超え、筋肉も身長に合わせて膨らんでいく。


 これは悪夢か、それとも現実か。


 ユーシアは自動拳銃を遠ざかっていく頭に照準したまま、ドン引きした表情で「うわあ」と呟く。



「まさかここで【OD】に出くわすなんてなぁ」


「そうですね」



 リヴはあらかじめ装備していた軍用ナイフを引き抜くと、



「その為の僕なので」


「は?」



 ユーシアがリヴへ振り返れば、彼の手には注射器が握られていた。

 シリンダー内では透明な液体が揺れている。その尖った針を、リヴは迷わず首筋に突き刺した。


 シリンダー内の透明な液体を注入した途端、リヴの姿が掻き消える。



「え?」



 一体何が起きた?


 姿を消したリヴを探して周囲を見渡すユーシアは、視界の端で赤い液体が噴き出す瞬間を感じ取った。

 巨人と化した【OD】の首から血が噴水のように流れていて、よろめく身体を蹴飛ばすリヴが華麗に着地を決める。その全身をぐっしょりと血で濡らしているが、いつ現れたのだろうか。


 顔についた血を拭いながら、リヴは仰向けで倒れた巨人の死体を見下ろす。大きくなった男は元の姿に戻ることはなく、そのままの状態で倒れている。



「……お前さん、さっきの」


「ああ、はい」



 空の注射器を足元に捨てながら、リヴは何でもない口調で告げる。



「僕、親指姫の【OD】です。驚きました?」


「……それって」


「本来は敵ってことですよ」



 肩を竦めながら言うリヴに自動拳銃を突きつけ、ユーシアは引き金に指をかける。


 そう、ユーシアにとって【OD】は敵だ。

 革命戦争を引き起こした原因であり、人外の異能力を持つ麻薬中毒者。身内に潜んでいる敵は、ここで始末するべきだ。


 それでも、



「…………やめた」



 ユーシアは自動拳銃を下ろし、無線機の向こうにいる司令室に報告する。



「こちら『白い死神ヴァイス・トート』。敵【OD】が接近した為、交戦していた。任務を続行する」


『了解。健闘を祈る』



 無線機の電源を切り、ユーシアは腹這いで相棒の白い対物狙撃銃と向き合う。照準器スコープを覗き込み、建物を占拠する【OD】を狙う。



「あの」


「何?」


「いいんですか? 僕、アンタの敵ですよ」


「敵だったら殺せるでしょ」



 リヴに視線をやることなく、ユーシアは答える。



「今の俺は無防備なんだから。それに異能力ってのを使えば、簡単に殺せるよ。殺されたらそれまでだと思うし、運良く逃げられたら俺もお前さんを狙うよ」


「……それまでは見逃すということですか?」


「そうなるね」


「随分とお優しいことで」



 腹這いになったユーシアの隣に立つリヴは、双眼鏡を使って建物を観察し始める。



「あ、今出てき――」



 観測手としての役割を果たすより先に、ユーシアは引き金を引く。


 タァン、という銃声。

 射出された弾丸が、ちょうど建物の屋上に姿を見せた【OD】の身体を粉々に吹き飛ばす。膝から上が完全になくなり、赤い何かが弾け飛んだように見えた。


 双眼鏡を構えるリヴは、



「さすがですね、シア先輩」


「何、その名前」


「先輩なので」


「ふーん、そう。まあいいよ、好きに呼んだら」



 おそらく、まだ【OD】は出てくるはずだ。


 屋上に安息の地を求めて逃げ込んだ【OD】を狙って、ユーシアはじっとその瞬間を待つ。




 これは、そんな彼らの仮定の物語。

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