第3話【安全圏の崩壊】

 車に乗り込んだ瞬間、窓ガラスを突き破って銃弾が飛び込んできた。



「……わあ、リヴ君。今時の車って、乗った瞬間に銃弾が飛んでくる仕様だったの?」


「現実逃避は辞めましょうよ、シア先輩。見てください、隣の車を」



 リヴに言われ、ユーシアは風穴が開いた窓ガラスへ視線をやる。


 隣に並んだ車から、自動拳銃を向けている厳ついおにーちゃんと目が合った。

 サングラスにパンチパーマ、どこぞのマフィアの下っ端のような雰囲気がある。目に優しくない紫色の柄シャツに白いスーツというコテコテの格好は、任侠映画にでも出てくる脇役のようだ。


 ユーシアの脳裏に『目と目が合うと恋が始まる』なんてフレーズの曲が流れたが、これは嫌な恋の始まりだ。絶対に嫌だ。



「さて、シア先輩」



 シートベルトを締めて、アクセルペダルに足を乗せたリヴは、正面を睨みつけて言う。



「覚悟はよろしいですか?」


「……手加減とかしてもらえない?」


「しません」



 言うや否や、リヴはアクセルペダルを思い切り踏みつけた。


 急発進する車は、正面に停まっていた別の車に激突する。

 ぐわっしゃーん!! という盛大な音が響き、人々の悲鳴が窓越しに聞こえてくる。通行人は事故の様子をカメラに収めようとするが、それよりも先にリヴの卓抜したドライビングテクニックが披露される。


 後退をしながら方向転換をして、リヴは通行人を轢き殺さん勢いで発進する。



「わーははははは!!」



 凄い勢いで車道に滑り込んだリヴは、巧みなハンドル捌きでメロウホテルの駐車場から飛び出した。


 バックミラーで後方を確認すると、慌てた様子で追いかけてくる黒い車が見える。

 だが、黒い車の存在は他の車に隠されて見えなくなってしまった。相手のハンドル捌きがリヴの運転技術に追いつかず、遥か遠くに置き去りにされてしまっている。


 物凄い速度で景色が背中の方へ流れていき、いつものようにドライブを楽しむ余裕すらない。ジェットコースターに乗っているような気分になるユーシアは、やや青褪めた表情で運転手のリヴに訴える。



「り、リヴ君。もう少し優しく運転して……!!」


「いーやでーす!!」



 あっさりとリヴはユーシアの要求を棄却した。


 追いかけられなければ、リヴの運転は眠くなるほど心地いいのだ。

 それなのに、追っ手が来た途端にこれである。追いかけられると燃える性格なのだろうか。


 相棒の知られざる新たな性癖が開拓されてしまったことを後悔しつつ、ユーシアは車の中で嘔吐するという失態を犯さないように窓を開ける。



「…………」


「…………」



 目と目が合ってしまった。


 可愛い女の子でもなく、綺麗なおねーさんでもなく、厳ついおにーちゃんと。



「ねえ、もうやだぁ!! 俺もうやだぁ!!」


「どうしたんですか、突然。チェイスが嫌になりました?」


「それも嫌だけど、今日は厳ついにーちゃんと目が合って恋が始まりそうな予感がするの!! やだよ、俺!! あんな厳ついにーちゃんたちとランデヴーしたくないよ!!」


「何ですって!? どこの馬の骨とランデヴーするつもりですか!? シア先輩のタイプって僕みたいな儚い系じゃないんですか!?」


「男だからお前さんもアウトオブ眼中だよ!! 俺の趣味嗜好は普通なの!!」



 というか、この相棒ちょっと危ない発言をしたが大丈夫だろうな。

 一部の婦女子が喜びそうな展開はないと思いたいが――ないと信じたい、ありませんようにと祈るしかない。


 リヴは小さく「チッ」と舌打ちをすると、運転しながら雨合羽レインコートの袖から自動拳銃を滑り落とす。



「はい、シア先輩」


「はいはい」



 膝に乗せられた自動拳銃を手にしたユーシアは、容赦なく振り回されながらも並走する車に狙いを定める。


 リヴの卓抜した運転技術に食らいつく相手の車からは、厳ついおにーちゃんが自動拳銃を片手に顔を覗かせていた。消音器が取り付けられた大振りの自動拳銃である。

 相手は走りながらユーシアに狙いを定めることに苦労しているようだが、ユーシアからすれば慣れたものである。


 まず人間を狙うというのが間違いだ。確実に殺したいのであれば自動拳銃で蜂の巣にするか――。



「――タイヤを狙えば一発だよね」



 ユーシアは車のタイヤに照準し、迷いなく引き金を引いた。


 ガァン!! という銃声が耳朶を打つ。

 射出された弾丸が車のタイヤを穿ち、相手の車の動きがぐらりとよろめく。ふらふらと車は揺れ、遥か後方に置いていかれる。


 格好つけて自動拳銃から立ち上る白煙を吹き消したユーシアは、



「まあ、こんなもんでしょ」


「格好つけですか? 何の映画の真似です?」


「止めてくれない? お願いだから指摘しないで。今更になって恥ずかしく思えてきた」



 ユーシアはダッシュボードに自動拳銃を置き、恥ずかしさを紛らわすように窓の外へ視線をやる。物凄い速度で流れていくので、色々と目で追えない。


 華麗に信号無視を決めるリヴは、そのまま真っ直ぐ突き進んで『中央区画セントラル』の壁を目指す。

 暴走車の存在に気づいたパトカーが追いかけてくるが、やはりリヴの運転技術に追いつくことはなく後方へ置き去りにされてしまった。ピーポーというサイレンの音すら遠くの方に聞こえる。


 リヴの乱暴な運転にも慣れてきたユーシアは、眠たげに欠伸をした。



「眠くなってきたな」


「この速度で寝るとか正気ですか? ジェットコースターに乗っても寝るんじゃないんですか?」


「ジェットコースターで寝る訳ないでしょ。あれって寝れるほど距離が長くないし」



 リヴの乱暴な運転は、ジェットコースターのようであるが慣れてしまえばどうということはない。慣れとは恐ろしいものだ。


 ウトウトと船を漕ぎ始めるユーシアに、リヴは呆れた様子で「つまらないですね」と言う。



「ぎゃあぎゃあ騒いでくれると思ったんですけど」


「残念だねぇ。軍人時代ほどじゃないよ」


「装甲車って乗り心地悪いんですか?」


「最悪だね。狭い車内に男が鮨詰めで移動するもんだから、もう臭いし乗り心地は悪いし二度と経験したくないよ」



 戦争中に移動手段として用いた装甲車の乗り心地の悪さを思い出すと、リヴの乱暴な運転で騒げなくなってしまった。


 ハンドルを回しながら「そうですか」と薄く笑いながら応じるリヴ。

 ユーシアもまた「そうだよ」と答えた。慣れてしまえばそんなもよである。



「あ、見えてきましたね」


「『中央区画』? あ、本当だ」



 目の前にそびえ立つ壁の先が、ユーシアとリヴの目指す『中央区画』である。


 金持ちどもがひしめく安全圏であり、犯罪とは無縁の楽園と称されている区画だ。

 普段であれば検問が必要だが、今回はあまり車は並んでいない。車の並んでいないゲートを狙って、リヴは車の速度をさらに上昇させる。


 当然ながら、ゲートは車を寸前で停めさせる為にバーが下がった状態だ。



「こんなチャチな玩具如きで、僕を止められると思わないでください!!」



 ガッとアクセルペダルを全開まで踏み、ゲートに設置されたバーを破壊して『中央区画』へ突っ込むユーシアとリヴ。


 通行人や目撃者の悲鳴が聞こえる。

 クラクションの音がユーシアとリヴの乱入を歓迎していないことを告げるが、二人が止まるはずもない。



「久々に来たなぁ」


「そうですね。意外と変わらないものですね」


「建物って何十年も経たなきゃ古くならないしね。『中央区画』のビルって無駄に金がかかってそうだし」


「爆破させます?」


「キリがないから止めておこうか。今はアラジンのところで金を盗むことだけを考えよう」



『中央区画』のビルを爆破させるなど、手榴弾がいくつあっても足りない。ダイナマイトをどれほど用意すればいいのか。きっと途方もない数が必要になってくるだろう。


 車に揺られるユーシアが携帯電話を取り出してアラジンについて検索していると、外からサイレンの音が何重にもなって聞こえてきた。

 顔を上げれば、何やら大量のパトカーがユーシアとリヴの車を追いかけていた。「そこの車、停まれ!!」と叫んでいる。


 ユーシアは自動拳銃を手に取ると、



「やれやれ、アラジンの前に一仕事かなぁ」


「この状況を楽しみましょうよ。あとで車も変えましょう」


「アラジンのところにあるかな」


「いい車があるといいですね」


「運転するのはお前さんなんだから、お前さんが選びなよ」


「いいんですか!?」


「うわ、稀に見るテンションの高いリヴ君だ」



 大量のパトカーに囲まれているというのに、彼らはそれがいつものことだとばかりにのほほんとしていた。

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