第7話【陽気な宝石商よ、さようなら】

「いや、いや。遠路はるばるご苦労様です。あ、お茶でもいかかですか? 最近、極東の緑茶に凝っていまして。いい茶葉が手に入ったんですよ」



 やたら豪奢な部屋に引っ張り込まれ、ふかふかのソファに座らされたユーシアは、何故か敵から歓待を受けていた。


 戸棚をいそいそと漁るアラジンの【OD】は、褐色肌が特徴の青年である。

 艶やかな黒い髪はパーマがかけられ、キラキラと輝く瞳は黒曜石のようだ。顔立ちは精悍なもので、色黒になったリヴを想起させる。いや、こういう表現は相棒に失礼だろうか。


 陶器製のポットからお湯を注ぎ、青年はユーシアへ「どうぞ」と湯呑みを差し出す。湯気が立つ湯呑みの中身は緑色のお茶が並々と注がれ、心が安らぐ香りが鼻孔を掠める。



「あ、どうも初めまして。自分はサラーヴ・アラジンと申します。宝石商をしておりまして、はい」


「はあ、ご丁寧にどうもね」


「そちらはユーシア・レゾナントール様でお間違いありませんね? あの革命阻止軍で『白い死神ヴァイス・トート』と恐れられた凄腕の狙撃手」



 ユーシアは熱された湯呑みを握る手に力を込める。


 表情には出さなかったが、非常に驚いていた。

 元狙撃兵であり、さらにユーシアの二つ名である『白い死神ヴァイス・トート』という情報すらも相手は知っていたのか。ならば、きっとリヴやネア、スノウリリィの情報も掴んでいるだろうか。


 青年――サラーヴ・アラジンは「そんなに驚かないでください」と微笑み、



「あなたは有名人でいらっしゃいますから。ああ、もちろん指名手配されるより前の話ですよ」


「そう」



 ユーシアは素っ気ない態度で応じる。


 そんなことを言うサラーヴの、一体どこを信じろと言うのだろうか。

 ニコニコと彼は笑っているが、腹の底までは見えない。強盗に来たユーシアにお茶を出してもてなす時点で、もうすでに怪しいのだ。


 呑気に緑茶を啜るサラーヴは、一向に湯呑みへ口をつけないユーシアに「どうしました?」と問う。



「緑茶は苦手でいらっしゃいました? 今から紅茶を淹れます?」


「ふざけてるの?」



 熱い湯呑みを握りしめたまま、ユーシアはサラーヴを睨みつける。



「俺は強盗をしに来たんだけど。もしかして、舐められてる?」


「まさか、まさか。『白い死神ヴァイス・トート』を舐めようものなら自分など殺されておりますし、この場にいる時点で殺害される覚悟は出来ております」



 緩やかに首を振って否定するサラーヴは、



「自分はお喋りが好きな性分でして。たまにお客様にも嫌がられるのですが、まあお喋りが止まらない止まらない。部下にも『うるさいですよ』と言われてしまうので、直したいところではありますがね」


「あっそ」



 ユーシアはサラーヴの顔面めがけて、湯呑みの中身をぶっかけた。


 ばちゃ、と熱い緑茶が彼の顔面にぶち当たり、サラーヴは「熱ッ!!」と叫ぶ。ソファに横たわると、顔を押さえてバタバタと暴れていた。

 その隙だらけな宝石商に、軽機関銃を突きつけるユーシア。彼にしか見えない幻影の少女は、熱いお茶をかけられて暴れるサラーヴの前に立ち塞がる。


 さあ、手っ取り早くサラーヴを殺して金を強奪しておさらばしよう。


 いまだにぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるサラーヴへ軽機関銃を照準し、ユーシアは問答無用で引き金を引いた。対物狙撃銃と違って、銃弾の雨嵐が幻影の少女を蜂の巣にする。

 彼女を貫通して弾丸はサラーヴへ届き、彼を永遠の眠りにつかせる。



「わああああああ熱いし撃たれてる!! 怖い怖い!!」



 ドガガガガガガ、と少女の後ろ――サラーヴを守るように出現した赤い盾のようなものが銃弾を受け止める。


 赤い欠片が、銃弾を受けるたびに飛び散る。

 キラキラとしたそれは磨き抜かれた大理石の床に散らばり、それが宝石だと気づいたのは軽機関銃を全て撃ち切ってからだった。


 サラーヴを守るように出現した赤い盾はボコボコに穴が開いているものの、その後ろで守る彼自身を傷つけるに至っていない。



「やっぱり簡単に殺されてくれないよね!!」



 軽機関銃を赤い盾めがけて投げつけ、ユーシアはソファの後ろに飛び込む。


 すぐに相手が反撃をしてくるとは思えないが、前衛がいない以上、決着は早めにつけてしまった方がいいだろう。

 ライフルケースから純白の対物狙撃銃を拾い上げ、薬室に弾丸を叩き込む。サラーヴが「熱い熱い!!」と騒いでいる隙に、ソファの背もたれに銃身を置いて照準器スコープを覗き込んだ。


 しかし、やはり簡単に物事は運ばなかった。



「動くんじゃねえ」



 背後で誰かが動く気配。


 最上階に引っ張り込まれた時点で、すでにユーシアは敵に囲まれていたのだ。

 いつのまにかユーシアは敵の黒スーツどもに囲まれていて、軽機関銃をずらりと向けられていた。自分を照準する銃口を一瞥し、諦めたように両手を挙げる。


 赤い盾をどかしたサラーヴは、爽やかな笑みを浮かべて「どうですか?」などと言う。顔には熱いお茶をかけられたことによる火傷が出来てしまっていた。



「自分は【OD】の異能力が戦闘に使えませんので、こうして他人を雇うしか出来ないんですよ。ほら、金だけは有り余っている身なので」


「……羨ましいことを言うね」



 ユーシアが吐き捨てるように言うと、サラーヴは「まあ、そんな話は置いといて」と話題を切り替える。



「ユーシア・レゾナントール様。自分と取引しませんか?」


「取引?」


「はい。自分の傘下に入りませんか?」



 サラーヴはユーシアに微笑みかけ、



「悪い話ではないと思いますよ。自分、金だけはありますので。あなたのような強い殺し屋を雇えば、地位は約束されますし。ああ、ほら」



 優雅な微笑みを保ったまま、コテンとサラーヴは首を傾げる。



「白雪姫の女王陛下も、あなたが投降するのならば死んだことにして第二の人生を約束するそうですよ? 状況は悪くなる一方ですし、ここいらが引き際ではありませんか?」



 まあ、確かに逃げ回るのも限界がある。


 ここら辺で降参して死亡扱いにしてもらい、ユーシア・レゾナントールという名前を捨てて第二の人生を歩むこともいいだろう。

 そうすれば、ネアやスノウリリィも安全だろうし、金の心配をしなくても済む。ユーシアに悪いことは何一つない。


 それでも、ユーシアはサラーヴの提案を飲まなかった。


 悪党のプライドとか、そういうものは一切ない。相棒に悪いことをするだろうな、という考えもない。

 リヴも合理的な判断をするので、女王陛下にひざまずくことが必要な場面になれば、その場限りの忠誠でも誓うだろう。あとで寝首を掻きそうだが。


 提案を飲まなかったのは、至極単純な理由だ。



「やだよ」



 ユーシアは舌を出して、



「だって、そんなのつまらないでしょ」



 次の瞬間、ユーシアに銃口を向けていた黒スーツどもが、一斉に膝から崩れ落ちる。


 全員して、そのぱっくりと裂けた首から赤い液体が溢れていた。

 生き残っている人間はおらず、悲鳴も断末魔も許さないまま一瞬にして命を散らした。当然ながら、両手を挙げていたユーシアに複数人を瞬殺できるような技術は備わっていない。


 やったのは、屍を踏みつけて佇む邪悪なてるてる坊主だ。



「こんにちは、ご機嫌いかがです?」



 丁寧にして、どこか相手を馬鹿にした雰囲気は健在。

 その手に握られたナイフからは血が滴り落ち、目深に被ったフードから背筋が凍るほどの冷たさを孕んだ黒い瞳がサラーヴを見据える。


 敵が一〇人いようが一〇〇人いようがものともしない、常軌を逸した度胸と殺人の技術を持つ真っ黒てるてる坊主――リヴ・オーリオが降臨した。


 ユーシアは「やっほー、リヴ君」と手を振り、



「退院おめでとう」


「ユーリさんの傷薬がとても効きました。いやー、物凄く苦かったですよ。シア先輩にも味わってもらいたいですね」


「俺は健康だから遠慮しておくよ」


「おや、今すぐ重傷がお望みですか?」


「やだよ、重傷になって生死の境を彷徨うのは」



 さすがに痛い思いをするのは勘弁願いたい。


 リヴは「そうですか」といつものように応じると、ぐりんと勢いよくサラーヴへ振り返った。

 黒い瞳で見据えられたサラーヴが怯えたように飛び上がるが、相手が怖がっていようがリヴは容赦しない。殺すと決めたら殺すのだ。


 ユーシアもまた照準器スコープを覗き込み、リヴとにらめっこをするサラーヴを狙う。彼を守るように幻影の少女が立ち塞がるが、構うものか。



「それじゃ、アラジン殿」



 引き金に指をかけ、



「おやすみ、さようなら」



 引き金を引く。


 タァン、という銃声。

 射出された弾丸がユーシアにしか見えない幻影の少女を貫通し、サラーヴの側頭部をぶん殴る。



「ぎゃんッ」



 短い断末魔を上げ、サラーヴは大理石の床に倒れ込む。そのまま冷たい床の上で、間抜けな寝顔を晒しながらぐーすかと眠ることとなった。

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